私にとって大切なこと
正確には『人』『人達』であろうか。
人との出会いは、出逢うべくして会う『必然』とも言われるが、世界中の人口を考えたら、それはもう、ものすごい『奇跡』としか思えない。
小さな頃から私の節目節目には、大切な存在がいた。(私が勝手に思っていたのも含めてね笑)
そんなたくさんの出会いの中から、今日は祖母のことを書いてみよう。
私の祖母。
初孫であった私をいまだに、かわいがってくれる。
祖母が、私は居てもいい人間。存在価値のある人間だと、私に教えてくれた気がする。
でも、そう気がついたのは最近のこと。
ずっと、自分が分からなかった。
いつからか、自分が嫌いだった。
だけど、祖母は私を否定しない。
どんなときも受け入れ、そしていつでも私を褒めてくれる。
書いてて泣きそうだ。
自己肯定感の低い私は、常に頑張らないといけなかった。
自分が我慢することで、周りがよくなるのなら、それで良かった。
だけど、私は徐々に壊れていった。
自分らしさってなに?
自分に優しくって、どういうこと?
自信があるって、どういうことなの?
自分のやりたいことをやるって、どうしたらいいの?
なんのために生きてるの?
生きている意味が分からない。
どんどん、追い込まれていった。
たまに、ふと祖母のことを思い出す。
祖母は今97歳。実家の近くで1人暮らしをしている。
『ひとに迷惑はかけたくない』そんなことばかり口にする祖母。
1人で買い物に行き、食事の仕度も、洗濯も、全て自分でする。
もう尊敬しかない。
私の両親が『一緒に住もう』と言った時も、『自分で出来るから』といって断った。
自分で出来るのにしなくなると、どんどん出来なくなるって。
祖母は8人兄弟の長女。(確か8人です。)
祖母の少女時代は戦争中。
学校なんて、当然行けない。
農家の仕事。家のこと。弟や妹のお世話。
私が物心ついた頃には、祖母はよくこんな話をしていた。
『ばぁちゃんは、学校にも行けなかったから、漢字は大人になってから、自分で練習したんだよ。』
そんな祖母から、たまに来ていたハガキや手紙を読むと、そんな祖母の漢字を見ると、涙が溢れそうになる。
どんな思いで練習してきたのかな。
そう思うと胸が苦しくなった。
そんな祖母とは、もう何年も会えていない。
会いたい。
母から話を聞いたり、たまに実家とのテレビ通話に映ってくれる祖母は、確実に年をとっている。
当たり前か。97歳だもんね。
でも、その年齢を思ったら、とても健康だ。
だけど、何があるかは分からない。
祖母はきっと最後まで『ひとに迷惑をかけたくない』と思うのだろう。
『コロッと逝きたい』が口癖だから。
でもね、おばぁちゃん。
迷惑ってかけてもいいんだよ。
私もね、ずっとそう思っていたの。
だけどね、それが自分を苦しめていると気がついたんだ。
迷惑だなんて思わないよ。
頼って欲しい。甘えて欲しい。
きっと祖母の生きてきた環境は『自分が頑張らないと』生きてこられなかったんだろうね。
私も同じだ。
でも、もうその思いは捨てるよ。
すぐにとか、いっぺんにとかは難しいから、少しずつ。
だからね、おばぁちゃん。
きっとすでに、本当は大変なこともあるでしょ。
実家から歩いてすぐの距離には住んでいるけれど。
お願いしてもいいんだよ。
頼っていいんだよ。
このコロナがいつ落ち着くのかは、分からない。
落ち着いたら、会いにいきたい。
だから、まだそのまま、元気でいてね。
伝えなきゃいけないことがあるから。
『私を認めてくれて、ありがとう』って。