誰かに苦言する時、それは「自分と違う」というのが前提になっている気がする。自分と違うから一言言いたい。でも、違うという感覚を大事にすれば、苦言は苦言でなくなるような気がする。なんというか、あなたと私を含んだ物言いになる。
映画において回想シーンというは悪手だと思うのだけれど、でも映画でしかできないことでもある。 制作する上では「回想に頼らない」という基本を守るべきだなぁと思った次第。戒めても込めて。別に映画を作る人じゃないのだけれど、根本に映画を作る欲求があるのだと思うし、きっと誰でもある感覚。
プロジェクターで映画を観るだけで、深いところまで浸透していく感覚があります。逆に言えば、大きさに我々は誤魔化されてしまう表れなのかも知れない。