バイト禁止の高校生が一人暮らしを目指す話
高校生は、子どもではない。少なくとも僕はそう思っている。更に言えば、高校生であるならば「自分は子どもではないのだ」ということを自覚すべきだ。そんなことを考えていた僕が、知り合いとの会話の中で自分の甘えに気づかされた。そんな話を今日はしてみようと思う。
東海高校はバイト禁止
章題の通り、東海高校ではバイトが禁止されている。確か、夏休みと新年の郵便配達だけは学校から許可を得ればできたはずだ。東海生の多くはそのことを当たり前だと思っているのかもしれないが、実はそこまで当たり前のことでもない。
お隣の県立旭丘高校だって、系列校の東海学園高校だって、学校からの許可があれば普通にバイトができる。結構普通に何人もの人がバイトをしているし、許可書を出さずにバイトをしている人がいるのだって教員が黙認している場合も稀にだがあるくらいだ。
そんな数少ない事例じゃ説得力もないので、客観的な証拠を上げてみることにする。マイナビが2020年9月の1週間を利用して行った『高校生のアルバイト調査』だ。調査では、アルバイトを経験したことのある高校生は37.1%であるとされている。また、調査時にアルバイトをしていた高校生は19.4%だったらしい。ここまでだと「なんだ、やっぱりバイトなんてしてないんじゃないか」となりそうだが、今回焦点を当てたいのはそこではない。
調査時にアルバイトをしていなかった高校生のうち、学校でアルバイトが禁止されていた割合は42.0%というのがミソなのだ。これは全体の80.6%のうち42.0%だから全体からすると33.9%になる。学校に黙ってバイトしている可能性を誤差と考えれば、バイトが禁止されている高校生は33.9%しかいないと見ることができよう。「高校でバイト禁止なのは当たり前」だなんて、それこそ「東海の常識は世間の非常識」である。
クラスメイトとの会話
こんな社会不適合者みたいな輩ばっかりな東海高校も世間的には一応進学校ということになっていて、高校3年生ともなれば生徒の会話は勉強や受験、進路の話が主になってくる。僕もそういった話をよくするのは確かなのだが、今年初めて同じクラスになったクラスメイトで、なぜか別の話に持っていきたがるSくんというのがいる。何の話にどんな尾ひれが付いたのか分からないが、僕は学校では「要らんことをたくさん知ってる変な奴」という感じで認識されていて時おり多種多様なことを聞かれるのだ。
彼が聞きたがったのは生計の話。もし来年から大学に行けず親の援助も受けられなかったとしても暮らしていけると思うかということや、年収はいくらくらいあるとどれくらいの生活が営めるかなどを聞かれた。その時は食費や住居費、保険料や所得税などの話をしてお茶を濁したのだが、ふと考えてみると自分がそういったことに疎いことに気がついた。
住居費についても相場はそれなりに知っているつもりだったが、敷金や礼金のしくみは良く知らないし、引っ越しの費用については全然知らない。食費だって自炊と外食のバランスがどれくらいだと幾らかかるのかくらいは頭に入れているけれど、実際に働きながら自炊できるのが週何食なのかは想像もできない。光熱費の相場については調べたこともないし、貯蓄はどれだけ必要なのかも正直見通しが立っていない。18歳にしては知らないことが多すぎることに気づいて顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
高校生と家庭の理想像
僕は来年から親元を離れて一人暮らしをするつもりだ。それにも関わらずこれだけのことしか知らないままで、本当に暮らして行けるのだろうか。受験勉強と並行して、もっと実学的なことを調べてみようと思った。
進学校は他の学校以上に世間のことを教えてくれない。かつては家庭が教えてくれるからという理由で学校で教えられていなかった家事のことだって、世帯の核家族化や家電製品の発達によって家で教わることが減ってきている。生徒の親御さん方にも「高校生のうちは勉学に専念してほしい」という願いが強く存在することも多くて、なおさら学生が自立した先を知ることが不可能になりつつある。
巷では「学校が教えてくれないお金のこと」みたいな若い一人暮らし世帯を対象とした怪しい情報商材が頻繁に出回っていて、多くの若者が気づかぬまま彼ら自身の貯蓄に回されるべき収入が巻き上げ続けられている。これだって、本当は「家では教えてもらえなくなった家計のこと」のはずなのだ。
親は子どもに生々しい話や家庭の弱みを見せたがらないのは無論分かってはいるが、それでも子どもが義務教育を終えて成熟してきたなら金銭の話は赤裸々に語っていいと思う。中学校を卒業する15歳以上の年齢層は統計上どう呼ばれるかご存知だろうか。産業に従事できる者として「生産年齢」と呼ばれるのである。いくら我が子が可愛いとはいえ社会の現実を見せつけるのも親の務めであると考えてほしいし、これから大人になる者に一番目を向けたくなくなるような事実を伝えることこそが親の務めであってほしい。
そして、未成年の方がそれを機に高校生や大学生が親の庇護下でぬくぬくと安眠を貪るべきでない存在であることを意識できるような世の中になってほしい。更に言えば、親が社会のことを教えてくれないのであれば何とかして聞き出そうとする意欲が高校生の間でメジャーになってほしい。はじめに簡潔ながら書いた僕の主張を、最後にキチンと書かせてほしい。
大人が高校生を未熟な者だと見なすのは別に構わない。実際に配慮の及ばぬところも多々あるだろうし、それを注意するのは先達の役割でもある。しかし、高校生は大人から与えられた「未熟なサポート対象」という豪奢な椅子に深く腰を落ち着けることがあってはならない。大人から未熟な者だと思われていることを隠れ蓑にして実際に愚かな行為に勤しむのは、もはや情と理を知るという人間の最大の特徴を捨てることであって「私は人間ではありません」と喧伝しているに過ぎない。
それは、糸の通っていない機織り機で織った服を着せられているのに家臣から美しいお召し物だとおだてられ、一糸まとわぬ姿を民衆に晒すことになった『はだかの王さま』になるより間違いなく更にひどい。だって、かの為政者は自分が恥ずべき行動をしたことに気づいていて、権威の保護のためにその行動を取らなければならなかっただけだが、今回の場合は喜々としてその行動を取っているに他ならないからだ。
これが僕が苦情件数が県内有数の進学校に通っていて感じたことだ。喧嘩腰に見えたのなら申し訳ないなと思う。記事の内容はこれでおしまいとさせていただく。Sくんと話したことや後から調べたことなどは、もしかしたらこれから書くのかもしれないし、書かないのかもしれない。あまり期待はしないでいただけると助かるところだ。