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【読書感想】苦難の中で、社会から忘れ去られていても-3



先日、大阪にもひとつだけ神宮があるというと、
社長に驚かれました。
大阪の人のはずだが 

【読書感想】苦難の中で、社会から忘れ去られていても-3






そこで人と人とが協力しあっていれば、地獄ではない。


石牟礼道子さん作「苦界浄土」


水俣病患者・坂上ゆきさんの聞取り書。


漁師の女性は働き者で、水俣病の症状で全介護状態であることを恥じます。

熊本の柔らかい方便で、

・三度三度の食事を全て食べさせてもらうのは、介助する側も大変だろうから一回で良い。

・流産した子の遺体を「頭に障るから」と言われ見せてもらえなかった。ある日病院で出た食事に魚があって、それを「子が海に還った」と、そのときはどうしても魚が赤子のように見えて、自分の我が子のような気持ちで、手足の自由が効かないのに、必死で這いつくばって懸命に食べた。奇病のもたらす気持ちとは不思議なものだ。

「妙なもん、わが好きな魚ば食うとき、赤子(やや)ば食うたる気色で食いよった。奇病のもんは味はわからんが匂いはする。ああいう気色のときが、頭のおかしうなっとるときやな」

・自分は業が深いから、また人間になるだろう

「人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろうか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に替わってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで、二丁櫓で。漁師の嫁御になって天草から渡ってきたんじゃもん」


そういう心情が綴られています。


章・「九龍権現様」にて、杢太郎少年を全介護する祖父の心情が述懐されています。


「罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢のほうにはようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持って生まれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴にわしどもが後から入って、抱いてやろごだるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん(※石牟礼道子さんのこと)」


やまゆり園の事件で犯人が述べた動機だとか、SNSで「障がい者は家族が大変だからいない方が良い」と発信して炎上するアカウントの例は、昨今枚挙に暇が無いけれど、発達障害児を育てる母としてのみならず、「苦界浄土」を通読した立場から考えると、そうした意見を言っている側って、穿った意見のつもりなのでしょうけど、その「極論」がいかにも今風で底浅いです。


浅すぎて、議論の俎上に載せる価値は無い。


杢太郎少年のお祖父さんも…これは聞取り書という体の私小説なのですけど、杢太郎少年を先に見送ってから、自分等があの世に行って再び彼を抱きしめたい、という描写があります。

介護に人生を捧げる人はー捧げざるを得ずにそうした道を歩むことになると思うけど、誰しもそう考えるでしょうね。私ですら、私が逝った後息子は自分で自分を守る行動を取れるだろうか、と悩むことがあります。


けど、そうした運命を受け入れる人、受け入れようと足掻く人、命のことで悩む人に、第三者が「そんな運命は可哀想だ、間違ってる」なんて言って、口だけ挟めるような事では無いです。

余計なお世話なんですよ。支援をするわけでもない、ある種の問題を「論じたい」、論じる事自体を目的に、事例を調べて論じるのは、余計なお世話なんです。

シンプルに「余計なお世話」だってことが分からずに、社会活動のつもりで論じること自体が、軽挙という意味で阿保でありナンセンスです。


私自身にも何らかで返ってきそうな批判ですが…。





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