「ベタな」デザインはウケる? 【デザインの心理学(2)】
良いデザインとは何かと聞かれると「シンプル・イズ・ベスト」という答えが返ってくることは少なくない。わかりやすさとか、見たり使ったりする時にすんなり受け入れられることはデザインの中で必須と言われることも多い。その見方からすれば、「ベタ」なことはデザインの中で重要な要素であるように思われる。
「ベタ」であること。この正体として思いつくのは「流暢性」とよばれる性質である。処理流暢性ともよばれ、知覚や記憶、言語などの認知的処理がスムーズに進むことを指している。美的感情の研究で有名なReberら(例えばReber, et al., 2001など: https://www.jbe-platform.com/content/journals/10.1075/ce.2.2.03reb )は目の前にある対象の特徴を容易に判断できることがポジティブな認知をもたらすと、様々な研究を通して指摘している。流暢性はさまざまな形で私たちにスムーズさを提供する、例えば典型的なものを好む典型性効果もその一つで、(例えばWhitfield & Slatter, 1979: https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.2044-8295.1979.tb02144.x )やはりベタなものは選択されやすい。その他、何度もその情報や対象を目にすることで次第にポジティブな感情が増加する単純接触効果なども同じで、自分にとって馴染みのあるものになると、やはり良いと思えるようになるのだ。
では、ベタではないもの、例えば複雑だったり、ちょっとしたことではすんなり受け入れられないようなものはデザインとしてあまり良くないのだろうか。直感的にはそうではなさそうな気もする。沢山のボタンがついた機械に興味をひかれる人だっているだろうし、細かく要素が描きこまれたポスターだって好きな人は好きだ。
ベタなものに比べて、複雑なものは良いと思えるのに時間がかかるが、次第にポジティブに受け取れるようになると説明したのがBerlyneで (例えばBerlyne, 1971: Aesthetics and psychobiology)、これを最適複雑性モデルという。かいつまんで説明すると、単純な刺激は処理流暢性が高いので、ポジティブ感情の生起も早く、飽き(飽和)も早い。これに対して複雑だったりして処理が流暢ではないものは当初あまりポジティブな感情をもたらさないが、次第に理解が高まったりして流暢性が高くなるとポジティブに受け取れるようになるというものである。
デザインの分野でこれを改めて説明したのがGraf &Landwehr(2015:http://dx.doi.org/10.1177/1088868315574978 )による、美的好感上の流暢性モデルである。彼らはデザインされたものが流暢性によってどのように認知されるかをモデル化した。彼らは主に視覚的な流暢性をベースに考えているという点で、Reberらの研究に近い。流暢性の次元として上に挙げたような典型性、単純さ、対称性、コントラストの高さを想定した。反対に流暢ではないのが新奇で、複雑で、非対称で低コントラストのものである。流暢なものはわれわれの認知的処理の中で自動的に処理され、流暢さに基づく好感情を引き起こす。これに対して、流暢ではないものは接触経験を重ね、われわれの認知的処理の中で分析的に処理される中で、刺激を与えると認知されながら好感情をもたらすというものである。このモデル、基本的にはこれまでの研究を改めてまとめたようなものだが、とても分かりやすく整理されている。
確かに、ベタなものはわかりやすい。そしてそれに出会ってすぐにポジティブな印象を与えるので、デザインのように「出会った瞬間が勝負になりやすいもの」のときは強力な影響を与えることは確かなようである。とはいえ、私たちは一度手にしたデザインを長く手元に置きながら、デザインされたモノと自分との関係を重ねて「愛を育む」プロセスだってある。ロングライフデザインを考える時には、その辺りも考えないわけにはいかないのだろう。
この長い時間をかけてデザインと自らとの関係を深めていくプロセスを「関与(involvement)」という。これはまた別の機会に。