学校は監獄だ
子どもの頃から学校が苦手だった。
狭い人間関係。先生に他人と比較され、自分でも他人と比較する空間。キラキラした言葉を信じさせられる場所。
そんなに嫌いなのに教員になった。
同じように教室で窒息しかけてる生徒を助けられると思ったから。
でも、現実はそう甘くない。
優しい先生、話しかけやすい先生になろうとすればするほど、学級が壊れていった。
秩序を維持するためには、統率力が必要。それはつまり、まさに自分が子どもの頃に苦手だった「管理し、話しかけづらい存在の先生」になることを要求されているのだった。
私はどんな生徒にもおしなべて優しく接する。それぞれに事情があるはずだから、頭ごなしに否定したり抑圧したりしたくなかった。
でも、そうすることでこちらから搾取しようとしたり、ルールを踏み倒そうとしてくる生徒が生まれてしまった。
私が「優しさ」だと思っていたものは、人に対して遠慮してしまう「甘さ」だったのかもしれない。私自身の気の弱さ、それを自己肯定するために「優しさ」だと思い込んでいたのかもしれない。そう思って、何度も辞職を考えた。今もふとした時に頭によぎる。
でも、この私のやり方に共感する生徒も一定数いる。たしかにクラスは周りのクラスと比べてダラけていても、それでもヒカゲモン先生のクラスが3年間で一番楽しかったと言ってくれる。
彼らの真意はわからないけれど…。
子どもが大人に合わせていくような、ある種お互いの役を知った上で適切に演じていくクラスというものが、私には理解できない。
たしかにそういうクラスは管理しやすい。だって、子どもが反論してこないから。子どもが子どもらしい幼稚な理屈を押し付けてこないから。それを我慢や社会性と呼んで尊ぶこともあるだろうし。
だから、私のような担任がいると「友達みたいな先生」だと言って排除される。
正直もう何が正しいのかわからない。
ぐるぐる考えて、担任業務をして、失敗と成功があって、またぐるぐる考える。
そして卒業式がやってくる。
迷いながら、苦しみながら、それでも何がしかの行動を続けて、晴れ舞台で子どもたちを送り出す。
その時、彼らが私に色紙をくれた。
バラバラな集団だと言われ、授業がしづらいと言われたクラス。その一人一人が書いてくれた感謝の言葉。そこには、たまにしか登校できなかった生徒の言葉までちゃんと書いてあった。
どうやってそんな子の言葉まで集めたのだろう。そう思うと胸が熱くなった。
みんながいるからこそのクラスだよ。
先生にとっての良い子も、悪いと言われてしまうような子も、みんな受け入れる。それが私のモットーだった。
もう少しだけ、この仕事を続けてもいいですか。そう思えた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?