ピアス物語
私たち昭和の生まれ、親は耳に穴をあけるなんてとんでもないという時代でした。不良の入り口。わざわざ親からもらった大事な体を傷つけるなんてもってのほか。目がみえなくなるらしいとも。
反論できない時代でしたから…。
おとなになって仕事で外国に行くようになった時、それはヨーロッパ。
特におばあちゃん、田舎に行っても失礼ですがそんなに裕福でなさそうな身なりのご婦人でも、笑った最高の笑顔の両端に小さなピアスがありました。
それはかすかに揺れていたり耳たぶにちょこんと。いつまでもおしゃれする。私もそんなおばあちゃんになりたい!でもそれはまだまだ先の事。想像もつかない未来でした。
あっという間にそれはもう現実となっています。
それが羨ましくっていつかはとずーっと思っていました。
残念ながらピアス禁止の会社でしたから、他の航空会社の乗務員のピアスが気になって仕方が無く外国は自由でいいなあとちょっぴりうらやましく思ったものでした。
私たちは髪型もいくつかのパターンがあり、ネイルは必須。手入れを怠ることは裸で歩くのと同じ!と教官に言われました。
もちろんメイクの色も決められたいくつかのパターンの中から。
だから当時は皆同じような顔に見えたかもしれません。
一年も経つと掟破りも出てきてもちろん先輩はほとんどが、勝手気ままな髪型、ネイルでした。
今のような「それで物を掴めるの?」と聞きたくなるような長さはないにしても…。
そんな中一人の先輩の耳にピアスを見つけました。
たまに抜き打ちで職員が乗務してチェックが入ることがありましたが、その時はその時!と堂々としていました。
乗っているという情報が入るとそっとポケットに。
何度もしているうちにお気に入りのを無くして、滞在先で幾つも同じものを買っている姿を見ました。
それをするにはまだひよっこの私は勇気が無く、寿退社の後もそんな自由な環境は訪れませんでした。
あるきっかけ、と言うのはひとりで切り盛りする運命に置かれて2年ほどたった時!従業員の大学生とピアスの話になりました。
恐ろしいネタを持っている子もいましたが、それよりもこれからの人生に風穴を開けよう!と無理やり理由をつけてとうとう念願の耳に穴が開きました。
もう何を言っても聞かない中年でしたから両親に話しても「ふ~ん。」と言っただけで関心もないといった表情でした。
それより「これから一人で大丈夫?」とそちらの方を心配していました。
風穴が開いたあどうかは解りませんが、今があることを思えば、自分で生きていくという決心の表れととればまあまあの決心だったのだと思います。若い今の人から見ればなんてことないことでしょうが…。
昨日抜糸だけだと思っていたらあっさりゴミ箱にギブスを放り込まれました。1ヵ月はと思っていたのがあまりにあっさりと外れてこちらが大丈夫?と思うほどでした。
家でのリハビリ。たった5日しか使わなかっただけなのに左手は別人みたいです。
いろんなもの掴んだり右耳迄左手を回したり。
ふとピアスをすることが出来るようになるのはいつだろうと思いました。
こんなこと思うのはいいことの証だとしましょう。
今日もいい日にしましょう!