ジェットコースター人生 53-5
娘の小さな時の話に戻ります。
小学三年生で父を亡くし急に鍵っ子となった彼女は、一人で帰宅し宿題をして友達と遊びに行く。普通ならなんてこともない日々ですが、「ただいま」と言っても迎えに出るのは寂しく留守番していた柴犬のアルだけです。彼も急に独りぼっちになって家族の帰りを待っていました。
家族全員の生活環境が180度変わってしまいました。
私は最初のころはできるだけ早く帰って子供たちを迎えたいと早々に仕事を任せて帰宅していましたが、ある日会社の地域の会長さんから、仕事をする覚悟をしたのなら3時に帰るのは早すぎると言われました。
仕事をなめているわけではありませんでしたが、まだまだ母親の部分の方が占めていました。でもおっしゃる通りです。
だんだんと帰宅も6時になり7時になりと仕事の比重が増していきました。
ある時は真っ暗な室内でソファーで寝ていたり、テレビを見ている背中がなんとなく寂しそうで、私は間違っているのではないか、これでいいのかと疑念が生じるようになりどっちつかずの自分を情けなく思いました。
中学生になるころには少し芯がしっかりしたように思いました。
1時間以上通学にかかるのを心配しましたが最初の日から一人で電車を乗り継ぎ無事に帰って来た時は胸をなでおろしました。
自宅からは遠くても会社がその中間にあったのでよく一緒に帰りました。
電車の中では今日あったことや、友達の事など屈託のない顔を見るとなんとなく安心したものです。
また中学生から一緒に年に一度ヨーロッパに行きました。
教科書や本の中で見た遺跡や博物館など本物を見せたい。
そのための貯金もしました。旅行ですっかり使ってしまうのでまた1からですが、来年は兄の番と交代で連れて行きました。
3人で行くには旅費の面と留守番の犬の世話ができないからです。
それと男女では行きたいところが違うのです。
毎回必ず訪れたのはルーブル美術館、大英博物館です。
本物を見ることで何かを感じるはず。
それが忙しい私にできる唯一の教育でした。
ミロのビーナスや、サモトラケのニケ、もちろんモナリザ「これ教科書に出てたわー。でも小さいね。」
絵を描くことが好きな娘は熱心に見ています。
イタリアでは青の洞窟に2回挑戦して二回ともあの狭い入り口から入ることが出来、パスタソースの箱と同じ青の洞窟を堪能しました。息子は二回とも波が高く断念せざるを得ませんでした。
「日頃の行いと違う?」と娘に冷やかされていましたが、その島でガールフレンドに珊瑚のピアスをちゃっかり買っていたのを私は見ました!
二人旅行は娘が大学4回生迄続きました。
だんだんと娘が行き先を考えて、私はついて行くだけ。
ある時日本では販売していない布袋がほしいというので慣れない地図を頼りに足がちぎれるかと思うほど歩いてその店を見つけました。
残念ながらほしかったのは完売でせっかく来たのだからと別の袋を買いました。今はそれを私が使っています。
帰ってきて大阪のデパートでずらりと並んでいるほしかった袋を見つけて、あの半日をかけて探したのは何だったのだろうと顔を見合わせて笑いました。
その時には購買意欲も薄れていて足の痛かったことだけが思い出として残りました。
恒例の旅行は無理しても行って良かったと私も娘も思っています。大切な二人の宝物になりました。