総集編【そこらへんのゲーム関係者 vol.1→10】
「そこらへんのゲーム関係者」ですが、連載10回まで来たということで、今回は総集編をお届けしようと思います!
人に歴史アリ、ゲーム業界との関わりも千差万別でした。皆さんはどのようなゲーム関係者人生をお過ごしでしょうか?
#1 元旅人のゆるふわ系クリエイター
ゲームプランナーから自転車旅行者になり、その後Unity Japanでゲーム開発者向けのイベントの仕事に就いた染谷翔さん。危なっかしい人生歩んでますがプランナー経験を公私ともに活かしてますね。
#2 コミュニティの中の人 兼 Unityの中の人
Unity Japanでデベロッパーサポートエンジニアとして活動されている鎌田 泰行さん。陸上自衛隊からIT派遣を経て、Unityの開発者コミュニティを運営した縁でUnity Japanに入社と、出会いと行動が人生を変えていったことが窺えます。
#3 元俳優のジョブチェンジ系クリエイター林 和哉
林 和哉さんからは劇団俳優から「もともとは時代劇ドラマに出たかった」という思いから映像制作技術者へ転身し、その後Unity Japanでアニメ制作ツールやバーチャルプロダクションシステムの開発に携わったお話を伺うことができました!
#4 目に見えないゲームの「おもしろさ」をデザインするヒト
『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』生みの親の1人であるレジェンド開発者の安原 広和さんからは、1980年代のセガ入社から『ソニック』誕生とその後の歩みをお話しいただけました!
#5 ゲームジャムきっかけでゲームの仕事するようになった人
DTPやWEBのデザイナーからUnityに出会ったことでゲーム開発の世界に入り、その後の米国でのゲーム開発ライフやUnity Japanでのエバンジェリスト業務へと繋がっていった池和田 有輔さん。
#6 30代からの異業種転職モデラー
飲食業界からカメラマンを経て3DCG制作を学び、30代業界未経験からTwitterでのイラスト投稿がきっかけでゲーム開発の3DCGデザイナーへ転身された北尾さん!今でもカメラは愛用されています。
#7 僕がゲーム業界で「ディレクター」という肩書きを拝命するようになるまで
大学院で計量経済学を学び、伝説のアニメスタジオ「ガイナックス」入社、その後IP物のゲーム開発ディレクターとして花開いた小林 信行さん。成功や失敗など、様々な経験を語っていただきました。
#8 不可抗力の中で生きてきたこれまで、これから
人間関係や会社の方針転換に翻弄されながらも株式会社LITALICOで教育事業に携わり、小学生の開発発表イベント「ワンダーメイクフェス」立ち上げや運営を経てUnityの開発やトレーニング、イベント業務を行っている加藤 智紀さん。現在は右投げ左打ちソフトテクノロジーズ株式会社を創設して活動中です。
#9 何でもやってたらTAになった人
気軽なシフト制と思ってアルバイトで入社したトーセでフルタイム勤務、上司や同僚にも恵まれて短期間で正社員、管理職へとキャリアを進め、ゲーム業界でも比較的新しい職種であるテクニカルアーティストになった大下 岳志さん。
#10 ブログも人生も一歩一歩進んでいく
ゲーム専門学校から様々な業界を転々としながら独学でプログラムを学び、勉強会や合宿参加がきっかけでUnityの技術ブロガーとして有名になっていき、就職にも役立ったというnakamura001さん!
ほとんどの方が「他の人に比べると自分の話は地味なんですよ」と仰ってましたが、こうして振り返るとゲーム業界との繋がりは本当に人それぞれですね!
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