手で感じるデザイン 【デザインの心理学(1)】
デザインといえば、とかく「見た目」についての話が多い。もちろんデザインの実際を考えればどうしてもそうならざるを得ないのだが、できれば視覚以外の話もしてみたい。今回は、デザインに関わる「手」の話。触覚によってわれわれが受ける印象についての研究についてである。
クリップボードという製品がある。街角でアンケートに答えたりするとき、アンケート用紙の下敷きとなり、クリップで用紙を挟んでいるあれである。アッカーマンら(Ackerman, et al., 2010,)は街中を歩く人に声をかけ、仕事に応募してきた求職者の印象を答えてもらう課題を出した。この時、履歴書を挟んだクリップボードにちょっとした仕掛けが施されていた。ある人には普通のクリップボード(340g)が、またある人にはそれと分からないように細工された「重たい」クリップボード(2040g)が。
https://science.sciencemag.org/content/328/5986/1712
面白いことに、重くしたクリップボードを使って答えた人は、求職してきた人をより真剣だと評価した。手元が重いだけで、応募書類の人物はなんとなく「しっかりしている」という印象を与えたというのだ。
そこで彼らは、次に大学のキャンパスを歩いていた人をつかまえて、大気汚染や公衆トイレなどについて政府は支出を増やすべきかどうかと質問した。使ったのは同じクリップボード。今回もまた、重いクリップボードを持って回答した人は、支出を増やすべきと答える人が増える。実際に普通のクリップボードと差がついたのは男性のみだが(女性はいずれにしても増やすべきと回答)、重いものを持つと物事も重要に感じてしまうらしい。「重圧」は、本当に重たいのである。
チャンドラー(Chandler, et al., 2012)らも似たような実験をしていて、人工的に重たくした本はより重要な文献だと感じられる傾向があると報告している。重要もまた「重い」。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022103112000510?via%3Dihub
ふれた経験が対象の認知に与える影響はこの他にもいくつか報告がある。クリシュナとモーリン(Krishna & Morrin, 2008)はもろいカップで水を飲むと、しっかりしたカップで飲んだときより、飲んでいる水の質を低く評価してしまうと報告している。やっぱりガラスや磁器は飲み物を飲むのに向いているということになる。「しっかりしている」の意味は、強く、固く、安定してて信頼できるという意味で、モノだとそれは物理的な感覚として表現されるが、この感覚はヒトにとってさまざまな形で印象づけられるようだ。モノのデザインをするときには、重さや手触りといった、触覚の質感にも気を遣ったほうがよいのだろうと思われる。
https://ssrn.com/abstract=2552160
モノの質感に限らず、われわれは「さわる」こと自体を求めているようだ。ペックとシュー(Peck & Shu, 2009)はおもちゃやマグを見ただけの人と実際に触れた経験をした人の間で、対象の価値が異なると報告している。触れた経験があると、およそ20%は価格を高く見積もるとのこと。また、彼らは、実際にそれを所有していなくとも、その製品にさわることで所有感が高まるとも指摘している。見ることではなく、さわってみることで対象との「つながり」が生まれる。大阪にある電器店のキャッチコピーに「来た、見た、買った」というナポレオンばりのフレーズがあるが、実際は「来た、見た、触れた」の方がもっと売れますよ。
https://academic.oup.com/jcr/article-abstract/36/3/434/2900262
その他最近よく聞くのは、買い物をする時に店舗まで行って、実際に触れて購入を決断するのだが、本当に買うのはネットでクリックという話である。こうなると必要なのは店舗ではなく、体験型のショールームなのではないかと思わずにはいられない。
私たちは生まれた時、しばらくの間は視覚や聴覚よりも触覚をより主要な感覚として知覚している。手だけではなく、唇や頬なども敏感で、これらからの感覚を取り込んで今に至る。ふれることのデザインは、私たちにとって最も古くからの「慣れ親しんだ」感覚へのアプローチである。