仲人の仕事 正解なんてないんです
それぞれの立場でものを言う。
その時は自分の考えは正しいと信じています。
そこに打算や駆け引きが無いのであればそれはそれで正解です。
そこに競争心や意地が無ければいいのです。
それがなかなか難しい!
いろんな感情の下に人は意見します。
なんとしても正解を求めます。自分に自信がないから正解が欲しいのです。
人に相談しても見つけられず本を読んでも…。
そんな時ふとその悩んでいる場所から外れて全く違うことに目を向けると、案外ヒントが隠れていることがあります。自分は何が言いたかったのかということが…。
それをせずに只々正解を探す毎日でいると疲れ果ててほかのことまでどうでもよくなってきます。ストレスがたまり体調も悪くなります。
正解とはルールの中で定めた仮の答え。それも人間同士が決めるのですからやはりこの世界にはないのです。
この世でいとも解明されているようにしないと生きずらいからかもしれません。
歴然とした誤りを主張するのは論外ですが、いろんな立場を経験した人なら、どちらの言い分も理解出来ます。その丁度お互いが納得できるところで手を打つのがその人の役目。
その人が言うならとお互いが納得することになれば万々歳。
日本語を使って伝え合っても他の国の言葉で通じ合っていると思っていても全く同じ意味で理解し合えたとは確認のしようがありません。
大切なのは異なる意見も取り入れながら、自分の生き方に自信を持つことかもしれません。
例えば結婚相手やパートナー。この人と人生をともにして正解なのか?
最初は「どんな人でもいいです。」と言っていてもいざお見合いする相手を選ぶ段階になって、いろいろ難癖をつける人がいます。
毎日顔を合わせるのですからその気持ちもわからないこともないのですが、「どうして結婚したいのか?」という答えにはなっていません。
自分と相手が幸せになれるか?神のみぞ知ること?
外見や収入ではないということが分かれば今度は考え方が頭をよぎります。
大正、昭和の結婚はその日に初めて顔を見たとか親が決めた人だからと、選ぶ権利などないようなものだったらしいですが、祖父母や両親の人生は決して不幸せではなかったように思います。
ところが自分で決める時代になってみんなが幸せになったかというとそうでもなさそうです。
どんな出会いであってもそれはご縁があったからと思えばそれが正解。
自分の感性とうまくやっていけるのだろうか?どんな人が自分に合っているのか?数えたらきりがありません。今一緒に居たいと思えるなら自分を信じるべきだと思います。最後共に人生を歩いてよかったと思えるような自分であるように努力は少しは必要かもしれません。
正解がないから面白いと思えたらいいですね!
今日もいい日にしましょう!