見出し画像

年末につれづれ

いよいよ今年もあと3日。
最近はだんだんと師走らしくなくなってきた年末ですが、
新しい年を迎える気持ちよさと昨年の自分を超えたかな?と振り返る
束の間のテータイム。満足のいく一年であったことに感謝の気持ちが湧いてきます。今はこうして時間に追われることなく庭を眺めながらシャボン玉のように自由に浮かぶたわいもないことを思い浮かべながら…。

それは何もかもが変わっていないことに安堵するのは不可能なこと。マイナスと捉えがちな体の不調やもう生まれたままの自分ではないという現実。それもみ~んなその虹色の玉に包んで。
体の一部、一見何の変化もなさそうですが、その部分には異物の板がボルトで固定されていることはテセウスの船。若いころならそれを悔しがる自分がいたのでしょう。

今は6度目の干支をもうすぐ送り出すことでまた自分が新たな出発点にいるのだと喜ばしい気持ちでいます。

回数は少なくなったもののやはり数回の忘年会。
年齢も環境も違うそれぞれのグループでさえ、みんなの意識や考え方が違ってきているのには時代、時の流れを実感できます。

それもまた新しい。それが生きてきたという現実を物語るみたいに次の自分はどんな様子でこの会に参加するのだろうと…。

みんな違って当たり前。それは頭の中ではよくわかっていても昇華しきれないままでいた感情。それさえも手放す年末となりました。

それは今の自分を受け入れたことなのか、一抹の寂しさはないのか?
心の底から笑えない、納得いかないは自分の感情の枯渇?

なのにどこかホッとしている自分がいて…。

年々孫や子供たちの嗜好に合わせるお正月料理となり、おせちは来年は卒業。やはり肉料理。三日間のメニューを考えるのがまた楽し!とメモに書き留めるのですが、段取りの悪さも手伝ってなかなかまとまりません。

新年には神様をお迎えする。亡くなったご先祖様が帰ってこられると小さなころ祖父母に教わり、仏壇や神棚に手を合わせ、近くの神社に初詣した記憶は今もお正月の行事のひとつ、里帰りすると真っ先に仏壇に手を合わせる娘や孫たちに主人はどこからか喜んで見ているのでしょう。
孫たちもきっとあの時の私と同じ気持ち。

今の私が小さな時の自分に会った時「想像した人生ではなかったけれど今年もいい年になったよ。」と話せそうです。

まだまだ未完成。後何年あるかわからない健康生活を楽しみにしながら、今年の年越しそばは七人前。忙しくなりそうです。

最近はなかなか投稿できる記事が思い浮かばなくてネタ切れ状態、毎日投稿の目標が2年ではかなくも消えましたが、それもまた良し。

今年もたくさん読ませていただきました。刺激を頂いて充実した毎日でした。ありがとうございます。

皆様、良いお年をお迎えください!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集