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キノ・ライカ 小さな町の映画館

「おれの愛の物語さ、この町の芸術と映画への」

とかなんとかいう台詞が、映画のなかにあった気がする。


フィンランドの小さな田舎町カルッキラ。かつて鉄鋼で栄えたその町に、小さな映画館が誕生した。キノライカ。フィンランドが生んだ巨匠、アキ・カウリスマキによって、役目を終えた廃工場には座席が並び、スクリーンが下がり、屋上には煌びやかな「Nuovo Cinema Paradiso」よろしく「CINEMA LAIKA」のネオンが浮かび上がる。


小さな映画館が、無事に初日を迎えるまでの日々を描いたドキュメンタリー。


ライカ。カウリスマキの愛犬の名前。そして、月に行った犬。かつて月へと壮大な旅に出たライカ犬の運命は非常に文学的で、村上春樹の作品のモチーフにもなれば(@スプートニクの恋人)私の大好きなラッセ・ハルストレムの「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」でも非常に重要な引用をされている(考えてみればハルストレムも北欧の監督だ、何か由縁でもあるのだろうか)


カウリスマキにとって唯一無二の存在であるライカの名を取って作られた映画館。果たしてその制作過程がどのように描かれているのかというと、まあカウリスマキの通常運転といったところだった。ドキュメンタリ―風を装ったモキュメンタリーなのか、はたまたフィクションを装ったリアルなドキュメンタリーなのか。観ているほうの脳内が適宜バグってしまう。

この映画を撮っているのは実際カウリスマキではないのだけど、まあ、その映像観からしてよくできているなあと感慨に耽った。


大概がフィックス撮影であって、その長方形のなかに収まるすべてが動ける絵画のようなもの。何気なく立っている人の位置も、何気なくその人が持っている物の角度も、車や馬の動き方、光や煙や風の揺れ、すべてが計算しつくされている。どの一瞬を切り取っても絵画。完璧すぎる配置バランス。


他にも細かく挙げると、「あっ」と思わず声をあげたくなるシーンが満載だった。

たとえば、完成した劇場で、照明が落ちて懐中電灯だけで照らされるシーン。暗さのなかに映し出されるもの、わずかな視覚情報で描こうとする。

ライブシーンとビリヤードをしている女性たちのクロスカッティング。ライブの音から突然ビリヤードの球がはじかれるショットへのつなぎ方、たまらない。そこから何度も交互して、ライブシーンのフィックスカメラとバンドの間には踊り出す客の影がまばらに映り始める。

また、運転している男女の会話は冒頭から何度も流れているのは知っていた。決まって後部座席からの肩なめショット(というのか?)なのだけれど、終盤、カウリスマキ本人が運転するシーンがある。この作品の収束に向けてのモノローグを入れながら、次のショットに切り替わったとたん、劇場のスクリーンが映し出されていて、そこにさっきまで運転していたカウリスマキが絵画のようにさっそうと車から降りてくる。この、主観と客観にスクリーンを介入させた面白さ。


そういえば、さんざんカウリスマキの名前を出して本人自体も出ておきながら、カウリスマキを知らない人からすると、中年のおじさんとカウリスマキとやっと一致するのが「終盤になってから」というのも面白い。ヒッチコックのような遊び心、これは何気なく見えて絶対に意図的だ、と私は思っている。


ジム・ジャームッシュが出ているのもしびれたが、「カウリスマキの映画もジャームッシュの映画も足し算ではなく引き算の映画」というのは大変わかりやすいし良い表現だと思った。皆が描こうとするもののなかから排除して、残ったものをシンプルに描いていく。

引き合いに出した例が大好きな「ナイトオン・ザ・プラネット」というのがなんとも粋で、たいていの映画は移動手段としてキャラクターがタクシーに乗る瞬間と降りる瞬間を撮るだけ、でもこの映画はただひたすらキャラクターがタクシーに乗っているのだとジャームッシュが淡々と語っている。本当にその通りすぎて何だか笑ってしまう。


そう考えていると、つい私の自由気ままな脳みそは楽しい想像を広げ始めて、「これを松居大悟で撮ったらなあ」とか考えだす。ほらほら、やめなさい。私の悪い癖がまた出始めたよ、だってこの映画と松居大悟に何か親和性があるわけではなくて、でもただふいに本当に漠然と、そんなことを思いついてしまったのだった。

この映画に出てきたライブシーンと、「ちょっと思い出しただけ」のクリープハイプが重なったか。ジム・ジャームッシュが何気なく「ナイト・オン・ザ・プラネット」の話なんて陽気にしはじめるからなのか。何にせよ、親和性がないもの同士の化学反応を見てみるのも別に悪くはない、だって日本語とフィンランド語は似ているらしいし。そう言及して映画のなかでは、フィンランドの曲を日本語訳した歌謡曲ともフィンランドの童謡とも言える歌がひたすら流れていた(何回流れるんや!ってあやのと冬空の下突っ込ツッコんだ)


こうして一本の映画について語り始めると脱線ばかりして結局終着駅が見つからなくなってしまうのだが(私の映画レビューは基本的に環状線だと思ってください)とにかく見てよかった、久々の劇場を心から満喫できる映画だった。

とてもありがとう、アキ・カウリスマキ。そして愛犬ライカ。そして、いつか宇宙を巡ったスプートニクの恋人も。

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