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システムに飲み込まれないように
会社も家族も恋人も、あらゆる例題が出し尽くされた今、それらはただのシステムである。
システムとは、強化された枠組み、つまりテンプレートのことである。
日常のあらゆるやりとりが「あるある」の範囲を超えないまま、我々はおそらく明日もどこかで見たような日常を送ることを知っている。
そのくせに、まるで真実を自分だけが知っているかのような錯覚を抱き、例えば例えば職場の、例えば家族の、例えば社会の不満を吐き出す。
自分だけはシステムの外に存在しているのかもしれないと。そう思わずにはいられないのはよくわかる。私もそうだ。
だからそんなシステムの中にいる自分を自覚することが重要だ。自覚し、テンプレート化された日常の中で少しでいいから、その不意打ちを楽しみたいと思う。神の目をどう欺くか。それは怠惰なままでは無理なので、ある程度思考しなければならないが、ほんの少しでいいのだ。
いつもとは違うルートで通勤する。
ノーパンで出社する。
ありえないと思っていた「お好み焼き定食」を食べてみる。
コンビニのレジの裏にある菓子折を買ってみる。
この程度のことでいいのだ。そんな少しの働きかけが、「全てどうにだってなる」と、自由を手に入れたような気分にさせるのだ。
そんなシステムの外にはみ出ることによって、人とのコミュニケーションも良くも悪くも変わっていくだろう。
例えば、私の周りにも会社への不満を口にする人が少なからずいるが、社長や役員にとって、会社に不満があるであろう部下とのコミュニケーションは難しいだろう。いや、その不満にすら気がつかない。それはある部分では会社が抜き出ていくには必要なことかもしれないが、やはり社員に不満なく働いてもらうことを会社は目指すべきだ。
もちろん、給与や残業代、インセンティブでの舵取りもあるだろうが、それはあくまでもシステム内の話だ。そこはちゃんとやれとしか言えないが、私はその先のコミュニケーションによってされに不満は緩和されると思う。
つまり、くどいようだが、この言い回しが既にシステム化してきたが、もう一度いう。システムの外からの働きかけだ。
テンプレート化された会社生活の中で、社員の気持ちがふと向くのは会社への不満である。見えない社長に不満を抱くことで社員同士は妙な仲間意識でつながる。下らないと一言で言って仕舞えばその通りなのだが、そんな時、上司のあなたはカレーパンを差し入れして欲しい。
もし、カレーパンが近くになかったメロンパンでもいい。もしそれがめんどくさかったら、無駄に話しかけて欲しい。
「今日の服装かわいいね」
「髪切ったの?サラサラじゃん。触ってもいい?」
「彼氏とどうなった?」
など、なんでもいい。無駄に真剣な顔で、不意をついて欲しい。
ちなみに上記の例が常態化している場合は、止めていただきたい。それはすでにシステム化されていることであり、止めることがすなわちシステムの外からの働きかけになるからだ。
普段あまりやらないことで不意をつき、硬直したシステムをかき乱すイメージなのかもしれない。
そして、その不意打ちが常態化してきたら、またさらに新たな不意打ちを用意し、職場の、恋人の、友人の、家族の不意を突きながら、接してみるのだ。
そうやって、足掻きながらシステムの外に旅立つことを、人は「人生」と言うのではないか。
と言うことで、今からお好み焼き定食を食べてきます。