夢じゃないんだ
ふしぎな感覚
身体が、何をすればいいか不思議とわかる感覚で、とらんくんのおでこや髪の毛を、最初から知ってたように私の手が撫でていた。
「よく頑張ってるよね」
言わんとして言った訳じゃなく、これも、なんだか最初から理解してたように、口をついて出た。
新調したワンピースと、座ってるレジャーシートと、そっと太ももに乗っかってるとらんくんの感じで、ズズズ、とズレ始めたので、「座り直しましょうかね」といって、レジャーシートをしまった。おつかレモン。
改めて座り直して、そしてまた、ひざ枕をしばらくの間、続けた。
HSPという概念と別にエンパスという概念がどうやらそれぞれあるらしいんだけど、なんだかとにもかくにも、とらんくんが少しずつ彼のドアを開けてくれてる、心が流れ込んでくるようなそんな感覚がしていた。
ふっと顔を上げてとらんくんが私を見た。一昨日よりももっと近くで。映画のワンシーンみたいになって。
思春期か
「ちょっ、と、ちょっと待って!」と無粋ながらも一時停止。
30代も半ばです、私。ええ、分かってます。ヤボだなぁと自覚ありだったけど、とらんくんだからこそ、確かめたかった。
「えっと、コレは両想いって事でいいの?」(中高生の物言い)
とらんくんは控えめに、でも逃げずにまっすぐ私を見て、
「ちゃんと言うね、俺は、にこちゃんが好きだよ」と、言葉にしてくれた。
そのまま、さながら映画のワンシーンに任せて、私は目をつむった。
『今私伝えに行くから』
昨晩ひたすら聴いていたのは『裸の心』というあいみょんの歌だった。実るなんて予想だにしてなかったけど、そうなればいいなとほんの少しだけ、思っていた。この記事にはきっと、賛否が沢山あるだろうし、受け止めるべき事も、あると思う。
それでも、何にも持たずに、感謝と、尊敬と、最初で最後でもいいから、それでもいいから、ひと目でいい、直接ありがとうと言いたくて、それだけでここに来た。
一年経ってもまだ、涙が出る。泣きながらいまこうして記事を書いている。
アイの入り口
これまで、上っ面をまず見られて、品定めじゃないけれど、そういう体験が多かった。
ラベリングされて、幻想を押し付けられて、
私自身を、心の中を見て欲しいと希うほど、傷付いてきた。
心を通わせるなんて、両親とすら体験できなかったものなんだからと、諦めてきた。キュンは擬似体験として、ドラマや映画や、読書で補う程度でもういいやと思っていた。(それでも逃げ恥は10回こすった。平匡さんが駆け上がる階段の背景に、横浜の友人がよく行くローゼンというスーパーを認識できるまでになった)
古傷か生傷かも分かんないものをかばうためにつけっぱなしにしていた絆創膏や、包帯や、鎧や、そういう心の服を全部脱いで、「これが私なんだけど…」と頼りなく彼の前に居るようなイメージ。
それでも抱きしめてくれたとらんくん。今まで自分がどうやって生きてきたのか思い出せない程、あたたかかった。
『あなたに出逢えた事があたしの終わり』
aikoの『ずっと』という歌の一部が本当にずっと、リフレインしていた。その部分はこう続く。
ーゆっくり息をする 胸の上耳を置いて
それがいま現実になっている。
寝息をたてているとらんくんの胸の音を聴いた。夢じゃないんだな。生きてこうして、ここに確かに居るんだな、私たち。
静かに涙がこぼれるのを、もうそのままに委ねていた。気付いた彼が「泣いてるの?」って、不思議そうに言った。あと控えめに「ピアス痛い」って。ごめんよう。
とらんくんのどこが好きかなんて、一年過ぎてもお恥ずかしいくらい、書ききれない程にあるけど(公共の場で恐縮です)誰かのいのちそのものを好きだと思ったのは生まれて初めてだった。
まるで戦時中みたいだけど、生きる事への執着が薄すぎる私には必要な事だったのかもしれない。とにかく、生きている限り忘れない、忘れたくない記憶 。
気付いたらもう暗くなっていた。東京は日の入りが早いし、速い。夏なのに。
とらんくんは私の今回の滞在地からなんと、1時間くらい電車に乗らなきゃいけないトコに住んでいるので、早よ帰ってもらわないかん(博多弁)と焦った。
離れがたい
初めて本人同士で現実に会った時とまるで違う二人になって、手を繋いで歩いた。最初に訪れたのと同じスタバに立ち寄り、グラスをふたつ、買ってくれた。ペアになるように。嬉しかった。
駅で、「半休とってるから、明日見送りに行くね、少ししか居られないけど、ごめんね」とサプライズ発言を贈られた。
遠距離恋愛は全くの初めてだと教えてくれたとらんくん。不安もたくさんあったと思う。きっと私以上に。
それでも、踏み出してくれる事になった。
明日の午後の便で、福岡に戻る。この夜が終わらないで欲しくて、やっぱりその晩も、眠れなかった。