元日、なぜそこに?
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元日ってどんな日ですか? 1年の始まりの日であり、1月1日ですよね。じゃあ、元日って年が明ける日という以外にどんな日ですか? 元日ってなんで今の日にちなんですか? 聞かれてみると答えられないこんな疑問に、今日はチャレンジします。
元日の特殊性
冒頭の疑問がいまいち分からなかったという人もいらっしゃるでしょうから、少し言い換えてみます。まずは前半の質問から。元日って「元日であること(年明けの日であること)」以外に何か特徴ありましたっけ?
例えば太陽出ている時間が最も短い日、冬至は12月23日のことが多いんですが違う日になることもありますから「冬至から何日目」という決め方ではないですし、もしそうなのだとしたら冬至を元日にしてしまえばいいですよね。じゃあ月の満ち欠けにそって決めているのかと思いきや、全然そんなことはありません。元日の月齢なんて年によってバラバラです。
そこで後半の質問が出てくるわけです。元日が今の日にちである必要がないじゃないか、ということですね。ちなみに細かいことを言うようですが、元日が今の日付である理由は存在します。それはもちろん元日が1年の始まりだからこそ、その日付は1月1日なのです。当たり前ですね。
結論から先に言ってしまいますと、実は天文学上において元日が今の日にちである理由はないのです。しかし、何も最初から元日に意味がなかったわけではありません。とある要請から元日は必然性をもって今の日にちとなりました。ここからはその必然性を紹介します。
日付を定義する「暦」
そもそも元日とは何でしょうか。「年」というのは地球の公転周期によるというのは周知の事実ではありますが、そこに本来「始まり」は存在しないはずです。だってそれは「円ってどこから始まっているの?」と聞くのと同じですからね。
もちろん年の初めの日というのは人間が勝手に決めたもので、そのルールのことを「暦法」と呼びます。そして現行採用されている暦法はグレゴリオ暦。西暦1582年の10月15日を「グレゴリオ暦10月15日金曜日」と定めることによって成立しました(無論これはトートロジーです。だって現行の暦がグレゴリオ暦ですから)。
ユリウス暦
グレゴリオ暦は突如現れたものではなく、原型となったものがちゃんとありました。ユリウス暦です。これはローマ暦(改ヌマ暦)建国紀元709年の1月1日(紀元前46年12月30日にあたります)を「ユリウス暦1月1日金曜日とする」と定めることによって成立した太陽暦の一種です。
改ヌマ暦というのは太陰太陽暦の一種であったヌマ暦を政治的要因から改めたものですが、それから何度も政治的要因によっていじくりまわされた可哀想な暦でした。そしてその結果、1月が秋に来てしまっていました。
この改ヌマ暦を抜本的に改革したのが末期共和政ローマの執政官ユリウス・カエサルでした。彼は建国紀元708年に閏2月、前閏月、後閏月の3か月を置閏し、建国紀元709年1月1日を冬至の直後の新月に合わせることに成功します。そして先述の通り、この日をユリウス暦の元日とするのです。
こうして王政ローマ建国後700年以上もの間使われてきた太陰太陽暦の時代は終焉を告げ、厳格な暦法に支えられた太陽暦の時代が始まります。しかしユリウス暦は太陰太陽暦から移行した暦である以上、そのスタートだけは月の朔望に合わせざるを得なかったわけです。これこそが元日に天文学的特徴のない直接の理由となります。
グレゴリオ暦
ここからはおまけの話。なぜユリウス暦は廃止されたのかという話に移ります。時代は下って帝政ローマのお話ですから、世界史選択の方は知っている話かもしれません。
西暦306年、『大帝』コンスタンティヌス1世が即位します。ローマ皇帝として初めてキリスト教を信仰した彼は、肥大・膨張していくキリスト世界にある程度の統一を図るため最高会議を開催することを決意します。325年に開かれた第1ニケーア公会議です。
アリウス派を排斥した『原ニケーア信条』の採択で知られる第1ニケーア公会議ですが、もうひとつ重要な議題があったことを覚えていますでしょうか。それは、復活祭の期日制定です。
聖書に記されたユダヤ暦の宗教暦は太陰太陽暦であったのに対し、ローマ帝国やエジプト世界で採用されていた暦は太陽暦。これらをすり合わせて祭礼の期日を制定することは、キリスト教権威に直結する一大事でした。そうして出た結論は、「春分日であるユリウス暦3月21日直後の太陰暦14日の次の日曜日を復活の主日とする」というものでした。
ここで宣言された「春分日はユリウス暦3月21日である」という仮定のせいで、ユリウス暦は狂っていきます。ユリウス暦は1年を365.25日(4年に1日置閏)とする暦であり、地球の自転周期である365.24189…日とわずか11分40秒しか違わない非常に優秀な暦でした。
しかし、このずれも長年経てば大きなずれになってきます。事実、16世紀後半には天文学的春分がユリウス暦3月11日に訪れるようになっていました。1572年に即位した教皇グレゴリウス13世はこれを問題視し、より正確な暦の作成を命じます。そうしてできたのが1年を365.2425日(400年に97回置閏、太陽年とのずれ30秒弱/年)とする現行のグレゴリオ暦だったのです。日付の制定に関しては春分が3月21日となるように調整されました。
ユリウス暦の開始日、建国紀元709年の1月1日がグレゴリオ暦では12月30日と2日間ずれている理由は分かりますか? これはユリウス暦が始まってから第1ニケーア公会議が開催されるまでの約370年間に、すでにユリウス暦が太陽年から2日間ずれていたということを表しています。グレゴリオ暦の制定当時もこの誤差は認識されていたのですが、グレゴリウス13世はあくまで「第1ニケーア公会議を遵守する」との意向で春分を3月21日とするような調整が入ったとのことです。
さいごに
執筆依頼として題材を提案してくれた会長くんに感謝。冬至が元日となっていないことについては僕自身も疑問に思っていた時期があるので、これを機にこの雑学が広まっていったら嬉しいです。
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