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使わない言葉とかわいそうな人と好きな人たちとダンス・ダンス・ダンス

生きざま、自分事、見える化、パーパス、ビジョン。朝日新聞記者の近藤康太朗さんが大嫌いで使わない言葉です。わたしが使わない言葉のひとつが「嫌いな人」です。「嫌い」「嫌いなもの」「嫌いなこと」は使うけどそれに「人」につけるのはSNSではしません。会って目の前でその人に言える言葉しか使いません。

わたしが使わない言葉を、さらりと使っていてびっくりしました。

高齢者、そのご家族と関わるお仕事をされているおだんごさん、苦手な方、相性の悪い方もいらっしゃいます。承認要求が高い、勝気で強欲とご自身の性格の難もあると正直です。「嫌いな人」はおだんごさんの時間、煩わしい手間をかけ、ときに喧嘩をした人です。嫌いな人は、SNSの中の会ったことのない人でなく、彼女が全力を尽くした人です。だから嫌いな人で、後悔があるから覚えていると。

おだんごさんの「嫌いな人」にはユーモアもやさしさも、なにより真摯な正直さがあります。おだんごさんの「嫌いな人」になってもいいやと思えるぐらい。

くまさんのこちらのnoteは、「嫌いな人」ではなく「嫌なやつに嫌なことをされたらどうするか」をご家族で話されたことを書かれてます。

「嫌いな人」と「嫌なやつ」は違いますね。その定義ではなく、「嫌なやつに嫌なことをされたらどうするか」というテーマを家族で話されてます。

子どもの頃のいじめっこに、雪玉の中に石を入れて投げ返す復讐派の娘・夫とやられてもやりかえさない平和主義派の息子・くまさんだったけど、

息子さんは「暴力をふるうやつらと同じことしたくないもん」「あんなやつらと同じレベルに落ちたくない」とくまさん。これは『暴力をふるうやつらは人間以下だと思っている派閥』ということになります。くまさんは、逆襲と続けます。それをバネにして自分が頑張ればいい、と。

わたしも、復讐派より逆襲派かもしれないけどもっとひどい。その人たちのことを「かわいそうな人」でくくってしまう。暴力をふるうことしかできないなんてかわいそう」「いじわるする人はかわいそう」

誰かがわたしの悪口を言ったらそれはその人が「かわいそうな人」だからしょうがない。わたしはかわいそうじゃない。いじわるされてもいじわるするほうがかわいそう。ある意味見下している。性格わるい。

負け犬の遠吠えでなく、負け犬のマウントかも。

そういえば夫が「ぼくは勝ち組じゃない。負けなかった組」と言っていたっけ。負けても、負けない。

「私はみんなが大きらい。そして、みんな大好き」

くまさんの娘さんの言葉です。この言葉の大きらいにはいじわるがありません。誰も傷つけない大きらい。おだんごさんの「嫌いな人」に愛があるように。嫌いという言葉に愛をもたせることができる彼女たちはすごい。

おだんごさんとくまさんが動いています。やりたいこと、応援したいこと、楽しむことが広がっています。

くまさんのnoteで微熱さんのブックカフェを知りました。本、おやき、ワークショップ。人と人、本と本、食とラタン、つながり広がってます。

おだんごさんが、文学フリマでご自身の本を初出版されます。売り子さんはくまさんとあやしもさん。

やりたいこと、決めたこと、自分自身がイキイキすることで他の人も動かしてます。頭だけ、心だけ、身体だけでなく、自分自身を全部使って動いているからこそ魅力的で広がっていきます。わたしも彼女たちのパワーに動かされました。ダンス・ダンス・ダンス!!

踊るんだよ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

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