「アマチュアに勝てないプロ」
まだ家具が揃いきっておらず、元々使われてたソファやテーブルにリネンを掛けて撮影させて頂いた。
安い家具も布で覆えばそれなりになるし洗いやすい、発見。
どうしてもAEPで白系の塗装にすると安っぽさが出る上、謎の緊張が生まれるので避けたく3色のコントラストのグレージュ。
色を明瞭に使い分けるのも作為感が出て安心するけど、落ち着きのある騒がしさが施主に程良く。
やはり今回も家具や壁や天井の角から生まれる輪郭を一本でも少なくする為に考え続けたわけだけど、余白論やless is moreに引っ張られ過ぎではなかろうかと、ふと思う。
我々はなぜものづくりを続けていくとミニマルかコンセプチュアルに辿り着くのだろうか。
リノベーションの業界としては、多様な個性が認められる状態に向かう方が面白くなる気がしている。
それとは裏腹に現実は断片的な踏襲の集合が大衆化されたいくつかの系統のみが残ってしまっている気がしていて、設計やデザイナーの個性なんぞは多くの施主は求めていないのだろうと。
そんな中で僕に依頼をされる施主たちは僕の個性や人格に費用を充てて下さるわけなので、アート買うみたいな行為に近いのかも知れないなと思う。
そう考えると隣人と同じものを作らないのが最低限与えられている制約かもしれない。
企業のオフィスで打ち合わせなぞしてる時、若手社員が納期や予算を守らずに上司的な人からプロ失格的な烙印を押されてる瞬間を稀に見るけど、なんとなく違和感。
で。
最近だと、趣味でやってる人の質がプロを超えてくる作品をしばしば見ていて、それの方がプロ失格な気がしていて。
なぜアマチュアがプロを超えられるのかを考えていくと、予算も納期も自分次第だからだし、そもそも好きだったり現実逃避だったりで制作をしているから。
そう考えていくと、より良いものを目指すのであれば、納期と予算を守らないという選択肢も持っておかないといけない。
ものづくりに対して日常的に考えてる長さは依存もしくは好きの度合いに比例するので、プロもアマも関係がないわけだし。
とりあえず今案件も自然に頼らない揺らぎは作れなかった。
波動超むずい。
でも音と臭いと映像になってくる気はしている。