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ザイオン・アドベンチャースタイル・デュアスロン その結末は?

渓谷を渡る強い風が、バージンリバー沿いに生い茂る木々を揺らしている。露出した肌に当たる風は、暖流と寒流が入り混じった海水の様に、時に冷たく、時に生温い。バイクのペダルを漕ぎ始めて数分経つが、汗はかいていない。昇り始めた朝陽が、ザイオン渓谷を見下ろす峰々の上部を赤く照らしている。谷底に陽が届くのはまだ少し先になるだろう。

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昨日の午後、ビジターセンターに到着した後、時計を一時間前に進めた。カリフォルニア州からネバダ州を挟んで東に位置するユタ州。その南西の角に佇むザイオン国立公園。10月初旬、日の出の時刻は午前7時半とかなり遅い。冬時間への移行は11月1日。この先、夜明けは更に遅くなる。

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日の出時刻に合わせて、7時半にビジターセンターを発ち、最初の目的地であるThe Grotto (グロットー)バスストップへと向かった。数メートル先には、心持ちサイズの合っていないバイクを漕ぐ家内。レッドロックに囲まれた絶景を堪能し、ご機嫌な様子が後ろ姿を通して伝わってくる。ザイオンには、これまで四季を通して幾度となく来ているが、圧倒的な存在感を放ち渓谷の両岸にそそり立つ巨岩群は見飽きる事が無い。

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(ビジターセンターからキャニオン・ジャンクションまで続く、園内唯一のバイク・歩行者専用トレイル)


周囲は明るさを増し、気温もが上がり始めている。断崖絶壁で知られるエンジェルズ・ランディングへ一度登ってみたい。家内の希望を叶えるため、まだ陽が当たらないトレイルを、のんびりと渓谷の奥へと向う。

ザイオンキャニオンでは、4月から10月末までは、一般車両の通行は制限されており、園内ではシャトルバス利用が義務付けられている。渋滞と環境汚染を緩和するために2000年から導入された。

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コロナパンデミックの中、他の多くの国立公園同様に、一旦閉鎖を余儀なくされたザイオンであるが、7月1日からシャトルバスの予約制を導入し再開された。搭乗希望日の2週間前から予約が可能となるのだが、迂闊にも気が付いた時にはすでに遅く満席。

そこで思いついたのが、バイクによるツアー・ド・ザイオン。今回が初めてではないが、問題はバイク。暫く使っていない家内のママチャリは老朽化が進んでおり、いつ壊れるかわからない。苦肉の策で、長男がかつて使っていたマウンテンバイクを持ってきた。後ろから見ても小さめで、サイズが合っていないのが分かるが、家内は全く気に留めていない。

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(前方を走る家内。その先に見える尖った峰が目指すエンジェルズ・ランディング)

シャトルバスが満席だったため、意図せず決行となったツアー・ド・ザイオン。行程はと言うと、まずはバイクで10㎞ほど、次いでエンジェルズ・ランディング登頂、再度バイクでシーニック・ドライブの終点まで。そしてナローズ川歩きをし、バイクで戻って来る。合計走行距離はバイク26㎞、そしてハイクが14㎞というところだろうか。山あり、谷あり、川ありの、アドベンチャーレースのような、なんちゃってデュアスロンだ。デュアスロンとはあまり馴染みのない言葉であるが、スイム・バイク・ランの合計タイムを競うトライアスロンのスイムが、ランに取って代わったもの。つまり、ラン・バイク・ランの合計タイムを競う競技だ。しかし今回はレースではない。ランニングを日課にしており、フルマラソンを2回完走している家内ではあるが、無理は禁物。始終のんびりと二人で景色を楽しみ、無事にゴール地点である宿に辿り着くのが最優先だ。

陽が昇るにつれ青みが増してくる空と、赤い岩肌の絶妙なコントラストが美しい。谷間を吹き抜ける風もいつの間にか止んだようだ。

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グランドキャニオンを始めアリゾナ州、ユタ州には数多くの壮大なスケールの渓谷があるが、それらの殆どが谷の上から見下ろすものだ。一方、ザイオンキャニオンは、バージンリバーが悠久の時をかけて、岩を削り作り上げた渓谷の底に足を踏み入れる。川から見上げる、幾重にも地層が積み重なった巨岩が織りなす景色は、グランドキャニオンの谷底からのそれと酷似している。言い換えれば、ザイオンキャニオンでは、何時間ものトレッキングをすることなく、グランドキャニオンの谷底の絶景を楽しめるという事だ。


バージンリバーを流れる水は、時に激流と化し岸壁の一部を崩壊する。園内の唯一のルートであるザイオンキャニオン・シーニックドライブが通行止めとなる事も珍しくない。数億年経った今日も浸食は日々繰り返され、壮大な芸術作品ともいえる渓谷の創作は続いている。


軽快にバイクを漕ぎ、エンジェルズ・ランディングの出発点となるグロットーに到着すると、既に大勢の人で賑わっていた。昨今のエンジェルズ・ランディング人気は聞いていたが、パンデミック下でシャトルバスも人数を制限して運航しているため、仄かな期待を抱いていたが、見事に裏切られた。バイクを所定の場所に置き、ソーシャルディスタンスを保ちながらトレイルに向かう。

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(エンジェルズランディングのトレイルヘッド。ここから片道約4㎞)


天使が降り立つ峰、エンジェルズ・ランディングはバージンリバー脇に聳え立つ独立峰。尖った山頂までの距離は片道約4㎞、標高差約450m。最後の数百メートルは、切り立った崖を鎖をたどって登るスリル満点のルートだ。鎖場までの3キロ超は急勾配をスイッチバックで上ってゆく。

ハイカーの数が多いのもさることながら、場違いな感じの人が多いのに驚かされる。スーパーの買い物袋をもって、ぶらぶら歩く人たち。インスタ映えを狙ってか、やけに着飾った人たち。ここ数年、ソシアルメディアの影響か、国立公園で見かける観光客の構成が大きく変わったと感じているのは私だけではないだろう。

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(中央で朝日を浴びる一枚岩が目指す頂)

いつもはトレイルを走る私だが、今回は家内を同伴。さらに周囲にはたくさんのハイカー達。のんびりと歩くトレイルでは、景色を楽しむ余裕が十分にある。ザイオンとは旧約聖書に登場する丘の名称である。「約束の地」あるいは、「聖なる丘」を意味する。目の前に迫る天使の峰、その後ろに控えるザイオンの峰々はまさに、聖なる丘にふさわしい神々しい美しさだ。

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(スイッチバックの途中にて)

スイッチバックで喘ぐ人々を横目に、のんびりと、しかし休まず歩き続ける事、一時間程度。予想外に早く鎖場に付いた。

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そこにはなんと、鎖場の順番を待つ大勢の人だかり。急こう配の岩場に設置された鎖に沿って、数珠繋ぎでハイカーが並んでいる。数年前に独りで来た時とは比較にならない数だ。

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コロナ対策様に設置された看板には、マスク着用、手を殺菌、安全な距離を保つ、追い抜き禁止という注意書きがある。断崖絶壁で鎖につかまりながらの殺菌は現実的ではない。マスク未着用のハイカーも多数いる。暫くその場で様子を見るが、続々と来るハイカーが途切れる様子はない。家内の希望を尊重して天使の峰は、また次回のお楽しみとした。

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ウェストリム・トレイルは全長21㎞。ザイオン国立公園の北側に位置するラバポイントまで続いている。その北西には、訪れる人も稀なコロブキャニオンが、ひっそりと佇んでいる。鎖場の人混みを後にして、そのままウェストリムトレイルを北上した。

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(ウェストリム・トレイルからの帰路。辺りに人影は全くない)

一度、エンジェルズ・ランディングへのルートを外れると、ハイカーの姿はぱったりと途絶えた。前方に聳える名も知らない頂きに向かう。静まり返ったトレイルに、二人の足音だけが響く。照り付ける日差しが心地よい。静寂に包まれた聖なる丘ザイオン。そこに流れる時間は極めてゆったりとしている。

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(家内が小休止している間、少し先の見晴らしのよい峰までひとっ走り)



深い所では、水は腰まで達している。水温は思ったより低い。数分前まで足の感覚が無かったが、漸く指の感覚が戻ってきた。太陽は西に傾き始め、狭渓谷内は日陰の部分が多くなってきた。気温は30度を超えているはずだが、足元を流れる河の水に体温を奪われ肌寒い。

転ばぬようにトレッキングポールでバランスを取りながら、バージンリバーの流れに逆らって歩く。両側には岸壁が高くそびえ立っている。周囲に人の姿はあるが、スタート地点とは比較にならないほど減っている。

30分ほど歩いただろうか。冷たい水に浸かりながらも家内は、先程とは別人のように、上機嫌で川歩きを楽しんでいる。

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ここで一時間ほど時間を遡ってみよう。

エンジェルズ・ランディング登頂を諦め、ウェストリムの静けさを暫し楽しんだ後、再びバイクに飛び乗り、シーニックドライブの最終地点である、テンプル・オブ・シナワバへ向かった。トレイルヘッドにバイクを残し、1.6㎞先のナローズの出発地点までのトレイル。家内がすっかり無口になった。

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(ナローズへ向かうトレイル脇)

大丈夫かと問うと、「もう疲れちゃった~」と目に見えて元気がない(家内との会話はスペイン語なので、実際には “Ya me cansé ” という感じ)。

過去に何度も経験しているお馴染み光景。疲労と言うよりはエネルギー切れだ。朝食後、エナジーバーとレーズンしか口にしていない。家内は、エネルギー不足に陥ると、ユーモラスに踊っていた操り人形が、突然、糸を切られ床に崩れ落ちるかのごとく動けなくなる。所謂ハンガーノックと言われる現象であるが、彼女の場合はかなり極端だ。私はと言うと、これまでのトレーニングで、体内に蓄積された脂肪分を、効率的にエネルギーに変える術を身に着けている。因って、一般の人と比べると少ないカロリー摂取での長時間行動は得意な方だ。今日もこれまでレーズンを数粒口にしただけだ。

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(陽が傾き始め、日影が多くなってきた)

トボトボと歩く家内を励まし、ナローズの出発地点まで何とか辿り着いた。持参した川歩き用のシューズに履き替えながら、再びエナジーバーとレーズンを半ば無理やり食べさせ、祈るような気持ちで暫し待った。せっかくここまで来て、ナローズを楽しまずに帰るわけにはいかない・・・

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ナローズでの川歩きを暫し楽しんだ後、濡れた体を乾かし、シューズを履き替え向かう先は、ザイオンロジ。1.6㎞のトレイルを歩き、テンプル・オブ・シナワバで再びバイクに跨り、6㎞先を目指す。ロッジに併設するカフェで食べるピザとサラダ、そしてソフトクリーム。昼食時に立ち寄るはずだったが、タイミングを逃してしまった。過去に何度も来ている家内のお気に入りの場所だ。

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(ザイオンロッジに向かう途中。バックパックには早朝に着ていた長袖レイヤー、川歩き用の靴、トレッキングポールなど様々なものが入っている)

午後の陽を全身に受け、濡れた体がちょうど乾いたころにロッジに到着した。一目散でカフェへ向かい注文と思いきや、店員が無表情に、「午後5時でオーダーは終わったよ」。時計の針は、5時6分を指している。空腹に耐えて、ピザを夢見ながらバイクを漕ぎ続けてきた家内の落胆は大きい。店員と交渉をするも世は無情だ。ピザもなければフトクリームもない。持参したスナックも底をついた。「糸の切れた操り人形」の再来は何とか避けなければならない・・・


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陽暮れ前に無事ゴールである宿に辿り着いた。レストランの窓の向こうには、夕焼けに染まりながら、静かに訪れる闇を待つ雄大なザイオンの峰々がある。長方形のフレームに完璧に収まったその風景は、キャンバスに描かれた絵画の様な芸術性に満ちている。

心地よく冷えたマルガリータと地ビールで、デュアスロン完走の祝杯を挙げる。「今回は記念メダルはないね~」と少し残念そうであるが、チャレンジを成し遂げて喜びいっぱいの家内。何とかエネルギー切れを回避し、無事宿に辿り着いてほっとする私。夫婦それぞれの思いで過ごす、至福の時がそこにある。


因みに、ザイオンロッジで「糸の切れた操り人形」の危機を救ってくれたのは、カフェの隣にあるレストラン。開店準備中の店員に頼み込んで、特大のチョコレートアイスクリームをゲットした。これで残り10㎞のバイクに必要十分なカロリーを得て、ゴキゲンムードをキープしたまま、最終地点まで辿り着くことが出来た。全ては、心優しいレストランの店員さんのお陰である。Life is good with a scoop of ice cream !


ワンポイント・アドヴァイス:



園内での自転車利用

ザイオンキャニオンのシャトルバスのルートとなっているシーニック・ドライブは全長約8マイル(13㎞)。ビジターセンターから、終点のテンプル・オブ・シナワバ方向に向かって緩やかな登りとなっています。急勾配はなく、とても快適なサイクリングルートです。往路は上りのため多少疲れますが、帰路は逆に下りとなり、疲れた足にやさしルート。ザイオン南エントランスに隣接するスプリングデールにて、レンタルバイク調達可能。電動バイクも数多くあります。園内は道幅が狭いため、後方からシャトルバスが近づいてきたら自転車を停めて、一旦降りてシャトルバスの通過を待つというルールがあるのでご注意を。

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By Nick D

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