「トレース。」/ショートストーリー
「大丈夫か?」
私はバイトの鈴木愛美に優しく話しかけた。
今、彼女は自分が担当していた受付窓口から外された。
私の会社の受付窓口の仕事は顧客の個人情報と依頼内容を口頭で話してももらい、すぐさまパソコンのデータとして入力していくこと。
だから、受付窓口に入力速度と正確さが求められる。
スキルさえあればバイトでかまわないし、正直バイトの方がメリットが多い。
受付窓口以降の仕事の方が複雑で慎重さを必要としている。
社員の仕事はそのデータをもとに顧客の要望に応えられるか、そして誰が担当するのがベストなのかを入力されたそばから検討に入っている。
顧客が受付窓口の椅子から立ち上がった時にはほぼ仕事は完了しているといっても過言ではない。
だから。
どこかの会社の受付嬢のように愛想笑いして担当者に繋ぐ。などいうのを想像してもらっては困る。
愛美の仕事が遅いと4年先輩の篠田が私に言ってきたとき、私は彼女の仕事ぶりを直接見ることにした。
私はなんでも鵜呑みにすることはない。
そして。
確かに時間がかかり過ぎている。と感じた。
予約制なので、次の顧客が来るまでに終わらせないと顧客に迷惑がかかる。
時間に余裕をもたせてはいるので、今のところそんなことは起きていないが、篠田の心配もわかる。
篠田は愛美と違って社員なのだから色々と危惧するのだろう。
まあ。危惧するような特別な仕事というのもある。
「鈴木さん。バイトのテストではタイピング速度はこちらが求めている以上だったし、英語もネイティブスピーカー並みのようなのに。」
「なんで外されたかわかるか。」
仕事を外されてしょげているのかと愛美の表情をうかがったのだが、どう見ても彼女は微笑んでいる。
「申し訳ありません。」
私はその謝り方に違和感を感じただけでなく、愛美という大学生に不気味すら覚えた。
美人というより可愛いと言ったほうが良い。
面接の間、ずっと子供のような笑顔に好感が持てたという印象が残っている。
だが。
今の愛美は印象はまるで違う。
なんとも形容しがたい女として私の前で微笑んでいる。
「私。ここでのバイト。なんだか向いていないみたいですので今日で辞めさせていただきます。」
そういうと私という存在を無視してさっさと着替えて帰ってしまった。
トレースも大したことなかったというつぶやきを残して。
私としては狐につままれたとしか言えなかった。
そして。
そのあとしばらくしてわが日本支部は見事に壊滅的な打撃を受けた。
表面上は、フロント企業にしていた会社が日本からの撤退したということになっている。
私は命からがらアメリカに戻った。
たぶん。
アメリカ本部も日本支部と同じ道をたどると私を思っている。
本名かどうかはもうどうでもいいが。
鈴木愛美という顎のほくろが魅力的な女のおかげで。
書くまでまなみが登場してくる予定はなかったのに。(;^_^A
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