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求められる仕事があるということ

沢尻エリカの復帰作となる舞台『欲望いう名の電車』を観劇してきました。

テネシー・ウィリアムズのあまりにも有名なこの作品は、コンプライアンスやハラスメントに厳しい現代において、あまりにも多くの問題提起を示してくれます。

没落と破滅、差別と暴力、全編を通じて重苦しいテーマが付きまとう戯曲ですが、本作において演出の鄭義信は登場人物のセリフを関西弁に置き換えることでコミカルな楽しさを見せてくれます。しかし、ブランチ(沢尻エリカ)とステラ(清水葉月)は標準語で話します。セリフの中で交わらない文化の違いや根底に流れる人種差別を方言で示したのはあまりにも見事だと感じました。

さて、とにもかくにも沢尻エリカです。

舞台が始まり、最も目を引いたのが沢尻エリカの抜きん出た美貌です。ブランチという役柄がそうであるように、上流階級出身の品の良さを身にまとい、悪い意味で「自分がいい女だとわかっている女の仕草」が随所に見られます。もともと演技力にも定評があるだけに、まさに与えられた役を全うする輝きがありました。

伊藤英明の無骨なスタンリーもはまり役と言えるでしょう。バラエティによく出演していた頃の粗雑なイメージが思い出されます。とてもイメージに近い印象でした。そしてその出自や基本的な価値観の違いが噛み合わない様がそれぞれの風貌と相まって、物語により深みを与えてくれました。

『欲望という名の電車』に悪者は登場しません。スタンリーの中に悪意を感じることがあるかもしれませんが、彼にとってはステラとの大切な生活を脅かすブランチの存在こそが悪だったのです。

人はみな、自分が幸せであることを望みます。誰かの幸せを願うのは、まず自分がその状態であることが必要です。人はみな、間違えます。ときに誰かを傷つけたり苦しめたりしてしまうこともあります。過ちを認め、償い、反省し、そして自らと近しい人の幸せのために新たな一歩を歩もうとする。私たちが人生を続けることは、この繰り返しです。

だから、前に進もうとする人を、人は赦さなければなりません。
過去は変えられず、その十字架を背負って生きる者はその意味を理解しています。すべての悪や罪が赦されるわけではありません。それを背負って生きていく者たちを赦すことを、私たちは学ばなければならないのです。

閑話休題

昨今、トラブルを起こした芸能人の復帰については厳しい状況が続いています。不倫、薬物、投資、など社会的イメージが悪いものが目立つことも一因ですが、キャンセルカルチャー自体がトレンドのようになっている風潮もあります。才能や実績なども含めて蓋をされることは文化的な損失につながる可能性もあります。なにより、彼ら自身が持つ才能や培われた能力を発揮できないことが大きな損失です。

名優、沢尻エリカが、『欲望という名の電車』という舞台で復帰したことを多くの人が歓迎しました。劇場のスタンディングオベーションは鳴り止まず、最後の最後まで観客に深く感謝を示した沢尻エリカの姿を、私は生涯忘れることはないでしょう。



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