にこ:||サバイブ
現在、遠距離恋愛中の私と、とらんくん。 福岡と東京、その距離1,000キロ。 いい時ばっかじゃないです。でも、これまでどうやって私たちが工夫してきたのか、そしてこれからもどう工夫してコミュニケーションを円滑にしていくのかをテーマに書いていきたいと思います。
ワタクシ、にこのこれまで勉強してきた事をまとめていきます。有償にさせていただくものも出てくるかもしれませんが、その際は極力読み手の方に有益な情報とできるように努めます!
【閲覧注意です】私が受けてきた事を、ワタクシにこの視点からでしかありませんがまとめてゆこうと思ってます。そこから得た気づきは別途マガジンにしてお届けします。
二人の序盤にあたる記事たちです。 ご興味があればぜし。
はじめまして。にこと申します。自己紹介記事を固定できると初めて知ったので、早速作成したいと思います。 ご来訪感謝します♪ 名前→にこ Twitterは下記 https://twitter.com/nico25_smilefor 由来→パートナーのとらんくん( https://note.com/tran_0725 )との大切なキーワードから noteをやる目的 ・つらい生い立ちでも幸せになることを伝える。 ・ハンデがあろうが、社会の役に立つことはできると証明する、そのプロ
久々のアップにして、かつ、久々の遠距離恋愛ハックです。 示したい例があり過ぎるけど、1記事1材料で!(最近学んだ) アナログな提案本年2021年の2月から私たちは【交換日記】を始めることにしました。 またねをするまでのイチバン寂しい時間に、提案をして。 会う時に交換をしていこう、とスタートしたけど、この子がどんなに私のピンチを救ってくれたことか。 それまでは記念日や、節目になるような時には手紙を送るのが好きな私たちでした。でも、もう少しだけそばに感じられたら。 空港や駅
前回の記事の続きです。そして、一週間お世話になったけど、完結編とします。 DAY3持参したUNIQLOの薄手のセーター2枚と、スカート2枚。ワンピースタイプのパジャマ。部屋着兼おさんぽ用服2セット。 もうこれだけで生きていけるのではないか説をたてています、にこです。 今日は退所の日。これまでの出来事を挙げてゆきます。 おやつありがたい事に私がお世話になったホームは快適でしかなかったんですが、強いて挙げれば『お腹すく』。 理由は昼食から夕食まで7時間あくからーーー!!!!
前回の記事の続きです。 そもそも私は今年、強烈なアクシデントによるショックから、初めて精神科の入院を勧められました。(ご参照賜りたく) ただ、諸般の事情から主治医と「もう少しだけ外来で一緒に頑張ろう」という話になり、訪問看護師さんやヘルパーさんに来ていただく事でカバーする方針でした。 が、 前述の通り、転居したら不良物件。なお一層具合が悪くなってしまいました。 念願のそんなんこんなんで(?)当初選択肢になかったグループホームを体験利用しているわけですが、結局ほぼ入院と
書く書くサギだったので前置きを以前から【サブリース】についてアップすると申しておりましたが、大幅に遅延してしまいました。テヘ。 みなしご状態のワタクシ。賃貸物件の保証人がたてられない為にサブリース、つまり転貸借をした訳なんですが、コレがもう信じられない設備不良のオンパレードでして。 引越し日よりも前の、カギを受け取った日に設備不良の発見報告をしたものの、契約締結日からひと月半経過した今でも設備の改善にいたっておりません(苦笑) さてさて前置きが長くなりましたが、様々な福祉
遠距離恋愛中にコミュニケーションエラーが起きると結構こたえる。リカバリーにもそれなりに苦戦する。きっとお互い。 そしてきっと、多くのカップルが。 【にこ勉】のほうでも記事にしたいと思っているけれど、私は幸いなことにとらんくんと出会う前の数年間、カジュアルな心理学を学ぶことが度々あった。自分の取り扱い方法を知るのが目的だったけど、ここにきてとらんくんとの関係性にも役立てることが出来ている。 I メッセージと You メッセージ「なんであなたは」 という言い方をよく「女性の
繊細度高め同士本記事はちと短めに。 私ととらんくんは、おそらく二人ともHSP気質。にこ個人としてもかねがね悩みのタネだった。今でこそ「繊細さん」なんて名前が台頭してきたものの、昔はそんな言葉なかったし、ちと小馬鹿にされてきた感ある。 こちらとしては人の気づかない事が目に入ったり、聞こえたり、考えがよぎったりというのはなかなか生きづらいもの。 非HSPな方々からすれば、ザックリ言うと 「気にし過ぎ」 な訳です(コレ言われると傷つくんですねー) そんな私たちはコミュニ
シリーズこさえます( ´ ▽ ` )遠距離恋愛中の私と、とらんくん。 福岡と東京、その距離1,000キロ。 甘ったるい事ばかりではないけど、これまでどうやって私たちが工夫してきたのか、そしてこれからも工夫してコミュニケーションを円滑にしていくのかをテーマに書いていきたいと思います。 オソロのチカラ今回はオソロについて。 振り返ってみると、お付き合いを始めた時から何かとオソロを大事にしていたように思う。案外とらんくんもオソロが好きなのか付き合ってくれている(そゆとこ好き)
耳の痛い話を、自分でする訳ですこれから(笑) 私が勉強してきたものを【にこ勉】シリーズとしてお届けしてみたい。 今日はPAについて。 PA=Passive-aggressive behavior というものがあって。 和訳すると「受動的攻撃(行動)」となる。 受け身な攻撃。ちょっとした違和感をおぼえる。 受動的攻撃とは怒りを直接的ではなく、隠しながらも遠回しに表現して相手を困らせるような性質のこと。 例えば怒りを「黙ること」「サボること」など消極的、否定的な【態度で】表現
4歳のにこにこはピエロだった。ずっと。 「ピエロ」だったり、時には「いない子」だったり。(スケープゴートとか、なんかアレコレあったけど思い出せないやつです) そんなピエロにならざるを得なかったのには理由があって。 気付いてしまったから。いだいてしまったから。私はこの家族に入れてもらえていない、必要じゃないのかもしれないという疑念を。 こどもは大人が思う程「こども」じゃない誰しも感じた事がないでしょうか。 こども扱いしてくる大人に対して、「自分はそこまでコドモじゃないけどな
私は境界線が薄いところがある。 いわゆるボダとか境界性パーソナリティ障害とかいう意味あいではなく、自分が思ってることなのか、相手が思ってることなのか、投影なのか、分からんくなる。それがしばしば、ある。 共感力が良くも悪くも高いゆえに境界線が薄いのだろうか。虐待の後遺症なのかHSP気質によるものなのかは、よく分からないでいます。 境界線はボーダーラインとかバウンダリーとも呼称するそう。これがうまいこと働かないと人やモノに過剰に依存してしまったり、色んな方法で自分を傷つけるよ
先日もうひと記事作るつもり、とお伝えしていた第二弾です。 くどい様ですが、 【注意】あくまでも個人の体験談に基づくハナシなので、「へえ」くらいで受け取ってもらえたらなって思います。心ある、よき所も沢山あるはずなので(と願うばかり) では参りましょ。 リマインドいたしますと就労移行支援事業所とは、 「障がい者の社会参加をサポートする国の支援制度で【障害者総合支援法】という法律があり、就労移行支援は、障害者総合支援法に基づく就労支援サービスのひとつ。 一般企業への就職を目指
ところで私は一家離散している。 事情はとらんくんも把握してくれているけど、成人するまで虐待を受け続けたのが根っこ。 ADHDの事も虐待の兆候も、面白いくらい誰にも気付かれなかった。「周囲の無関心」ってきっと現代病じゃなく、今に始まった事じゃない。 未成熟な親を持つということいずれこの見出しをテーマにもうひと記事書きたいくらいだけれど、私の両親は「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない。「怒り」はするけど「叱る」ことはできない。 「親として子を愛する」が分からない。「自分は
先日Twitterでお伝えしたとおり、アップします。長くなりそうなのでもうひと記事くらい作るつもりです。 【注意】あくまでも個人の体験談に基づくハナシなので、「へえ」くらいで受け取ってもらえたらなって思います。心ある、よき所も沢山あるはずなので。 では早速。 就労移行支援事業所とはググるとおおよそ下記のような事が出てくる。 障がい者の社会参加をサポートする国の支援制度で【障害者総合支援法】という法律がある。 就労移行支援は、障害者総合支援法に基づく就労支援サービスのひとつ
閲覧注意としておきます【ご注意】 虐待とかPTSDに関してリアルタイムで起きていることへの記述なので、ウッてなる方はどうか体調優先なさって下さい。画像怖いんで一部にしてます(苦笑) 鬼いくらなんでも耐えかねるので、最近あったことを、もう、書いてしまおうと思う。 3年ほどぶりに突然母親が訪ねてきた。インターホン10回鳴らされた。 用件があったらしいので、会う事も話す事もせず間接的に対応したけれど、「もう連絡も受けないし、しません」「来てくれるな」的な手紙を送ったのにガン無視
の、ようなもの以前別の記事「夢じゃないんだ」でチラリと触れましたが、私のルーツと言いますか、そんなようなモノを少しだけ書いてみようかと。 被爆3世見出しのように、私は被爆3世です。 祖父は私が産まれるよりも5年ほど前に他界しているので、詳細は不明だけれど、祖母は被爆者。ちなみに、長崎。 私は比較的元気だった祖母の姿しか記憶にないけれど、後に毒親となる私の母は、伏せりがちだった祖母の印象が強いらしかった。 そりゃ被爆者だもんね。 それでも優しかった祖父の支えもあってか、5歳