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きょうも最高に気分がいいと、自分を洗脳しよう。

近頃、毎朝起きたあと、起きたばかりなのに、
「つかれた……」
と、無意識に口にしていることに気づいた。

前日、特に重労働をしたわけではない。朝起きたばかりなのに、何なのだろうこれは? とふと思った。そのときの自分についてじっと感じ、考えてみると、どうやら癖になっている。しかも相当長いこと、無意識にやっている癖だ。

私は人生の長い時を、ほぼ憂鬱な気分で過ごしてきたので、そのときにできた癖だ。気づくと、いつも何かしらのタイミングで、
「つかれた……」
と口にしている。

怖っ!

そう思ったのは、「つかれた……」と口にしていることよりも、ひょっとして、その言葉に体のほうが合わせているのではないか? と感じたからだ。

確かに私はアラフィフで、更年期中で、そのうえ運動不足気味なので、朝から疲れていても不思議ではないのかもしれない。しかし、これは鶏が先か卵が先かという話なのではなかろうか? 

体が疲れているから「疲れた」と言うのではなく、「疲れた」と毎日自分に言い聞かせるから、体がその言葉に合わせて不調になっている、ということもあるのでは?

というのも、「私はだめだ……」と毎日のように考えていた頃、私は本当に自分をあれこれ責めまくっていたし、無気力な人間だったし、自分に価値など到底認められないと思い込んでいたからだ。

この「つかれた……」というのも、それと全く同じではないか。

そこで、「疲れた」と口にするときの自分をじっくり観察してみると、やはりどうも、「朝は疲れていなければならない」という思い込みがあるように感じた。「私は毎日、疲れていなければならない」とか「私は疲れやすい体質だ」という思い込みもある。そこから発展して、「私は体力がない」から「私は無理をしてはいけない」へ発展し、「私には何かを一生懸命やる力がない」「私には何もできない」に発展することにも気づいた。そしてなにより、朝から疲れている状態に、自分がどこか安心している感覚があるのだ。

うーわ、怖っ!

毎日、何の気なく発していた言葉が、私のあらゆる細胞に呪いをかけている。

私はそもそも、「アファメーション」とやらをバカにしていた。そんなの意味あるわけないじゃん、みたいな気持ちでせせら笑っていた人間だ。
しかし、今ではなぜバカにしていたのか理解できない。アファメーションとか横文字で言うからバカにしたくなるので、「洗脳」といえばバカにならない。私は今まで、自分を自分で「疲れた」状態へと洗脳していたのだ。

いや本当に、こわくないですか?

私みたいに毎日、つかれたつかれたと口にしている人は、本当にやめたほうがいい。私は今日からやめるよう、常に意識することにします。こういうのはなんでも、自分がそれに気づくことが本当に重要なのよ。

そして、「疲れた……」と言いかけたら「超元気!」とか「最高!」と言うようにすると決めた。はじめは、全くそんな気分や調子じゃなくても口にしていればいいのだ。いつかそうなる。なぜなら、私がまだ最悪の気分で生きていた頃、「私はきょうも大丈夫」と言い続けていたら、本当に、いつの間にか大丈夫になったからだ。

いつの間にか、というのが重要だ。
それは、ある日突然訪れる変化ではなかった。毎日、まいにち続けて、それが自然になった頃に「あ、そういえば」と気づくようなものなのだ。

しかし言い始めは、言葉を言うたびに「うっ」と嫌な気分になることもあるかもしれない。私も「疲れた……」といいそうになるたび「超元気!」と口にすると、なぜか微妙に嫌な気分になる。嫌な気分を感じたら、なんで嫌な気分になるんだろう? と考えてみるのだ。これが重要だ。

例えば私の場合は「疲れた……」に「超元気!」で返すと、「元気だと嫌だ!」という気持ちが、胸の底の方でかすかに、もやもやと湧き上がる。その嫌な感じを味わいながら、それはなぜか? どこから来ているのか? と自分に問う。じっくりと記憶をたぐる。

そうするとその元凶が、幼稚園児の頃に幼稚園に行きたくなくて仮病を使い始めたところにあったことに気づくのだ。当時、なぜか意地悪な子がいて、どうしても行きたくなかった。親に「行きたくない」と訴えても「行きなさい!」としか言われず、無理矢理にでも行かされるのが辛かった。しかし何かの折、病気になると行かなくていいというのを私は学習したのだろう。また、病気になると母親にかまってもらえるという体験を学習したこともあったろう。そういう刷り込みプログラムは本当に馬鹿にできない。無意識に根付いて、無自覚に実行されている。

あなたは、自分を無自覚に動かしているプログラムが、いつどうやってインストールされたのかを、理解し、把握していますか?

自分の嫌な気持ちを徹底的に掘り下げるという作業は、人によっては向き不向きがあるだろうが、嫌な気持ちの根源に気づくことは、私にとっては私を癒やし、生きやすくするためにとても重要な作業だったと思う。今も、嫌な気分があると、それはどこから来ているのか? ということをしている。その根源を理解し自覚すると、枷が外れるような感覚がある。そして、それまでのネガティブ洗脳を、ポジティブ洗脳で上書きしていく。

私と同じように更年期世代の人。「私はもう年だから」とか「年だからこんな服はみっともない」「若い人に頭は下げられない」「最新機器なんか使えないし必要ない」「アイドルはみんな同じ顔に見える」なんて、周囲に合わせて自分を洗脳していると、あっという間に老けますよ。われわれを日々つくる細胞、そして体は、馬鹿正直みたいだから。

それは私もあなたも、ほぼ水でできているからかもしれない。水はなんでも情報を記憶し、あらゆる形に姿を変える。だからわれわれも、そうだと思い込ませたとおりの、かたちにならざるを得ないのだろう。ならばいつでも、気付いたときから、人はきっと思いのとおりに変われるはずなのだ。


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