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感染症の日本史から
【どうして歴史を学ぶの?】
歴史の授業が始まる1時間目。
「どうして歴史を学ぶの?」
この問いだけで45分の授業をします。
様々な答えが出てきます。
「今の恵まれた暮らしに感謝できるように」
「昔、どんなものを使って暮らしていたか知る」
さすがに、小学生だから「歴史を学ぶ意味なんてない」という子はいませんでした。いたら、さぞ面白いのだろうと思います。
「戦争の悲劇を、二度と繰り返さないため」
という答えが出ました。子供の答えのすべて正解ですが、私がこの時間になんとしても伝えたいと思っていたのは、この子が言ったように、「歴史を今に生かすこと」でした。
【歴史から学ぶ価値】
磯田道史さんはよくテレビでも見る歴史学者です。
大好きで、彼の本を集めています。
彼が歴史を研究する理由の一つは、まさに「歴史を今に生かすため」です。
・南海トラフ地震が何年周期で来ているか調べ、未来を予測する。
・武士の家計簿から、貧困の中でもたくましく生きていく日本人の姿を学ぶ。
などですが、今の私たちにとって、関心があるのが「未知のウイルスに対して、人類がどう戦っていくか」だと思います。
磯田さんは「感染症の日本史」という本を出版しました。
【感染症の日本史から】
日本は有史以来、多くの感染症と付き合ってきました。
コロナのようなパンデミックは、今に始まったことではないようです。
では、昔の日本人はどうやって大流行する伝染病と向き合ってきたのか、非常に興味深いことがわかりました。
江戸時代の様子をもとに、今と比べてみましょう。
物資の高騰。
現代はマスク。江戸時代は薬とみかん(ビタミンが多く、薬の代用品だった)
時短営業・営業自粛
現在は飲食店やホテル。江戸時代も茶屋や旅籠屋。さらに銭湯。
給付金
現代は一人10万円。江戸時代は米(お金を酒に使う人がいるから)。
所得制限
現代は無し。江戸時代は在り。(表通りに住んでいる人は裕福と見なす)
隔離
現代はホテル、自宅。岩国藩(山口県)は隔離地域の指定(隔離された人たちには、生活支援も行った)
どうでしょうか?江戸時代も、今とあまり変わらない伝染病対策をとっていることがわかります。
個人的に最高なのは、給付金をお金にしなかった理由が「お酒で飲んでしまわないようにするため」というもの。
現代で言うと、現金は「貯金すると眠ってしまう」という側面もあります。「生活を守るため」という目的で、思い切ってお金以外で給付、ということも江戸時代ではやっていたようです。
もちろん、江戸時代も世論でいうと「金がほしい!」だったのでしょう。
でも、世論に左右されない江戸時代の政治的強さを感じます。いい悪いは別ですが。
【上杉鷹山の名政治家っぷり】
米沢藩の誉れ高い名君、上杉鷹山。
彼は、自粛政策に異議を唱えました。
天然痘にかかっている家族がいても藩士たちは出勤してもよい、と伝えます。
多少、感染者がお城の中で増えても、「行政機能をストップさせない」ことに重きを置いたのです。
現代で言えば、ロックダウンよりも、経済を止めない!という感じでしょうか…。
さらに江戸から優秀な医者を呼び寄せます。診療を受けるのは無料にしました。
進んでいるのは、公助をベースに感染症対策を進めながらも、共助と公助の合わせ技にも挑戦しているところです。
「生活が成り立たない者がいれば、申し出なさい」
と指示しました。これは公助。さらに、
「頭領、または近隣のものが、よくよく心を使って申し出なさい」
と、近隣での助け合いを伝えたのです。たしかに、感染症で一家ダウンしていれば、藩に自分たちで申し出るのは不可能。共助と公助を一体にして感染症政策をとったというのは、今の日本では難しいのかもしれません。もちろん、ほかの事例を見れば、公助と共助の合わせ技はたくさんあります。
鷹山は、これだけ手を尽くしても、米沢領内で8389人が天然痘に罹患、死者が2064人になったことを悔やみ、翌年の正月の祝賀をやめました。そもそも、ネットもインフラも整備されていない江戸時代でここまで正確に罹患者、死者を記録していること自体が、一人一人の命を大切にしていた証なのです。それくらい、民の命に向き合っていたのです。
やれるべきはやる。国民の命に心から尽くす。
これが、過去の日本人たちが私たちに伝えてくれていることだと感じます。
三浦健太朗