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読書という合法の抗うつ薬

 僕は非常に怠惰な人間なので、気を抜くとすぐ自堕落な快楽に耽ってしまう。休日は正午過ぎに起き、ベッドの上でごろごろ。スマートフォンを手にしてYouTubeを見始めたらおしまいだ。正直それほど興味ない動画を延々と見続け、気がつけば時間が飛んでいる。

 無為に過ごした休日の終わりには、決まって憂鬱が訪れる。まるでどうしようもない僕を神が罰するかのように。いつのまにか気味悪い毛虫に変身してしまって、本当に床から起き上がれなくなってしまうのだ。なんのやる気もなくなり、ただただ人類が滅べばよいと思ってしまう。

 どうしてそう感じるのか、色々な言葉を使って説明出来そうな気もする。動画視聴によって過剰にドーパミンが分泌されて、だの。悪い姿勢のままだと脳に血液が届かず、だの。でもそんなことは重要じゃない。とにかくあのおぞましい胸糞の悪さをどうにかしないといけない。

 全身に鉛の十字架が乗っかって全身を圧迫し、自律神経がイカれて脳みそがぐあんぐあん。ただ気持ち悪い!もう生きていたくない!助けて誰か、ぎゅうしてくれ!とバッドに入るあの瞬間。人格が悪魔に乗っ取られ、一時的にメンヘラになる。

 そんな僕を救ってくれるのは読書だけだ。なんとか全身の力を振り絞って本を開く。今日読んでいたのはアンドレ・ジッドの「狭き門」。素朴なラブストーリーの中に、神への信仰と愛の問題が実直に問われた半自伝的名作。どんなゴミ虫だって、彼の文章を読めばぐっと物語の声に引き込まれる。

 ページを繰る、一筋の文章を追う。リズムに乗ってくれば、言葉と声が聞こえてくる。意識が自然と集中し、呼吸も落ち着いていく。精神が物語に編み込まれていき、知らぬ間に憂鬱は霞んでいく。

 あのどうしようもない恍惚感と一時的な救済とも言える安寧は、瞑想をした時にたどり着く涅槃に似ているような気がする。目を閉じて呼吸に集中し、頭の中に沸いて出てくる思考の言葉そのものを滅却していく。その過程で訪れる、苦悩からの開放と安らぎ。そこにはどんな執着も感情もない。

 僕が本を読むのが好きな理由の一つには、読書にはそんな抗うつ薬的な効果があることも挙げられるだろう。他にももっと魅力があるけど、それを書くにはあまりに余白が少なすぎる。

 読書や瞑想がなぜ感情を落ち着かせる効果があるのか。脳科学的にはそれらの活動によって感情の抑制を司る前頭前野が活性されてうんぬんかんぬん、うつ病の人はそこが機能不全に陥っているために抑うつ感情をだらだらぱらぱららしい。科学についてはあまり良くわからない。科学のテストはいつも欠点だった。あと数学も。

 とにかく、僕は読書と瞑想には抗うつ薬的な効果があるよね気持ちいいねっていう話がしたかっただけなのだ。みんなもおくすりキメて精神世界を統一しようね。

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