美少年史
美少年が互いに己の存在を見たとき、初めにあったのはどちらが先にフェラチオを行うかと云うことと、その場合それはオート・フェラチオにあたるのかということであった。ご存知の通り、オート・フェラチオとは自らの男性器を自らで咥える行為を言い、通常であれば特殊な訓練か才能が必要になる。美少年が互いを自分と認めて、自分の目から見ればオート・フェラチオであるというのは簡単だが、彼(ら)はまたご存知の通り、面倒な気質で、しかし主観で、そんなにも安易に物事を定めてしまってよいか二人とも疑問だったために、もう一人の自分にフェラチオをさせると、それがオート・フェラチオなのかわからず、まず互いの同一性を証明せねばならない。姿かたちは、互いに同じだろうと認めた。もっと小さな単位で見れば差があったかも知らんが、だとしてもわからないと勘定に入れなかった。美少年は互いに脱がせ合って右の肩甲骨と、同じく大腿骨の少し上、右側の黒子を確認し、舌の色や瞳の淀みを見せあった。ついでに耳垢も見せあったが、すべて同じのように見えた。美少年はこれ以上は目で判断できないと同時に気が付き、これが同時だったことに喜んだものの、すぐ冷静になって記憶のあわせした。
美少年の住む町は城南という寂れた海沿いの町だった。かれは元漁師の息子で、海にほど近い、古びた木造建築に住んでいた。一階の台所の白熱電球は切れかけていて、ふらふらと明滅していて、幽霊のように影を途切れ途切れにさせる廊下の先を行って階段を上ると、奥方に彼(ら)の部屋へ通じる藤柄のふすまが見えた。彼(ら)の歳は17で、数か月で18になろうというところだった。背は170.4㎝で、体重は58㎏だった。好きな本はドン・ジュアンで、これは中学時代の同級生に勧められ買った本だった。いつもは勧められた本を読むことはまずないのだが、この時は自分でもよくわからない理由から本を読み、いたく気に入り、運命論にしばし傾倒したものの、全ての行動が神によって運命づけられている、というフレーズが癇に障り、運命はともかく縁みたいなものはあるのだろうとした。これは縁だろうか?縁かもしれない。二人の記憶は過去に見たテレビ番組から昨晩の夕食に出た煮びたしに乗っていた梅肉はいつ買ったものかどうかまで同じだ。「最後になるけれど」ベッド際のほうにいた美少年が言った。歳の割に幼さを残していた。「今気づいたことではあるんだけど」「僕も気づいたよ」学習机の椅子に座っていたほうの美少年が同意する。声については同様である。「僕たちが違う場所に存在しているのはどう説明できるんだろうね。別の場所にいて同一人物と言えるかね」
場所が違うのは確かなのだ。場所が同じであるなら彼(ら)は互いを感じることはできない。にも拘わらず感じているというのは彼らが同一存在でないことを証明しているだろうか。いや、そうか?別の場所にいるというだけで同一存在でないと言えるのか?自分たちの偏見や常識に引っ張られていやしないか?なにしろこの状況はどう繕っても尋常ではない。だというのに、この期に及んで古い価値観を使って判断してよいものだろうか…?この議論は良く続く。二人の間に論が飛び交う。しかし自らと自らの説が、互いの説を反対にするか、肉付けをするかのどちらかだということには気づかなかった。とうとう、言葉がつまり、知恵熱まで感じてくると、奇妙なことに愚にもつかない結論に飛びついてしまう。そのうちに気分が萎えてしまったか、ここで彼(ら)は一時休憩にして、彼(ら)はじゃんけんをして、勝ったほうが負けたほうにフェラチオをして、負けたほうもその後で勝ったほうのペニスに口をつけた。
【ここでベッドを美少年A、学習机を美少年Bとする。この決定はどちらかに優劣をつけるものではなく、便宜のためであり、単に偶然によるものである】
問答を中断したところで、現実的な話をすると、彼(ら)は生活スタイルを確立すべきだと考えねばならない。なにも難しい話でない。彼(ら)は二つになっているわけだから、今までの彼らの消費物は、すべて半分になると考えてよい。それも半分とは総量の話であって、例えば食事の場に二つで立つわけにはいかず、両親がいないときならまだしも、いるとき片方は上で空腹をしなければならない。「そんなのはごめんだね」美少年Aが言った。「そうだよね」美少年Bも同意した。「僕はお前に無意味なを掛けたくはないんだ。自分だしね」「それだけ?」「いや…いや、わかってるでしょう。そっちだって同じ気持ちのはずだ」「意地が悪かったかな?」「言われるとは思ってたよ」
ベッドに腰かけていた美少年Aが美少年Bの肩に手をかけた。縫うように迫ってみせると、瞳が合い、長い睫毛が強くそよげば触れそうだった。美少年が、仮にこのようにして他人に近づけば、ほとんどの場合、大きな動揺がある。しかし美少年Aが片割れに見出したのはそうしたものでなく、深い愛情であった。
殊更に強調することではないと思われるが、美少年は好き合っていた。もともと、自己愛の強い性格ではあったが、ここではさながら池に映った自分を見続けて餓死したナルキッソスのような耽溺具合であって、彼(ら)は自分に対し、ちょっとでも苦労や面倒をかけたくなかったのである。
「でも実際食事は一人分しかないし、一人の人生を生きるには僕らはちょっとばかし多いね」「じゃあどうしよう」「わからないけどお腹はすいたね」わからなかったのでとりあえず出てきた食事を上に運び、二等分にして分け合った。
彼(ら)は自分たちのそれが外に露にされたとき、どのような反応があるかをミュレートする。1,彼らは本当に双子ではないか2,ただ気味悪がられるか3,テレビ出演が殺到するか4,軍事転用できるか調べられるか5,解剖されてしまうか6,芥川龍之介について訊かれるか。後半へ行くにつれてどうにもネガティヴになってきたので、結局やめることにする。次いで、やはり下手に露にするものではないということも再確認もする。
しかし問題がある以上わからないではすまないのだ。彼らは次の策として、食事中にトイレへ行って入れ替わったり親のいないときに食事を作ってみたりといろいろ試してみたが、しばらくすると怪しまれてしまった。原因は必ずしも彼らにあるのではない。母親が実に煩いのだ…父親は全然全く気にしていないらしいのに…母親はとても口うるさい。思えば父親が漁師をやめ、町金で働きだして以来ずっと苛々している。以前のほうが暮らしは貧しかったはずだし、我慢だって多かったはずなのに…。美少年は結局、分け合って足りないならどこかから足さなければならず、足せばどこかから減って、そのどこかが煩いのでは上手く行きようもないのだと結論付け、片方が学校に行っている間、もう片方は堤防まで行って釣りでもすることにした。日に焼けて差が出るといけないので、日焼け止めをたっぷり塗って頭に大きなストローハットを被った。
誰かに見つかる可能性は依然としてあったが、田舎故か学校をさぼっても大したことじゃないとするような気風で、見つかっても深刻なことはないと思ったので、ただ具体的な会話はしないことにして二人は交代で学校と堤防を通う。
7月14日は抜けるような青空で、美少年Aが堤防へ行く番だった。程よく遠いところまで帽子をかぶり、氷の入ったクーラーボックスと簡素な釣り竿、それから餌を抱え、満島というでくの坊の住む家の前の堤防を昇り、テトラポットに腰かけた。テトラポットで釣りをするときは、テトラポットとテトラポットの隙間に糸を垂らし、そこに住む魚を狙うのがよい。魚拓を取りたくなるような獲物を望むことはできないが、小食の美少年の腹を満たすぐらいは難しいことではない。彼はテトラポットの隙間を注視した。昔どこかの識者が深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだ、などと言ったそうだが、ここでは実際に、暗い水面の下から魚がこちらを窺う。美少年は一歩その場から下がり、針の先につけた餌を少しばかり揺らした。
釣りは釣りであるからして、向こうがとりつくまで動くことはできない。太陽が肌を照り付け、日焼け止めの上からでも焼かれるようだった。麦わら帽子の影ばかりが冷静で、その頭でどうして半そでを着てきたのだろう、長袖を着れば太陽光を防げたのに、と曖昧に意識をもたげさせると、ちょうど望んだように、美少年の体に影がかかった。美少年はしばらく背後に立った人物に気づかず、釣り竿を上下に振っていたが、やがて腰の疲れから足元を直すと待ちつかれた背後の人物は濡れた重苦しい声で、美少年に話しかけた。「そんところは危ないぞ。堤防の上からにしろ」美少年はその震え声に聞き覚えがあった。ストローハットを押さえて見上げると、口元の付きだした岩石のような顔つきの男が百鬼夜行の渦中を通ったような仏頂面でこちらを見下ろしていた。「満島じゃん」美少年は同級生の兄の名を呼んだ。「どうしたの」
満島康夫は満島直夫の兄で、去年の春から地元の製販会社に勤めている。大学時代は力士から筋肉分の体重を抜いたような男で、最近は会社勤めでやつれたせいか、やや肉付きは減り、これとともに目が窪み、欲求全部を捨てた容姿をしていた。
しかし今は、その目に暗い情動を宿している…なにしろ仕方のないことなのだ。満島は女に縁がなかった。中学時代から自分の腹回りの肉と、ジャガイモを叩いてどうにか人を見出したような容姿から、女子に近づく気にはなれず、それでも女子に笑顔を向けられると、すぐさま好きになってしまう惚れっぽさだった。しかしいかに惚れていようと振り向いてくれようもなく、色気より食を選べるようになるまで物を食い、しかしその裏、自分のみじめさに泣き、恋愛はあきらめたかと思えば、彼の豪快な食べっぷりを面白がる女子にからかわれて、またその子に惚れてみたりするのだった。ついに大学では仏教サークルに入ろうとしたが、太っていたので拒否されてしまった。つくづく太っているせいで女とは縁がない。就職を機に風俗へでも行くべきだと諭されるも、決心つかず、今日まで過ごしてきたのだ。
だから男に走ったというわけではない。満島康夫は美少年を知っていた。弟が彼を始めて家に連れてきたとき、どきりとして後姿を見送った自分を覚えていた。
今まさに彼は思い出したのだった。そして、これまで誰にも与えられなかったリビドーを、目の前の美少年へすべて押し付けたい気持ちになった。満島は女が怖かった。軽々しくこちらの心を翻弄する女を、本心憎らしく思っているのは事実だった。満島は相手が女ゆえにぶつけられなかった憎悪を、美少年に感じていた。
とにもかくにも、そのような理由だったのである。
「どうした?」訝しんで美少年が言った。
満島は黙ってテトラポットに降り立ち、美少年は釣り竿を上げて立って満島と相対する。口を噤んだままじろじろこちらを見る満島に、美少年はある予感を覚えている。美少年は華奢な体で、しらうおのような指先をしている。細いが、確かに男だとわかる腕で、なで肩ながら、今まで見た(もちろん液晶や紙面ではあるが)女性とは違う肉や骨の付き方で、顔立ちにもそれは出ている。しかしながら、美しいという点では、また、満島のリビドーを刺激したという点では、細かい特徴や性別も、ここでは関係がない。
満島は目を瞑った。自分の手が美少年の細い腕を掴み、こちらに引き寄せた。美少年の顔がぐっと近くなる。目が瞬いている。映っているのは恐慌や困惑、それから…性の光を、奥のほうに見出す…見出したのだ!満島は我慢ならなかった。ここまで手に入らなかったものがあっさりと篭絡するのを見て、彼はその淫乱さがどうにも辛抱ならなかった。美少年がなにか言おうとしたが、近づいていた顔をさらに近づけ、尖がった唇で美少年の薄いピンクの唇の、合う――ほんの少し上を、食むようにしてくっつけた。初めての接吻だった。美少年の、押し出された一瞬の吐息がした唇の内側をかすめ、満島はますます、興奮を高めていった。舌を挿し入れ、腰を抱き、テトラポットに美少年を押し倒した。美少年の舌は小鳥のような小ささで、腰は固く、しかし細い。唾液を流し込むと零れる形で美少年のそれがあふれ出し、甘露に似た淡い甘さにじれったさを覚えつつも、満島は美少年からいったん顔を離し――この時、唾液が飛び散った――サテン地のシャツのボタンをまくると、うっすらとあばらの浮いた胸と、ライチのへたのようなそれを舐め、吸った。美少年はほとんど抵抗を見せずシャツを開いた時に一度「日焼け止めを…」と言ったが、これの後はただされるがままになっていた。蝉や波や、夏を表す音の間に、ぴちゃぴちゃと水音があった。満島はそそりたったペニスを布地の上から美少年に押し付け、美少年のそれがカプリ丈のジョガーパンツの下でかたくなっていることを確認した。一部は妄想で、一部は真実だった。
「重いよ」美少年がももたに体重をかけられたことで文句を言った。「重いって」
満島は構わず、むしろこの細やかな抵抗に、憤慨しながら、または興奮を覚え、ますます体を押し付け、膝の先が美少年の腿の内側に入ろうとする。これには美少年も怒りを覚え、やや強い口調と手つきで、自分の薄い胸板に縋り付く満島の頭をたしなめるように叩き「おい!重いと言うのに!」と言った。
とはいえ、美少年は本心満島を嫌っているわけでも、気持ち悪がっているわけでもないため、その手に込められた力は、彼の暴挙を是正するほどのものではない。せいぜいが鬱陶しいぐらいである。満島の中の征服欲は大きくなっていた。それは満たされれば満たされるほど曖昧に、奥のほうへ進んでいった。満島は美少年の手を押さえつけ、引っ付けていた体を離した。
美少年は美少年であるからして、その息をつき、悦びのためか、息苦しさのためか、頬を染め、肩を上気させる姿は、満島をさらなる大胆へ赴かせるには十分な効果を発揮した。ここで彼がこれ以上の暴挙に――例えば、どんなリスクも気にしないような無謀さを現さなかったのは、堤防の内に知った声を聞いたせいだ。「康夫ぉーッ!今どこにいるぅーッ!?」母親の声だった。二人の脳裏に髪の薄い初老の女性の姿が顔にしわを刻み、息子の名を呼ぶ姿が想起された。
満島は堤防の向こうを見透かすように、テトラポットの上からコンクリートにあいまいな目線を送っている。まるで美少年の存在を忘れたような様子に呆れた美少年は「馬鹿馬鹿しいねまったく」と零す。はっとした満島が自分の影に覆われた彼を見下ろし、そして、ぶるぶると震えだす。身の恐ろしさについてようやく気付くに至った満島は自らの破滅と罪業に対する悔恨を一挙に抱え、母を誤魔化すでもなく、美少年からどくでもなく、呼吸の難しさを覚え、過呼吸を発症しそうになる。美少年はこの場を支配できることに気づいた。悪戯っぽい笑顔をこぼし、動揺する満島のよだれを髪と耳の先に感じながらも、美少年は少年のような気の浮き沈みを覚える。それは至上の楽しみである。一方的な蹂躙。「意味を考えるべきだよね」美少年が言う。「知り合いをさ、犯すなんてさ、後先まったくないよね」満島は体の震えを一層強くした。上に乗れば贅肉が減りそうなぐらい。「漫画なんかではほら、こういうのも許されるじゃない。勇気っていう形でさ、恋愛至上主義っぽいアレで、恋と戦争に手段はないというのと同じで。関係を変えたかった?」そうではない。まったくそうではない。いかなる場所にも、納得のできる大義名分などない。元来、まじめな満島である。この美少年の言葉とえくぼに完全にやられてしまい、顔を真っ赤にしたり真っ青にしたり今にも意識を失いそうになる。美少年はあまりに満島が震えるので、まさか落ちてこないだろうかと思う。「そんなこと…」もともと満島の情動は情動ゆえ。肉体の力では勝っていても、精神的に美少年を屈服させるのは土台無理な話だったのだ。
「でもね、僕は見ての通り、あなたに対して嫌悪感を持っているわけじゃないんだよ」美少年が言う。彼の声は年の割に幼く、見た目との乖離が、非現実的なモニュメントを思わせる。澄み渡る霧や、熱のない光に似たその声は、パニックで自分を失った満島の耳にも、溶け込むように入っていく。
「でもね、僕は見ての通りあなたを嫌がっているわけじゃないんだぜ」
満島は顔を上げる。期待と嫌悪を含んだ表情である。美少年はやけに緩慢な動作で満島の下から抜け出し、乱れた服を直した。途中なで肩がシャツを滑らせ、暗い中にぽつりと白い肌を浮かび上がらせた。「ねえ、わかるだろ?」美少年。美少年は満島を立たせる。
美少年は膝立ちになり、膝に軽い痛みを感じながらも満島に近づく。満島はされるがままだ。だがそれはさっきまでの美少年のような、受容の心を以てのことではない。ただなにをすればよいかわからず、美少年にはそれがわかっているように見えたのである。事実美少年は何もかも解決できる気になっていた。彼の思い付きは最近、最も気の合う人物のおかげで、より強く、何のしがらみもない領域に達していたのだ。
満島は母になにも答えず、美少年もまた満島の母に助けを求めない。美少年は性交渉に際して最も円滑で、最も後腐れなく、最も公正な手段として、いくらかの金を払うよう提案する。現金にて3万5千円。美少年は相場などの知識こそなかったが、それぐらいがよかろうとし、満島は――それが比較的安価な値段だと知っていたが、ここで思い出すことはなかった。かくして美少年は満島のズボンを下ろし、ボクサーパンツの下で圧迫されたペニスを撫でる。「ずいぶんだね…」と呟いた美少年は、そうしたことに慣れた様子であり、満島はある種の安心感を覚えた…美少年は実際慣れていたが、満島のペニスが自分のそれよりもはるかにグロテスクだったため、少しばかり扱いを慎重にして、ぐっと強く握りしめる。満島のうめき声…これが間違っている筈はない。美少年は満島の表情を窺いながら、ペニスを握った手を上下に動かした。下へ行くにつれて締め上げられ、上へ行くとひと時の開放があり…美少年は手のひらに脈動を感じる…まるで湧き水のようなそれを、手のひらで受け止めるようにして、満島が次第に、恐怖や怒り以外の感情から、体を震わせることに気づく。美少年はさっとペニスの射線から顔をずらして/強く押して出たリビドーの行く末を海の藻屑とする。
「早いね」美少年は手についたスペルマを手を振って掃い、堤防に擦り付けた。
満島はテトラポッドに尻餅をついていたが、辛抱たまらない様子である。ざわついたコンクリートの禿を注視し、陰嚢に溜まった残りの精を思う。渇望とともに首を上げ、なにか後光を持った美少年と、その手に滴った。自らのスペルマの中に、またしても性欲を見るのだ。
射精によって一時的に硬さを和らげていたペニスが再び血管に血を通した。完全に顔を晒し、背中から倒れるように美少年へ逸らしてみせると、鎌首をもたげたペニスが美少年の手や、口や、またどこかを求め、尿道に残った精液をカウパーが押し出した。
美少年はニッと笑った。彼はまるでアガペーを与えるかのように、亀頭の先に祝福のキスをするのだった。
ところでこのような出来事が海岸のテトラポッドの上で行われている間、美少年――美少年Bが何もしていなかったわけではない。彼は彼としてまた、己のやるべき用を済ませていたのだった。
彼(ら)の用とは、即ち、今までと同じように過ごすことであるが、基本的にそれは通学と帰宅のみである。なにしろ彼(ら)は自己愛的で、話すような仲の相手がいないではないものの、関係を進展させたくなるような、その場しのぎの用事以外の因縁を持った学友と言うと、これが一人としていなかった。それでもこれまではそれなりの付き合いを持つこともあったが、彼(ら)が互いの(この言葉は不適切である)姿を見るようになればそんな必要もない。寧ろ同一であろうとする彼らにとっては実感を持たせることのできない関係をどこかに作るのは不本意なことであった。
そのため一日を交代で過ごすという案にもはじめ多くの疑問が呈されたのだ。ここでわざわざ言うところではないがこの宇宙にまったく同じ瞬間は一度として存在しない。交代は公平、公正さを持った案ではあるが、本質的に妥協が含まれており、彼(ら)の言葉通りに進めるのであれば、一つにでもならない限り実現はあり得ない。
彼(ら)は人格としても他人と関わらなかったが、事情としても関わることが出来なかった。その通り、彼(ら)がどう思っていようと体は二つあるのだから…。
「顔色が悪いようだけど」
昼前、誰かがそう言った。美少年Bは笑って返したがやはり気力は以前の半分ほどであった。これはA、B、ともに抱えた問題であって、やはり現実問題として、全ての物を半分で分ければ、人体に影響が出るのは当然だった。
それでもここまで引っ張ってきたのは、偏に愛があるからだ。なにしろこの美少年、昼は気力がなくとも夜になると相手の顔が見れるので疲労が吹っ飛んでしまう。さながら4、5歳の娘に迎えられた父親のようである。それもここのところが限界かもしれない。美少年Bはとぼとぼと帰路を歩き、家について部屋へ小石を投げ、合図を見て母親が出かけていることを確認し、帰宅すると、高そうな寿司を前にあぐらをかいた美少年がいた。
「やあ」美少年はつばきを嚥下した。「なにそれ」
「臨時収入があってね」
美少年が得意げに言った。
そこで美少年Bがくんと鼻を鳴らし、
「風呂に入ったの?」
「そんなところ」
「それにしても高そうだな」
「高そうというか実際高いからね。さ、食べよう」
「臨時収入って?」
美少年Aは肩をすくめた。
「突発的に入ってくるお金のこと」
美少年Bは寿司を見下ろした。桶二つ。ピンク色の鮪ばかりが入ったもので、今までは漁師だった父親が貰ってきたものが切り身で出てくるぐらいだった。美少年はつばきを嚥下した。
「なにか隠してやしないかい」
美少年Aは不満げに鼻息をこぼし、手に持っていた割りばしを床に置いた。
「別に危ないことをしたわけじゃないんだけどね。堤防に行ったとき、ほら、いつも奴の家の近くになるだろう。満島の。あれとやったんだ」
「弟?兄?両方?」
「兄のほう」
「ああ」美少年Bは息を吐いた。「あっちか。確かにそうか。僕も奴に見られたことがある。遠くからだけど」
「直夫となにかあったの?」「なに?」「いや、心当たりがあるみたいだから」美少年Bが居心地悪そうに身をゆすり、割りばしを手に取った。
「ちょっとね。告白されたんだ。うっかり断ってしまったが、いいだろ」
「別にいいよ」
美少年Bが美少年Aから皿を受け取り、二人とも醤油を皿へ流した。「それで?」と美少年A。「それで?」と美少年B。「なにもないよ。少しばかり面倒があっただけさ」
二人は談笑しながら寿司を食べた。
やつは僕に俺を変態にした責任を取れと言ったよ。それで?知るかと。勝手に好きになったのはそっちだろうと言ったよ。
時折冗談が飛び交った。二人とも両親の帰りを気にすることなく、自由に過ごした。ある冗談があったとき、二人はヒーヒー言いながら転げまわり、こうした明らかな隙や遠慮のなさは、何者かが望んだかのように誰とも知らず葬り去られた。
きっと本当にそうだったのかもしれない。この世界の誰かが色んな願いを二人へ乗せたのかもしれない。だって彼(ら)はそうされるに値する立場だったのだ…。世界は動いている。着実な方向へ向かって、全ては蓋然性に従って動いている。
三万五千円でなにができる?彼(ら)はそれだけの金を手に入れたが、それでどれだけのことができるだろう。特上の寿司は一人当たり3980円した。一日の食費は500円から1000円か?ほかにどんなことに使う?
どんなことに使うにしろ、いずれなくなるというのは確かで、そうなるとまたひもじい生活に逆戻り。美少年はもちろん自分としてもそんな思いはしたくなかったし、相手にそんな思いをさせたくもない。となるとバイトでもすべきだなのだが、二人の社会性と言えばとんと低くあるもので、それに、どうバイトしてよいものかもわからない。二人と言うことを有効活用して掛け持ちをしてみるか、バレるかもしれない。片割れだけがバイトして今と同じように交代制としてみるか、バレないかもしれないが、今以上に過ごす時間が少なくなってしまう。言い訳ぐらいいくらでも思いついたが、辿り着くのはそれだ。美少年は美少年を愛していた故、会えないのは嫌だし、労働に関しても、あまり課したくはない。しかし金を集めなければ問題の解決は望めそうにないわけで。
議論は煮詰まる。
そも解決法からして初めから見つかってはいるのだ。ただこの二人はあーだこーだ言い合うのが嫌いでなかったし、臨時だとか突発的だとかいう言葉に引っ張られ気味でもあった。いやしかし、目に入れても痛くない間柄で議論をする不毛さのなんたることか、反対意見であってもやや曖昧な表現を使う上、肯定するときばかりは勢いがいいので、しばらくすると【学校からやや離れたバイト先でなるべく隣接しているものを二つ見つけてそれぞれシフトに入り、できるだけ互いの姿の見えるところで仕事をしつつバレないようにほかの店員の目をブロックする】などといった後方伸身三回転ひねりの途中でダブルピースをするようなまだるっこしい、希望をかなえただけの案が生まれたりする。
それで結局、二人がどうすることにしたかと言えば、問題を保留にしてしまうのである。難しい顔をして、一先ず寿司を片付けてしまうと、ベッドメイクをして昨日先に風呂へ入ったのは誰だったかと話す。面倒ごとというのは探してみればすぐ見つかるもので、大事なことを棚上げにする大義名分を保つには十分だ。彼(ら)は皿洗いをしたり、庭の雑草を刈ったり、買って投げだした英語のテキストを埋めたりして、次々面倒ごとを片付け、一方で金を稼ぐ手段はと言えば、とっくに見つかっているのであって、お金が無くなってくると、いかにも最後の手段か何かであったかのように満島の話が持ち上がってくる。
一回支払ったことのある料金をどう拒否しようか、クレームを入れたくなるような出来事であったならともかく、あれは満島の康夫にとって快楽を一方的にぶつけたような案件であり、美少年はこれを限りない寛容の心で受け止めたようなものである。(当然、事実であるかは重要ではない)。だから例え美少年があからさまに金目当てであろうと、満島からすればそれは拒否できるようなものではないのだ。そしてまた、ついでのようであれ、声をかけられた満島の直夫はただ当然のようでありながら、喜び勇んで、兄ともども美少年を腕に収める。
いや、とはいえ美少年は互いの存在を知られたいとは思っていないし、康夫は仕事をしているからすぐにとは行かない。そこで美少年はまず直夫の相手だけすることにして、満島の家へ向かう。
満島の家は父親がガス屋で、母親もたまにその手伝いをしている。誰かの家のガスがなくなると、その日の早朝に配達へ行く。母親はガスをトラックに載せる。父親と母親、同時にいなくなるのは集金の時だ。満島の父親はなんだか複雑な病名の脳障害を患っていて、数字の計算ができない。だから念のために満島の母親は夫に同行して金を集める。これを不誠実だと、客を疑うのかと憤る人もいるが、見当違いだ。満島の母親は、何枚もの紙幣を数えるのが好きなのである。
「親何時までいないの」美少年が言った。直夫の部屋には旅館みたいにしてシーツのかかった布団が敷かれていた。
直夫は爛々と目を輝かせていた。美少年は彼の名を呼んだ。
「直夫」
「なんだよ?」
「これ」
美少年はグラスを差し出した。
中には薄茶色の液体と氷が入っていた。直夫はこれを受け取り、美少年の顔をまじまじと見た。「お酒。これ飲んで」美少年が言った。
彼(ら)には考えがある。
美少年に言われるがまま酒を口にした直夫は、アルコールの匂いに顔をしかめながらも、更なる高揚に身を焦がしていた。
するすると酒を飲み下しながら美少年の顔を窺った。美少年は腕を抱き、直夫へ体を向けながらなにか襖の外も気にしているようだった。「なあなんで」直夫が言った。「なんで俺とやろうって気になったんだよ?」
直夫は言ってから少し後悔した。彼は少し前に美少年に告白したばかりだったし、にも拘らず彼について図りかねているところが多々あった。
なにしろ美少年はものを語らない。彼が一体、あの、美しい顔や肢体の下になにを持っているのかはっきりと知る者はいないだろう。
そこが魅力的なのだ――と直夫は思う。きっとまったく訳の分からない、ある意味で可能性ばかりをまき散らすようなところが、美少年をただの”美少年”たらしめない部分であることは間違いがない。時に怒り、時に笑い、そこに蓋然性を見出すことが出来ないことこそ直夫が美少年を好きであろうとした理由であり、彼の気まぐれがよくないことを引き起こすかもしれないという、綱渡りめいた信頼でもあるとして、直夫が美少年に対して抱く、複雑ないら立ちの一部でもある。
「お金」
美少年は言った。親切さの欠落した率直な返事だったが、美少年が悪戯っぽく、こちらを気に掛けるような微笑みをするので、直夫は虚を突かれてしまった。
「あとは、その他もろもろ」
直夫は眉根を曲げ、またアルコールを一口含んだ。
やがてそれから二人は思い出話をいくつかして、直夫はそれが進むにつれ脳が溶けるような感覚を味わうこととなった。それは彼にとって美少年の声や仕草、これから起こることのせいだったが、間違いない。酒の力である。直夫は酒を飲むとむっつり黙る気質だった。普段は言いづらいことをはっきりと言うし、自分の感情も隠しはしないが、これが彼の本性と言えばそうかもしれない。直夫は一言、二言、単語を口にするたび詰まるようになった。
「ここらでいいでしょ」
「な」に?と直夫。
「これ何本に見える?」
彼には23本に見える。
直夫は答えなかったが、ふらふらと視線があちこちに戦ぐので納得してもう一度、襖の向こうでずっと待機していた美少年Bへ声をかけた。
「ねえ、もういいよ」「もういいの?」「いいと思うけれど」
襖が開き、美少年が現れた。
「うわ酒クサ」
「まあウィスキー飲めばね」
「ここでやらないとダメなの?」
美少年Aが肩をすくめた。「ほかに場所があるならまあ」
「廊下でよくないか。君テトラポッドでヤったんだろ」
美少年Aは人ひとりしか通れないぐらい狭い廊下を見やった。
「いやまあ、君がそれでいいんならいいけどね」
廊下へ布団を出そうとしてまた、酒臭い布団なんぞ出したら意味がないと言い、それなら直夫はもっと臭いと返す。それでもあの部屋でやるよかマシだと食い下がるのでとうとう折れてしまい、美少年は直夫を廊下へ寝かせた。その間、直夫は虚空を見つめたり、不思議そうに右手を眺めたりしていた。
「まったく決まってることではあるけどね」
美少年Aは直夫の部屋から身を乗り出すようにして直夫の上半身に触れ、美少年Bは足元に膝をついた。
直夫はぐったりとしている。力を入れようとするだけの意識はあるようだが、ほとんどうまくはいかないし、なんで手を上げようとしているかもわかっていない。それを敢えて背爪するのであれば、頭上で、同じ顔をした二人の美少年が、互いの口を付けているからだった。
彼(ら)はふと目を合わせ、どちらからともなく床へ腕をついて体を支えた。体を曲げ、口で触れあった。軽いキスだ。二人とも舌を入れたりはしなかった。5秒ほどだろうか、ただ粘膜を重ね合わせ、ただ離れた。
「なんで?」美少年Bが訊いた。「さあね」美少年Aが答えた。
美少年Bは怪訝な顔をしながらも、もう一度、顔を近づけて、今度は自分から相手の唇を奪った。美少年Aが身を引き、美少年Bが前のめりになると、屹立した直夫のペニスが腕にぶつかった。
「ああ、ああ、ごめんね。ほったらかしで」
美少年は彼のペニスをハンドルのように扱った。小さく、白く、力を込めても大したことはできない美少年の手は、児戯のようにこそばゆく、未成熟な遠慮のなさである。亀頭を手のひらでぐりぐりと虐め、手相を擦り付けるようにして、
美少年は直夫の口を手で押さえ、逆さのまま圧し掛かり、直夫の引き締まった腹に頬を寄せた。窒息しないよう、みぞおちの下で口を塞ぐ手にスペースを作り、息を吐く。唾液腺から零れたつばきが糸を引き、直夫の腹を濡らす。直夫が低く呻いた。息苦しさからと、美少年がペニスの根元を抑え、折れんばかりに体重をかけるからだった。
やりたいようにしてやろう、と美少年は思った。そうなのだ。美少年がやりたいようにすれば喜ぶ人はいる。美少年を愛するならば、それが変化するよう望むことはすべてを否定することと同じだからである。無償の愛というのはそういうものだ。
「とはいえ」美少年は舌で直夫のペニスを包み、唇を窄めて干からびたガーリックみたいな陰嚢を吸う。金銭を貰う。
金銭と言う大義名分を以て無償の愛は否定されるわけだが、当人たちの間にとって、美少年とのセックスは金のやり取りではなかったし、美少年の性奉仕もまた、息の長い仕事ではなくある意味の見返りのようなものだった。
実際どうだったかはともかくとして、美少年と被奉仕者との関係は娼婦と客のそれではない。美少年は普通の娼婦ではない。なぜかって娼婦でなく男娼だという話ではなく、美少年はただの娼婦と違う神秘性を纏っている。
彼(ら)は人類未踏の美貌である。声は溶けいる砂糖を流したようで、素肌は粗い継ぎ目のシルクに似て、煽情的な仕草がひどく上手い。なかでも美少年の魅力を唯一無二足らしめたのは、彼(ら)が一人でありながら、まるで二人の手で愛撫するような感覚に陥らせる部分であった。もちろんある者は知っていよう、彼(ら)は二つである。彼(ら)は酒をしきりに飲ませたため、実は本当に二人でやっているのではないかという向きもある。しかし美少年が一人しかいないことは周知の事実だったため、大方にして全ては彼の魔術もしくは魔術的技法だとされた。
このようにして美少年は男娼となったのである。直夫のペニスをしごき、アヌスに指先を入れ、体の隅々を舐り、鈴口を吐き気で揺らし、彼を満足させると、目覚めた後に金を請求する。康夫に対しても大体は同じである。
哀れ彼らの財布は冬虫夏草。3万と5000円、これは市場価格で言えば高いほうではないものの、学生はもちろん社会人だってそう何度も気軽に払っていい金額ではない。美少年の懐は高速で温まっていったが、それもピークに達すると、あとは緩やかに…というほど、規則的ではなかったが、下がっていった。二、三か月は満島兄弟の(専ら兄の)金が彼(ら)の生活を担う。
そして美少年と満島兄弟のセックスが社会の片隅でルーティーンとなったあと、満島兄弟が困窮を極め、だましだましも無理が混んでくると、美少年は康夫に誰か客を紹介してくれないかと提案した。
康夫は当然紹介した。せざるを得なかった。美少年がいかに美しかろうと同性愛で、売春となると簡単に引き受けるものも少ない。康夫はまず自分の勤める製販会社に人を求め、失敗し、気味悪がられ、製販会社でも一番軽かった男にまで康夫がゲイなんじゃないかという疑惑から忌避されるようになり、学生時代の友人のほうを訪ねていく。製販会社での失敗を踏まえ、慎重に、美少年を偏見から退かせない人間を選ぼうとしたが、これを上手いこと判断できるほどの目は康夫にはなかった。そのうちにじれったくなった美少年は自分から町へと繰り出し、あっさりと最初の客を見つけるのだった。
美少年の評判はすこぶる良い。
女子高生を売春する中年、ピンサロにはまる中堅の社員、結婚後早々にレスになった社会人何年目の若者やその他もろもろ.女性経験があったりなかったり男性経験があったりなかったり…。
それはまるで無償の愛のようだった。無償の愛を定義したときに生ずる論理的矛盾は、美少年の神秘性と、金銭をまるで金銭とは思わなくなったこと、美少年が金銭に対する対価を対価と思わなかったことですべてが無視されていた。
ただ康夫はそうでなかった。彼以外の客たちは、つまり、金銭や奉仕や神秘や技術を前提にしていたが、康夫はテトラポッドの上であったことがずっと頭にあった。
12月になったある日、康夫が美少年のもとを訪れた。美少年Bが彼を出迎えた。
美少年Aがその場にいなかったため中に招き入れようとしたが、康夫は玄関でいいと言った。彼が数日前に買ったルイボスティーのティーバッグは一か月後40ℓのゴミ袋の底で中華のデリバリーセットの容器とバナナの皮の間で腐っていった。
「そうなの?入らないと言うなら別に構わないけど」
「ああ…ああ…」康夫は苦し気にそう言った。
美少年Bは康夫に怪訝な顔を向けた。彼は康夫に頼みごとをしたことをもちろん憶えている。それを彼が達成できなかったことも。そして自分に責める気がないことも。
康夫には間違いなく美少年にぶつけたいものがあった。しかし実際に美少年を前にすると、様々な思いがよみがえり、言葉を詰まらせてしまう。康夫が何も言わないので美少年は玄関横の柱に寄りかかり、腕組をした。
「別段今さら照れなくたって」と美少年B。「ここでやったっていいんだぜ」
「もう俺のことは放っておいてくれ」康夫はようやくそれだけ言った。
彼は美少年が憎くて仕方がなかった。人の顔色を見て、人に忖度を繰り返して、人を妥協し続けてきた康夫にとって、美少年はひたすらに届かない存在だ。美少年の真似をすることはできない。美少年のようになることはできない。康夫の倫理観からすれば、美少年のような人間は最低で、忌むべきものと言っても過言ではない。だがそうした感情は、かつてテトラポッドの上で自らの倫理観を裏切ったおかげで、忠誠性を失ったただの薄っぺらいイデオロギーへと身を堕としている。
「それはなんていうか…まあ仕方ないことだけど。僕はもともと、貴方を縛り付けたりはしていないよ。行きたいなら好きなところへ行きなよ」
美少年には康夫の言っていることがよくわからなかったが、彼がどういった返答を求めているのかはなんとなくわかった。それは間違っていた。
康夫の顔が強張る。時間が凍結したように固まった康夫は、美少年の言葉が全身にしみこむのを感じた。康夫は薄氷の上に立ち、そして、
これがガラガラと崩れていく音を明瞭に聞き取った。
康夫は身を翻した。もはや自分がなにを言いたかったのかも判然として…いや、そんなものは初めからはっきりとしていなかった。ここで起こったこと全てが曖昧だったのだ。
美少年は土間に裸足で降りて、ガラス戸から顔を出してしばし、康夫の背中を見送っていたが、やがて興味を失ったように空を向き、長くなった髪を揺らして屋内へ戻った。
あとがき
前後編の前のほうですが長いのでこれぐらいで。個人的には非常に気に入っている作品で、文章はともかく話の完成度はけっこうあると自分で思っていたりします。嬉々として性描写を書くことができたころのものです。
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