文化人類学から学ぶ"cultural relativism"と異文化理解
はよにちばんは!Nijiです。皆さんは、海外旅行、好きですか。私は大好きです。行きたくない国はないと断言できるほど、どの国や地域にも興味があります。海外旅行をしたり、文化や言語を知っていく中で、「日本の常識からしたらありえない...」と思ったことはありませんか。この記事では、そのような場面に遭遇した時に使える、ちょっとした思考のトリックをご紹介します!
"cultural relativism"とは?
私はオランダの大学で社会学を専攻していたのですが、3年生の時に副専攻で「文化人類学(英語:cultural anthropology)」を取りました。そこで初めて出会った考え方が、今回のテーマである"cultural relativism"、日本語でいうと「文化相対主義」です。定義は「社会に存在するグループが持つ文化や価値観を、自分の常識や文化的背景を使って理解しようとするのではなく、当事者の文化的背景を使って理解するべきだという考え」です(ソース:Rereading Cultural Anthropology by Melford Spiro)。簡単な言葉でまとめると、他のグループ(国など)の文化を理解するのに、自分の国の常識や自分のものさしを持ち込むのではなく、その文化圏の人々の立場に立って理解を深めるよう努めようということです。
マオリ族の例
文化人類学の論文でよく持ち出されるのが、「発展途上国の村で、現地の人々や文化を研究をする欧米出身の研究家」の例です。Martelらは、直接的に「文化相対主義」という言葉を使ってはいないものの、ニュージーランドの先住民であるマオリ族の例を用いて、似たようなことについて語っています。欧米の常識では、神などのスピリチュアルは「非科学的」と見下されがちですが、マオリ族の中の常識では、スピリチュアルは当たり前且つ神聖なこと。欧米から来た研究家たちは、自分たちが慣れ親しんだ「欧米の当たり前」を研究に持ち込まないことを意識し、「マオリ族の人たちの目線で」研究を進めるよう努めるべきだと書かれています(https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/1558689820984028)。
Cultural relativismに対しての反論
もちろん、何事にも反論はつきものです。文化相対主義も例外ではありません。実際に、「欧米の常識を持ち込まないと、途上国の人権問題は解決しない」という点が論じられています。例えば、キルギスの誘拐結婚を擁護する現地の人々がよく言うのは「誘拐結婚はキルギスの伝統なのだから、部外者の外国人が口を出すべきではない」という意見です。キルギス国内にも、誘拐結婚に反対している人はたくさんいますし、反対運動をしている女性もたくさんいます。誘拐され、自ら命を絶ってしまった女性もいます。このような時に、欧米の「先進的」で「男女平等的」な視点を持ち込まないと、女性たちは一生苦しみ続けるという論述です。
海外旅行や異文化理解につなげてみる
本の中や学術的な論争から飛び出して、海外旅行や異文化理解につなげてみましょう。外国人の文化を「それは日本の常識ではありえない」、「途上国の文化は日本文化より劣っている」、または「日本文化はダメ。欧米のようになるべき。」と比較したり、「手で食べるなんて汚い」と貶すのではなく、それぞれの文化圏なりに異なる背景や理解の仕方があるんだというふうにちょっと考えを変えてみると、異文化理解が進むかもしれません。
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私のnoteでは、主に社会問題や異文化について語っていきます。オランダで日本人女性としてオランダで社会学を専攻した経験や私の視点を基に、鋭く語っていきます。noteを続けるにあたって、いいねやフォロー、コメントで応援してくださると、非常に精神的励みになりますので、ぜひ応援よろしくお願いします!