毒親育ちにとって子育ては最良の薬㊀ あれは本当に愛情だったのか?

子供を持とう、子育てをしようと決めた時、私にはたくさんの不安が渦巻いていた。
親と同じような子育てをしてしまうんじゃないか。
親とさえうまくやれなかった私なんかに子供を持つ資格があるのか。
でも意外なことに、親との軋轢がある私にとって、育児は最良の薬となっていて、本当に子供を産んでよかったと感じている。
最初に断っておくと、初孫の誕生で親の態度が軟化して蟠りが解消されたとか、そんな話ではない。むしろ余計に拗れていったと言ってもいい。
周囲の知人から、孫が生まれるのはきっと嬉しいはずだから、関係が良くなったでしょと期待混じりに聞かれたが、彼らの期待はことごとく打ち破られた。
そんなことで回復するほど浅い溝ではないようだ。

じゃあどんないいことがあったか。
三つあげてみよう。
1.罪悪感からの解放
2.子供の頃の私を私自身で救える
3.両親への許し
今回の記事では一つ目の、罪悪感からの解放について書いていく。

育児を始めるまでは、親への不満を持ちながらもどこか罪悪感を抱えていた。
親の愛情の形を受け入れられない私が悪いのか?
衣食住は与えられていたからそれだけで満足すべきだったのか?
って。
その罪悪感から解放してくれたのが、我が子の誕生だった。
どういうことかというと、私は親からされて嫌だったことを思い出してしまった時、同じこと我が子にできるか?と考えるようになった。
暴力を振るったり嫌いな食べ物を無理やり食べさせ続けたり。
いやいや、そんなことはしたくない。もし余裕がなくなってやってしまったら後悔し続けるし何度も謝るだろう。
母は「あんたの泣き声がうるさくて題目の(実は私は宗教三世として生まれた)邪魔するから衣装ケースに閉じ込めたのよ」と言っていた。
乳幼児の我が子にそんなことできるか?
確かに息子の泣いている理由が分からずイライラしてしまったことはあるし、安全な寝室に放置して数分離れたりしたこともあった。けれど、衣装ケースに閉じ込めるなんて危険すぎる発想にはならない。
私は親の宗教を否定するつもりはない。毒親家庭にとっては逆に貴重な親以外の大人とのつながりであり、子供の頃は救われてもいた。
しかし、子供と向き合わず祈りばかりに頼るというのは優先順位を間違えてはいないか?
いかにもうるさいお前が悪いという風に私にそのエピソードを、後悔も謝罪もなく語れるのは私には理解できなかった。
もう一つ。
母は義母と関係が悪かったから、よく義母の悪口を私に聞かせた。あんたはあの人の悪いところばっかり受け継いでると私に言ったりもした。
それほど嫌いだった義母に、頻繁に私を預けた。夏休みや冬休みは何日も祖母の家に私を泊まらせた。
私は厳しく毎日不機嫌な母より甘やかしてくれる祖母といた方が気楽だったので、それ自体は好都合だった。
それでも、親になって思う。そんなにも嫌いな姑に我が子を預けたいか?と。
私は夫の母親のことが大嫌いで、関係は最悪である。
いくら孫を可愛がってくれるとはいっても、彼女にあまり息子を会わせたくない。
嫌いな人間に愛する大切な我が子を預けたい人なんているのだろうか。
つまり私の母はそれ以上に私と離れたい気持ちが強かったのだと思う。子供の方が行きたがったとしても、頻繁に預けることは私にはかんがえられなかった。

こんな風に親になってみて、あれは愛情だったのか?
躾だったのか?
と考えて、親と不仲であるという罪悪感を手放すことができた。
心が軽くなっていく気がする。

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nico
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