1年生教室は幼児教育のるつぼだった
1年生の教室で、ひらがなの授業に参加しました。一つ一つのひらがなをどのように書くのか、書き順やきれいにかくポイントも学びます。私は1年生の担任経験はありません。だから、アサガオの観察日記を書くために、
「『わ』ってどうやって書くんだっけ?」
などとつぶやきながら、文字でアサガオへの発見を残していく子どもの姿を見ると、言葉を学ぶ尊さを感じずにはいられません。もともと、言葉って人に何かを伝えるため、思いを紙に残しておくために使うんだよな、と今さらながら当たり前のことに気が付きました。
そんな大事な言葉であるひらがなを学んでいる1年生。学びに対して反応がよく素直です。ただ、それだけではありません。
机に「うんこ」という文字ばかり書いている男の子。裏面利用のリサイクル用紙をもってくると、喜んで「うんこ」というひらがなをたくさん書いていました。担任の先生との練習には、自分の書きたいタイミングでついていっています。それに、この「うんこ」という字がていねいで、めっちゃきれい。そう思うと、「う」も「ん」も「こ」も、それなりにバランスが難しいひらがなですが、大したものです。自由ながら、学ぶ思いはしっかりもっているようです。
いすに座らず、うらがわに回り込んで、椅子を支えるようにすわる男の子。いすは座ることを支えてくれるものなのに、自ら支えにいくとは、面白い子です。ひらがなの練習も、ついていっているようです。先に進んだ子どものための色塗りスペースもありますので、座らせて色鉛筆をにぎらせました。すると素直に、色塗りを開始。きれいに仕上げていました。
全体を見渡してみると、学び方も実に様々です。思い出したのは、幼い子どものいる若い養護教諭さんのお話です。
「保育園は、1年空きが出るのを待ってでもA保育園にいれました。保育の姿勢がすばらしいのです」
と言っていました。なんでも、子どもが能動的になるのを待つ。そして、そこから個に応じて指導していく姿勢のようです。
他にも、椅子に座って一斉に指導する幼稚園の価値、芸術性に傾倒して教える保育園の価値など、幼児教育は保護者が自分の理想の保育のために選択していろいろな個性をもつ幼稚園・保育園に預けることができます。もちろん家から近い、ということもあるかと思いますが、わざわざ引っ越ししてまで入れる保護者も珍しくはないようです。
そうして、保護者が子どもを育てたい環境をそれぞれ「選択」してきた先が小学校。そこでは学習指導要領という一つの目標に向かって一斉に走り出します。
大自然の中をかけ回っていた保育園の子も、絵や音楽に1日中親しんでいた子も、体育や音楽の時間を他の子どもたちと一緒に受けることになります。椅子に座っていた時間も経験をばらばらです。はだし保育を続けてきたために、授業中にくつを脱ぎだすという特徴の保育園卒園生もいるようです。
育ち方、生まれ方の個性がまちまちな子どもたちを30名、教師が基本的に一人で見る。いかに、1年生の先生が寛大で、懐が広いのかがわかります。どんとこい、幼児教育なのです。あれがよくて、あれがだめ、ということはないのです。ただ、小学校で学ぶことのために必要なことを習得する、ということなのだと思います。
だからこそ、1年生教室は幼児教育のるつぼ。
育て方の個性も、生まれの個性も様々で、実に生き生きした教室で、大好きです。
三浦健太朗