じかん磨き
目に見えることは解りやすく、そうでないことにはなかなか意識が向かないものです。
何を感じてなにに心奪われるのか…。
その毎日、毎時間、毎分はベルトコンベアーのように通り過ぎて瞬く間の一年。
いくら少しでもストレスのない穏やかな暮らしを望んでいてもその流れる帯に乗ってくるありがたくないものを知らず知らず自ら受け取っているのかもしれません。
自分磨きの旅行。美しい景色を見て美味しいものに舌鼓。
美術館の一枚の絵。クリスチャンではないのにその教会に入ったとたん、感激で胸が熱くなった不思議。
素晴らしい出会いがあって自分が生まれ変われるような錯覚をするほどの恋をした…。などなど。
この時間が永遠に続けと願った青春時代は誰しもあるものです。なのに今は遥か彼方の出来事です。
何十兆の細胞でできているわが身は目には見えているけれど本当は風に吹かれると砂漠の砂のごとく崩れる心と体で成り立っているのだと思うことがあります。
おおもとは気の持ちよう。病は気から。痛みも苦しみも自らがつくりだしているもの。それを忘れること、手放すことで消え去ると聞いたことがあります。
自分は不幸だと思うことはその状態に自らが飛び込んでいること。
これ以上、これ以下と言う基準も自分次第。
「何とかならないかしら?」と相談されることがありますが、それは自分の心で考えずに手っ取り早くいいアイデアを頂戴することで済ませてしまおうという安易な気持ちも働いて…。言い放ったことで「すっきりしたわ!」となるならそれもOK。ですが果たして経験値は増えるものなのか疑問です。
エステに通って本をたくさん読み、ジムで体を鍛え、料理教室に通う自分磨きは婚活中の女性の意識としてはよくある正解論。
ですが一番おおもとの自分に与えられた時間の使い方でそれが義務になったりただの習慣になっているのであれば「磨く」と言う言葉はあてはまりません。そんな自分がスキ!という錯覚。
ならば限りある時間の使い方。永遠はないということを知って何かをする時、丁寧にその時どきを過ごしたならば今までなんとなく見過ごしていたことも意味のある内容になるかもしれません。
気持ちを入れるとは真面目に向き合うことだと思います。
ただ時間を消費するだけでなく時間と向き合うようにしたいと思うのは知らないことが今でもいっぱい取りこぼしているということ。自分磨きは時間磨きであることのような気がします。
今朝は曇り空。ニケは何を思うのか空を見上げて飛ぶ鳥を目で追いかけ、風の匂いに鼻をひくひくさせてこの時間を大切にしているように思います。
今日もいい日にしましょう!