信頼と信用
人間関係で信用を無くすとか信頼されなくなったと聞くことがあります。
また「人を見たら泥棒と思え。」人を軽々しく信用してはいけないという意味だそうですが、信用し過ぎは危険!ということ。
なんでも頼り切ったりまかせっきりにする方にも問題ありということだそうです。
反対に「渡る世間に鬼はない。」と言う言葉もあり、困った時には無常な人ばかりではなく情けをかけてくれる人がいるということ。その時は恩を仇で返すことが無いよう十分に気を付けないといけません。
過去の実績や行動によって生まれる信用と言う言葉,それだけで評価するのはいささか味気ないような気もしますが、信頼されるかどうかは少し意味合いが違ってくるようです。
いろんな人と出会って、ある時期一緒に仕事をしたり、遊んだりと過ごす時期があります。
私は騙されたことが無いと思っていますが、それは自分がそう思っているだけでまんまと…。ということがあったかもしれません。
性格的?にあまり人と深入りすることが無いので人間関係で悩むことも少なかったように思います。
孟子の説く性善説で言えば人はもともとは先天的に善であるということ。最初は騙したり裏切るつもりはなくても次第に自分の都合で相手が思うような行動がとれなくなっていく場合もあり悪い行いは大体が物欲が勝ってしまうからだと言います。
大それた人を騙すようなことは論外ですが、少なからずご期待に沿えないことはあったかもしれません。致し方なくであっても相手にしたら…。となります。
期待するから裏切られると聞いたことがあります。自分軸で考えるから相手が思うような言動や行動をしないと失望してしまう。
信じていたのに!とは恋愛中の男女のあるあるですが、親子でも子どもが思うようにならないと…。
立場が反転して相手を信用しすぎるのも危険です。
人は裏切るとは少々乱暴な言葉ですが、それぐらいの認識も最近は必要になってきたのかもしれません。
何も期待どうりに行かなかったのはこどもの場合、親から巣立って行った一人の人間として成長したということで喜ぶべきかもしれません。
夫婦なら所詮他人同士、分かりあえていると思っていてもいつまでも平行線の部分はあるのかもしれません。
それを許して受け入れる。その連続と言った友達もいました。
別れないのは一つや二つ嫌なことがあっても我慢できる何かがあるからと言ってましたが、答えは解らないまま。
「でも信用はできない!」とも。きっといろんなことがあったのでしょう。
人を信用できないなんて悲しすぎるという人もいますが、信用とは過去からの結論であって、信頼することは未来につながる言葉かもしれません。
人を許すことが出来れば行く先は明るいかもしれません。
雨の日曜日,小糠雨の公園は静かでした。
昨日に続いて散歩に行けないのは困りもの。ニケのちょっとした決意のようなものを感じて?出かけました。
暖かいミルクティーはいつもより甘くて優しい味がしました。
今日もいい日にしましょう!