![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56864965/rectangle_large_type_2_fa17c3935c5ec9d2bc77043fc7c29d11.jpg?width=1200)
私の、家族
ところで
私は一家離散している。
事情はとらんくんも把握してくれているけど、成人するまで虐待を受け続けたのが根っこ。
ADHDの事も虐待の兆候も、面白いくらい誰にも気付かれなかった。「周囲の無関心」ってきっと現代病じゃなく、今に始まった事じゃない。
未成熟な親を持つということ
いずれこの見出しをテーマにもうひと記事書きたいくらいだけれど、私の両親は「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない。「怒り」はするけど「叱る」ことはできない。
「親として子を愛する」が分からない。「自分はわからないんだ」という事も、分かっていない。
父には逃げて逃げても住所を調べられる、SNSの無断フォロー、自己憐憫しか伝わってこない号泣電話。母には、顔を見せなければ憤慨され、会えば暴言を吐かれるなど、枚挙にいとまが無い。歪んでいる。
「親子なんだから」「家族なんだから」
自分の背景を誰かに話す時、見出しのような声かけをナン万回と聞いた。
良かれと思って発言してくれた相手を責めるつもりはないんですよね。でもね、通用しない家庭もあるんですよ。家族神話によって、被害を受けたはずのこども達は人知れず強いジレンマを抱えるハメになる。残念ながら二次加害となり得る事も。
私もいわゆる【雪解け】というものを目指して母親と話し合おうとした事もあった。(父にはフルボッコにされる懸念から接近したくない)
でも、一向に話し合いにならない。
親と、子ではなくて、娘対娘の構図になってしまう。あがるべき土俵が違う。論点がずれてゆく。
「私だってお母さんに(私からみて祖母)にそんな事言ったことない!」は、同じ土俵にあがってるっぷりが顕著な発言かと思う。
【親子間】の話がまるでできない。何を言えどもヒステリーに油を注ぐだけ。論点がずれていることを指摘しようものなら必殺「親に向かって」。そういう時だけ親感出してくる。都合良すぎる伝家の宝刀(笑)
このまま行くのか…
母は現在還暦を過ぎたあたり。先程記したとおり、彼女も、私の父も、「ごめんね」「ありがとう」が言えない。えっと、知らないんすか?(笑) と思うほど。そのまま行くんでしょう、おそらく。と思っている。
冒頭で書いたけど、私の両親は15年ほど前に離婚している。そういうわけで4人家族は解散しているのです(生存はしている様子)
以来私はソロ活動に勤しんできたんだけれど、一時期うつ状態があまりに激しくて母宅へ強制送還(苦笑)された1年間があった。
毒親だなんて書きたくないんですけどね
改めて母と暮らした1年間は地獄だった。
医師の診断を受け、適切なステップを踏んだうえで傷病手当金を受給しながら療養した…かったけど、母はこう言った。
「働きもしないで金もらっていい身分だ」
「家事くらいできないのか」
今振り返ると「ちょっと何言ってるかワカラナイ」のオンパレード。
(精神の)手帳を取得した時もこうだった。
「どうせ障がい者生活満喫しようとか思ってんでしょ?そんなに障がい者になりたいワケ?」
あ、絶句しました?
あー、この人と暮らすと人格破壊する、と思っていたし、当時の主治医にも「どうにかして母親と離れなさい」と言われていた。(その【どうにかして】を、具体的に教えてくれなかった件は別途)
私はクローズ就労で一年間必死にアルバイトをして、引越し資金を貯めた。
出て行く事を伝えた時「何でよ!!何が不満なんよ!」と激昂する母に、こっちが聞きたいわと思いつつ保証人のサインだけどうにか書いてもらって、命からがら魔の巣窟を脱出したのだった。
そのあともTA(交流分析)でいうところのストロークの渇望、すなわち粘着は続くんだけど。
本日はこの辺で。
お読みくださり、ありがとうございました。