最近とある教授の授業を受けていて、反面教師的に気付いた事がある。 うちの学部の授業は、研究という観点からはあまり参考にならない! ということ。 もちろん看板授業とも呼ばれ、人文系故にユニークで、”え、大学の授業としてそんなことやっちゃうん?”って思わせるようなテーマの授業も多い。 (山P大好きな教授が、月9を材料に胸キュンについて考察するやつとか) 教科横断型であり、学びの対象も、例えば日本文化について学ぶとしても東アジアという大枠から日本をみるような事が日常的で、いろん
大学生って”言語化”って言葉大好きだと思う。 なんとなくカッコよく聞こえるし、実際に発表の場とかが増えるから思考を言葉にする機会もたくさんあるから、会話の中でもLINEでも多用する。 言語化って単純に私が頭の中で考えてることを言葉にして目に見える形にするだけじゃなくて、誰か第三者がそれを読んで私の考えを共有できるっていうところで重要で、価値のある行為だと思う。 けど、言語化って実際すごく難しくない?そんな単純じゃなくない? こうやってnote一つ書くのにも、どんな言葉を
最近部屋を片付けていて見つけた、自分が高校2〜3年のAO受験を準備しているときに使ってたノート。 中には、塾とか学校の先生に教えてもらった知識のメモとか、志望理由書のフィードバックとかこれから調べる必要がある分野についてとかいろいろ書いてあってすごく懐かしくなった。その時に日記をつけてみるといいと言われて書いた英語の日記とかもあったりして。 もちろんそれは誰かに向けた文章ではなくて素直にその時の私の感情を表現したものだったけど、5年近く経って読み返してみると、あぁ高校生の