ACの傷を癒やすと決めた
今年に入ってアダルトチルドレン(以下AC)という言葉を知った。スピ界隈の言葉かと思っていた。
ACは子どものころに家庭内のトラウマによって傷つき、そのまま大人になった人たちを指すらしい。
知れば知るほど、なんだか自分に当てはまると思った。ただ、何事も自己判断は禁物な気がしてモヤモヤする日々が続いた。
わたしはACかもしれない。でも、勘違いかもしれない。専門の人に聞いてみたい、と。
そんな時、小中高を共に過ごした幼馴染と絶縁した。
わたしはコロナ禍をきっかけに何人もの友人と疎遠になり、ボツボツと関係が途切れている。
そんな最中、この人はこれからもずっと友達なんだろうと思っていた幼馴染との関係を切った。
幼馴染が仕事のストレスからメンタルを病み、わたしは彼女の荒れた態度についていけなくなった。
わたしは無理だなと感じることが増えて耐えきれなくなると、心のシャッターを完全に下ろす癖がある。
相手を完全に無視したり、連絡先を削除したりといったことが平気でできてしまう。
年齢も立場も、これまでの関係性も関係ない。
相手に謝るチャンスも与えなければ、きっかけすら与えない。
相手からしてみれば、なぜかいきなりわたしに無視され音信不通になったという原因不明の事態だろうか。
わたしのちりつもの怒りは些細なことをきっかけにある日突然沸点を超える。
これ以上傷つく前にシャットダウンする。
多分、わたしは話し合いができない。
仲直りという選択肢を子どもの頃に捨てたから。
わたしが仲直りを嫌がる理由はいつか別の記事に書こうと思う。
ただ、幼馴染が精神的に病んでいたとしても、長年の友人を失うという選択を何のためらいもなく取れたわたしはやはりおかしいし、ここ数年で友人が減りに減っているのもおかしい。
こうした人間関係におけるつまずきはACが関係しているのではないかと考え、ACの分野を得意とするカウンセラーを探し、初回面談を迎えた。
初回のカウンセリングの内容をざっとまとめると、これまでの生い立ちの説明と家族構成の説明がメインだった。
その中でカウンセラーさんからの質問を受けて詳細を深掘りしていく流れだ。
質問に対して回答しているうちに、子ども時代の嫌だったことをいくつか思い出したり、話したりしたので、普通に泣いた。
やはりカウンセラーさんは理解が早くて助かる。わたしの人生を断片的に話しているに過ぎないのに、持っている知識からわたしの傾向を分析してくれていた。
ACが抱えるトラウマは家族に起因するとが多いので、わたしはこうしたモヤモヤを友人に話すことができずに生きてきた。
だから「話の通じる人」に出会えた感覚があって、すごく嬉しかった。
実は去年も会社のストレスチェックのスコアが酷かったので別の相談室のカウンセリングを受けていたが、ACという言葉にも辿りつけなかったし、解決策の提案もなく淡々と仕事のストレスについて話していくのが面倒になり、途中から行くのをやめてしまった。
そんな背景もあり、「話が通じる」という感覚は本当に重要だった。
一通り話し終えた後、わたしはカウンセラーさんに「わたしってやっぱりACですか?」と質問した。
カウンセラーさんは「そうですね、典型的なACです」と教えてくれた。
原因不明の不調に病名が付いたような感覚だった。ACは思い込みではなく、事実だと認識できてなんだか安心した。
初回面談なので、まだまだこれからではあるもののカウンセラーさんはしっかりとわたしを分析してくれた。わたしが気付いていないポイントもたくさん教えてくれた。
初回面談で分かったことはこんな感じだ。
わたしの父も十中八九ACで幼少期に愛情を注がれず育ったので、わたしの母に「妻」だけでなく「親」の役割も求めている
しかし、母は大雑把な人なのでそんな父の愛情不足のケアをしない
結果、幼少期のわたしが空気を読むようになり無意識に「妻」や「母」のような役割を担うようになる
わたしは人に合わせることが癖になっており、個性がなくコミュニティのなかで透明人間になりやすい
わたしは気付かないうちに人間不信になっている
子どもの頃から辛いことを誰にも相談せずに一人で乗り越えてきたので、他人の「できない」が甘えに感じて許せない
わたしが問題を起こしても両親は表面的な部分を叱り、原因を追求しないので、客観的に見ると両親はわたしに比較的無関心だった
などなど
初っ端からゴリゴリに話して、いろいろ腑に落ちた感じがした。
やっぱりなーと思う部分もあれば、目から鱗な部分もあり、すごく勉強になった。
わたしは両親から虐待を受けていたわけではないし毒親とも少し違うが、機能不全家族なのだ。
わたしが言われた「妻」や「母」の役割とは家族のメンタルが落ちた時にそばにいるとか、両親の機嫌が悪くならないようにご機嫌取りをするとかそんな感じだ。
本来は父と母という対等な二人にお互いの役割を担って欲しかったが、それを無意識に放棄したのでわたしがいつのまにか担ったのだとわかった。
それにしても、嬉しい以外の感情で取り乱して泣く自分の親の姿を幼い頃に見たことがあるだろうか。
ヤケを起こして出て行ってしまうんじゃないかと不安になるほどひどく落ち込む親のメンヘラを幼少期に見たことがあるだろうか。
わたしはこんな感じの「暴力ではないけど精神的にきつかったトラウマ」と「家族団欒の幸せな思い出」の狭間で生きている。
残念ながらわたしはこんな両親が嫌いではない。これもACの性だろうか。
トータルで見ると機能不全家族だけど、家族団欒で楽しい時間もそれなりにあるのだ。
カウンセラーさんは「子どもであるあなたは何も悪くない」と言ってくれた。本当に嬉しかった。
「まずは子ども時代にいくつもの辛い出来事を乗り越えた自分を認めて、褒めてあげて」とカウンセラーさんは言った。
うまくできるかわからないけど、やってみよう。
カウンセリングはまだまだ始まったばかりで、わたしは将来子どもを産み育てたくないなーと今はまだ思っているが、この傷を癒して大人になっていきたいと思う。