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生きる
天高く たなびく 雲のその向こう
我が身落ち行く そこなしの空
~うちののら 2016年3月15日
今から30年程前にのある晴れた日、ひとり石神井公園の市民プールで泳ぎ疲れ、寝そべってのんびりした時間を満喫してぼんやり空を見上げていた。吸い込まれそうな空だった…。僕は一瞬にして呆気無く襲った不安定な恐怖のなかで、大地を背負い、空へ宇宙へ落ちていこうとする自分の身を必死に大地にへばりつかせていた。
その時、この短い唄の世界のような一遍の詩を作ったのだが、見つからない、どこかにあると思われる。なぜこんなことを思い出したかというと、小野正嗣さんの『獅子渡りの鼻』(2013年刊)の128ページに、主人公の少年尊が夢と現実の間で見え隠れする文治を探してるシーンで下記のような記述があったからだった。
「上を見ると、うっすらと白い雲がたなびき、そのおかげで空の青さが直接尊の目にしみ込むことはなかった。むき出しの深い空は、その底に心を吸い込まれてしまいそうで怖いものだ。」
この記述を見つけた時はほんとにびっくりというか、僕だけが感じたとばかり思っていたことでひっそり胸の奥に閉まっておくように大事にしていた孤独な感覚が、共感し開放されたというか、ほんとにこの小野正嗣さんの文章を見つけただけでも嬉しく感じたのでした。
寝そべって石神井公園の市民プールからふと見上げた青空には、まるで限りなく透明に近い海の底みたいに様々な雲が折り重なり、突き抜ける底なしの遥か遠くまで落ちていくような錯覚を、一瞬恐怖と孤独ともに感じたのでした。まるで何事も無く過ぎゆく至福の気怠い時間を切り裂くように。