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【短編恋愛小説】恋ミノル、銀座ヤキニク(後編)

前編はこちら https://note.com/nida_nagi777/n/na637ee3652b5
〜前回までのあらすじ〜
銀座界隈の大手広告代理店に勤務する本城聡は、来週の彼女とのデートをどうしようか考えていた。そんな時にアートディレクター三上から教えてもらった、世界一狭い個室での焼肉デート。1ヶ月前に出会ったばかりの林原奈央との恋の行く末を、大きく左右する焼肉レストラン。果たして、恋は実るのか?の前に、お腹が空くこと間違いなしのグルメ小説。
***

ちなみにこの店を教えてくれた三上は、デートの下見を兼ねて、先に仕事の接待でこの店を訪れたようだった。その時は個室ではなくテーブル席だったらしく、こう言っていた。
 
「銀座の高級焼肉店らしく、フルアテンドで焼いてくれてさぁ。クライアントは喜んでいたよ」。
 
聡たちの個室はまさにデートにぴったり。この席にして本当に良かった。三上にも報告しないと、と聡は心の中で呟きながら、脇で奈央がさりげなく髪をまとめる仕草に見とれていた。
 
この店では、予約時に焼き師によるフルアテンド・サービスにするか、iPadで好きな時に注文するカップル席にするのか、どちらかを選べる。iPadで注文だと、料理の提供と呼ばれた時にしか個室にスタッフは入ってこない。つまりデートに邪魔が入らない。より親密になりたいカップルにはとても都合がいい。
 
聡たちは一緒に一つのiPad画面をのぞき込みながら、「広島直送 広島和牛特選タン 4枚」、「榊山牛特選ハラミ」などをタッチして注文した。
 
「野菜も欲しいなぁ〜。キューブサラダもたのまない?」
 
と奈央がiPad画面を指さしながら、急に聡に顔を近づけてきた。どこからともなくやさしい花の香りが漂う。聡はドキドキして脇の辺りに少し汗がにじんだのを感じた。
 
カップルにはおまかせのコース料理ではなく、アラカルト注文にして正解!――これも三上に教えてやらないと。

意外にも「生肉が好き」という奈央のために、「榊山牛ユッケ」も注文した。霜降り和牛の細切りに卵黄とネギがトッピングされている美しい逸品。 

聡は取り箸で手早くかき混ぜながら、皿の上で肉を半分の量に分けて奈央の方へ差し出した。奈央は「ありがとう」とつぶやくと、遠慮がちにその一角だけを自分の箸ですくった。 

「お嬢さん、遠慮しないで。もっと、どうぞ〜!」と、おどけた調子で聡が自分の箸で半分をすくうと、「いえ、いえ。それは、それは、ありがたや〜」と調子を合わせて、また肉の一角を少しだけ自分の箸ですくい取った。 

二人の箸が少しずつ交互に肉を取り合う。最後の肉をもらった方が負け、という何かのゲームみたいになって、奈央がたまらずクククッと笑った。 

箸で間接キスかも――聡は愉快になり、和牛のとろけるような、まろやかな旨みを舌の上で転がした。肉なのに甘やか。 

遠くで英語と中国語で接客しているKENさんらしき声が聞こえる。銀座の和牛焼肉、外国人客も多いらしい。目の前のメニューブックには英語や中国語でも記載されている。 

「前に接待でこの店に来た仕事仲間にね、教えてもらったのだけれど。この店で使っている榊山牛(さかきやまぎゅう)ってね、広島県の希少なブランド和牛で、肉の融点が16℃くらいなんだって。だから口の中ですぐに溶けるらしいよ」。

 焼きかけのハラミをトングで裏返しながら聡がそう説明すると、奈央は肉をゆっくりと噛みながら何度もうなずいた。 「確かに〜。お肉を噛んでいるといつの間にか喉に流れていく感じ。キレイにサシが入った肉なのに、ぜんぜん重くない。おいしい!」。奈央が嬉しそうに笑った。 

そして突然、猫のように聡の腕に顔を近づけてきて、肩のあたりで甘えるように言った。 

「こんな素敵なお店に連れてきてくれて、本当にありがとぉ〜、サトシ君」 

聡は思わず心の中でガッツポーズ。初めてファーストネームで呼ばれた! 

その後、KENさんがやってきて、ソムリエらしく赤ワインの産地やブドウ品種を説明してくれたのだが、聡の頭にはもうその言葉は半分くらいしか入ってこなかった。

 「うん、うん」とうなずきながらワインを理解しようとしている奈央の横顔に、聡は見とれていた。 

榊山牛は鮮やかな小豆色。網の上で焼くと、一般的な茶色に変わり、焼肉らしい見た目に変わるのだが、焼く前は思わず凝視してしまう美しい紅色。脂がたっぷりとのったサーモンピンクの牛肉とはまったく別物だ。 

それにしてもここは焼肉店なのに、煙やニンニクの匂いが充満していない。午前中はプレゼンだったので、Ermenegildo Zegnaのスーツで気合いを入れた聡だったが、洋服に匂いがつくことを心配しなくていいのは本当に嬉しい。 

奈央ご所望の「キューブサラダ」で箸休めを味わいながら、二人はiPadや卓上の説明書きなどに書いてある榊山牛の説明も読んだ。

「榊山牛は、旨味成分の含有率が、和牛平均の約150%だって!」。元気に肉を頬張る奈央は表情がコロコロと変わり、漫画のキャラクターのようで可愛らしい。 

肉厚の榊山牛のタンは、噛むたびにしっかりとした弾力と旨みが広がる。先ほどの和牛タンてっさとは別の部位かと思えるほど、濃厚な味わい。 一方、榊山牛のハラミは噛むほどに肉汁が広がり、とても滋味深い。一つ一つが芸術品のような見た目と味わい。 

「広島で月に13~15頭しか生産されない、幻の牛なんだね。すご〜い!」とさらに説明を読みながら驚く奈央。

「今度、一緒に広島にでも行こうか?いつか旅行にも行きたいよね」と左腕で頬杖をついて聡が言うと、奈央は笑顔ですぐに頷いてきた。 
2度目のデートで、今後の旅計画もできたかな。聡は嬉しさが込み上げてきて、白ワインを一気に口に含んだ。 

肉といえば赤ワインが定番。だが、この店では白ワインでも肉を楽しませてくれる。ワイン通でなくとも、それが面白い。 

「肉に白ワインを合わせるのは珍しいかと思いますが、榊山牛の脂が上質で、繊細で重くないからできることなんです」。KENさんはこう説明して、二人のグラスに酸味の効いたソーヴィニヨン・ブランを注いでくれた。

和牛タンてっさや、広島和牛ハラミにニュージーランドの白ワイン。生まれて初めての経験だ。楽しすぎる。

一方、「広島直送 広島和牛レバー」の提供時には、赤ワインの「マウント・ハーラン・ピノ・ノワール・ミルズ・ヴィンヤード」が注がれた。KENさんによるとアメリカ、カリフォルニアのピノ・ノワールの先駆者CALERAカレラの赤ワインだそう。

「すごくおいしいですね、このワイン。僕、ワインはそれほど詳しくないのですが、ソムリエさんだと、こういうワインはどういうふうに味を表現するものなのですか?」。

聡はワインをスワリングしながらKENさんに聞いてみた。奈央もワインを揺らして眺めている。聡はワインは素人だったが、ワインに関心を示している奈央のために、あえて質問を投げかけてみた。

「そうですね。こちらのワインは、エレガントな酸味と、生き生きとした果実味が特徴です。熟した黒ラズベリー、ザクロ、マーマレード、そして野生のきのこ、黒こしょうなどの複雑な風味。まろやかなタンニンがレバーと相性がよく、おいしさの相乗効果が生まれます」。

そう言って最高のスマイル顔になったKENさんは、執事のような丁寧な振る舞いで、小さなプレート皿に乗せたコルクを二人に見えるように置いた。

彼の言葉にいざなわれ、二人ともグラスに鼻を近づけた。深呼吸するタイミングが重なる。お互いにそれがおかしく、同時にクスッと笑った。すぐ隣にいるから、小さな息づかいまで聞こえてくる。 

レバーは焼かれる時のその奇妙な動きやザクザクと弾ける食感で、ついさっきまで生きていた個体のレバーなのだと二人に悟らせた。あえてレバーの表面の薄皮を剥ぎ取っていないので、焼くと薄皮が縮んで、網の上で自力でクルッとひっくり返るのだ。こんな光景も初体験。

中はとろりと濃厚な味。だが、鮮度がいいのがよくわかるクリアな風味。それを赤ワインが包み込み、二人はまた同じ瞬間にため息を漏らした。息づかいのタイミングが連続して重なる。 

酔いが体中を心地良くまわる頃には、二人とも頬に少し熱を帯びていた。いつの間にか聡の右腕と奈央の左腕が接していた。

そしてそこを男女の磁場とするかのように、二人の体が少しずつ重なった腕の方に引き寄せられていく。
自然と二つの顔が近づいていく…。

躊躇や不安、恥じらいは、聡にはもうなかった。穏やかな安心だけがそこにはあった。
 
聡はひと呼吸し、「榊山牛がこんなにおいしいとは知らなかったね〜」と奈央の方を見た。

今ならキスができるかもしれない…。

目が合うと奈央はしばらく見つめ返していたが、恥ずかしそうに視線をはずし、コクリとうなずいた。夜景を眺めている美しい横顔がたゆたう。

こっちを向いてくれないかな、そしたらキスできるのに…。

聡は高まる気持ちをグッと抑えた。オレの気持ちはもう十分に伝わっているはずだ。

最後はサーロインステーキ。この塊肉だけは焼き加減が重要だから、KENさんに焼いてもらう。

二人が何もなかったかのように、また元の椅子の位置に座り直したところで、KENさんをiPadで呼んだ。彼は丁寧に分厚い肉の塊を返しながら焼き上げ、カットして皿に盛ってくれた。

先ほどの黒胡椒風味の赤ワインと、旨みが際立つステーキ。見事な取り合わせだ。

すだちが浮かぶ爽やかな香りの「韓国冷麺」、そして最後は「季節のデザート」。この店には専任のパティシエがいるので、最後のデザートまで本格的だ。特にパッションフルーツのクリームを挟んだマカロンに、奈央が歓喜の声をあげた。マカロンも自家製で、おもたせにもできるという。

料理が提供されるたびに、一緒に驚き、一緒に喜び、一緒に笑った。何度も。

最初は狭いカップル席にドキドキしたが、自然と互いの気持ちがなじんだようだった。2時間の間に二人だけの濃密な時間が過ごせた。
帰る頃にはこの狭さがむしろ心地良く感じられた。 

食事を終えると、聡は大胆に股を広げるようにして、体全体を奈央の方に向けた。正面から向き合って、今夜、素敵な時間を一緒に過ごせた感謝の気持ちを、最後にきちんと伝えたかった。

奈央は微笑みながら、相変わらず目線を聡の方を向けていた。

「おいしかったね」。

満面の笑顔で聡がそう言うと、奈央も満面の笑顔で視線を聡の方に向けた。しばらく見つめあった後、奈央はそのまま聡の方に顔を近づけた。一瞬だけ聡の頬が揺れた。

一瞬のできごとだった。
呆然としている聡と、クスッと笑う奈央。

もしかして、キスされたのか?
いや、いたずらで頬に息を吹きかけただけなのかもしれない‥。
それともオレの頬にゴマか何か、付いていたのを取り除いてくれただけなのか?

早すぎて、よくわからない‥。

奈央の三日月のように細長く伸びた瞳の奥は、何を物語っているのだろう。

いずれにしても、聡の中に熱いものが込み上げてきた。そしてそれはすぐに、聡の中で満タンになった。
何もかもが満たされた。

榊山牛を喰らい尽くした二人にとって、それは本日の最後のごちそうだった。 


※最後までお読み頂きましてありがとうございました。店名や登場人物などはフィクションですが、実在するお店のお話で、筆者が実際に店を訪れたのは2024年5月です。メニューや営業の内容は変わっている可能性もございます。写真は筆者が撮影したものです。無断流用はご容赦ください。

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