10/5 『我ら闇より天を見る』読了
今日のお題は #最近すきな動画
『我ら闇より天を見る』
Amazonにあらすじと試し読みありです。
三十年前、十五歳だった少年ヴィンは恋人スターの妹シシーを知らず轢き殺してしまった。
シシーの遺体を発見したヴィンの親友ウォークはヴィンの車に真新しい凹みがあることを警察に報告。「自白しなかったのは悪質である」とされ、ヴィンは子供ながらも刑務所へ入れられることになる。
刑期を終えるまで三十年……。ウォークは、自白を促すことだってできたはずなのに「正しいこと」をしたつもりでヴィンの人生を奪ってしまったと罪悪感を抱いてきた。
町の警察署長となったウォークは、自分が人生を変えてしまったヴィンとスター、そして父親のわからないスターの二人の子供たちを生涯かけて支えようと誓って生きていた。
十三歳になるスターの娘ダッチェスは自らを無法者と名乗り、天使のような弟のロビン、精神的に不安定な母スターを守ろうと肩肘張って生きてきた。シシーの件を含め母スターの事情を承知していて、子供ながらに私は守られる側ではなく守る側だと感じ、誰も頼ろうとしない。
そんな彼らの住む街に、三十年の刑期を終えたヴィンが戻ってくる……。
こんな、どこを切り取っても痛々しさしかない設定の物語。さらに語り手であるウォーク、ダッチェスをめぐる人間関係を広く見るとこれまたしんどい関係がいっぱい。込み入った事情を抱えている登場人物がたくさんでてくるので、関係図や登場人物表を携えて読み進めるとよいです。
幸せだった過去に縛られ、自分のせいでそれが壊れたのだと背負い込み、自分のことは見ようとせず、ヴィンらを助けることばかりに夢中なウォーク、「自分は無法者である(家族を守れるのは、信じられるのは自分だけ)」と世の中を憎み、助けを拒むダッチェスをはじめ、何らかの思い込みによって偏った生き方を強いられている人物がたくさんでてくる。
彼らは頑なになっているせいで他の選択肢が見えてこず、周囲から見ると理解し難い行動に出てしまい、トラブルを頻発させます。気付かぬうちに誰かしらを追い詰めてしまい、思いもよらぬ事態を引き起こすことになるのです。「こうするしかないんだ」と必死過ぎて、周りが見えていないんですね。
子供だったウォークが「正しいこと(まあ確かに正しくはあったのだろうけど)」と思いしたことによって、ヴィンを追い詰めてしまったように、「それしか見えずに」手を伸ばした先で、誰かが押されて怪我をしても、必死過ぎて気がつかない。振り返って惨状に気づくが認め難い、みたいなことがおきすぎて……苦しいです。
たとえダッチェスのように、自らを無法者と名乗り、誰の目も気にしない、わかってもらう必要もない、自分が必要だと思ったことを自由にやって何が悪いと開き直っていたとしても、無意識は自分の行動の結果をちゃんと受け取ってて、衝撃を受けていると思うんだよね。それも認めたくなくて一層頑なになるのだけれど。
例えばひどいことをした後に「世の中は善ではないと思い知らせるのが私の役目」などと自分に言い聞かせてしまうのは、そうしないでは気持ちが収められないから。ちゃんとわかっているし、傷ついている。平気ではない証拠なのだ。
こうして自分で自己イメージを傷つける。
その結果どうなるか。いずれ、自分が守ろうとした大事なものの前にすら立てなくなるんだ。美しいものに汚れた自分をかかわらせることができないと感じ、自ら隔たった向こう側へと退いてしまう。
自分を許せないがためにする究極の自己犠牲だ。相手はそんなことをちっとも望んでなどいやしないのに、関係なくそうしてしまう。
きっと自分を良いものと感じたければそうするしかないと思い込んでいるんだ、と私は思う。自分しか見えていない。
ラストに向けて切ない展開が続くけど、物語としてはそれが盛り上がるとも思うけど、私はこの望まれてもない自己犠牲状態から回復するために必要なことは何だろうって考えてしまう。
「君は自分しか見えていない、相手の立場に立ってご覧」などといきなり客観視を迫ることではないんだろうとは分かる。
外から見るとそうとしか言いようがないというか、これをいうのは簡単だし、何か正しい気さえするけれど、これをやっちゃだめだ。
客観視ができるようになる前段階として、自分で自分の自己イメージを傷つける言葉を吐いて思い込ませてきたことを認められてないといけない。辛いとも思わずに(麻痺させて)そんなことをしてきた自分の傷つきをちゃんと感じ、自分で受け止められてないといけない。そうして、その思い込みのひどい自己イメージを自分でつくってきたことに気づいていなくてはいけない。
その段階にきていないと、相手の言葉が「なんで見えなかったのか」とただ責めているものと感じてしまい、恐怖し、恥じて、ダメで悪い自己イメージを強化することにしかならないからね。こんなの反省でもなんでもない。
最悪なのは、その上相手の人間性を否定するような評価を下すことなんだけど……こういうの、子育てで言うとわかりやすいのかな。
例えば目移りしてあれこれ手をつける子に、部屋の惨状を見せつけて「君がやったことでこんなになってるのどう思う?」と言ったら、健康な子は「やべっ」て思って片付けてくれるかもだけど、日頃から自分はダメな子だってイメージを持っている子だと、辱められたと感じて反抗したり「どうせ僕はダメなんだ」思い込みを強化することにしかならないって言うか。
そこでさらに「何回言わせるの」とか「なんでできないの」とか「やる気がない」「嘘つきだ」とかって評価するとこどもの心がもうこれ以上傷つかないように麻痺して、ぐちゃぐちゃになっちゃうと言うか。まあそういうかんじ。
こんなのが続いたら、自分はこうなるしかない子なんだと開き直って、グレる(無法者になる)か、究極自分なんかいない方がいい(自己犠牲)にもなりかねないと思わない? そんなふうになることなんか誰も望んでないはずなのに。
この物語の後、ダッチェスは誰も信じず頼らない無法者になるのでなく、望まれてもいない自己犠牲に陥ることなく、大切な人と堂々と生きていける未来を得るのだろうか。
子どもらしい時間を取り戻せますようにと祈る。
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