『人間失格』 恐怖と虚無
以下の文章は、私の目という特殊なフィルターを通して出てきた言葉である。あしからず。
太宰 治『人間失格』を読んだので、その記録。
introduction
太宰に興味を持ち始めたので、薄い知識でも知りうるタイトルのものから読んでみようと思ったため。
つまり、特に大きな動機はなかったということになる。
about
この物語は主人公の大庭葉蔵をはじめとして、様々な色の濃い人物が登場する。以下主な登場人物
竹一...葉蔵の中学の同級生。葉蔵の”道化”を初めて見抜く人物。
堀木正雄...葉蔵に「酒」「煙草」「淫売婦」「質屋」「左翼運動」などさまざまなことを教え、奇妙な交友関係を育む。
ツネ子...カフェの女給。葉蔵と後に入水自殺をはかり、死亡。
マダム...barの女主人。葉蔵を暖かく迎え入れてくれる。
ヨシ子...純真無垢な心の持ち主で信頼の天才。後に、葉蔵の信じていた信頼という概念さえ、完全なものではないと感じる原因となる。
ヒラメ(渋田)...葉蔵の身元引き受け人。
これらの人物を中心に、様々な人物と関わる中で、自分に「人間、失格」の烙印を押すまでに追い詰められる葉蔵の人生を描いた作品である。
人を信じることができず恐怖を覚え、偽りを演じてきた自分に絶望していた上に、偽っていない純白なヨシ子が幸せになれなかったことで、さらなる絶望を覚えた。ヨシ子の信頼が汚されたこと、葉蔵が長年信じてきた無垢の信頼心が汚されたことが引き金となり、その絶望と恐怖の果てに虚無の世界に身を投じるところで話は終わる。
女もタバコもお酒も薬も確かに落ちぶれていく象徴で人生を終焉へ導く具体物なのかもしれない。しかし、その具体物は些末なもので、この小説の本質は、ずっと幼少期から語られる恐怖と、自分に足りなかったためにうまく生きていけないのだろうと信じて疑わなかった”信頼心”にさえ疑念を抱かざるを得ない状況に陥ってしまった結果の虚無にあると思っている。説明のつかない恐怖感とともに人生を生きてきた主人公。その主人公の機微は晩年の太宰治だったからこそ描き出せたものなのだろう。
result&discussion
第一印象に、読んで良かったという感想を持った。
自分の感情を代弁してくれているかのような、分類できずに放っておかれた感情にラベリングをしてもらったような、そんな気持ちがした。そして、太宰が見ている世界は自分の何倍も密度が濃く、それゆえに情報を処理するのもも大変なのだろうとも。いや...処理は諦めたのかもしれない。いや...逃げる方法がわからず正面から向き合いすぎていたのかもしれない。太宰の様々な葛藤と美しく書き上げられたフィクションとしての作品との狭間で浮遊する私の心はなぜかスッキリしたのであった。
個人的に心に残った場面は堀木と言葉遊びをする中でドストエフスキーの『罪と罰』を思い出し、罪の対義語は罰ではないのかと思い至る場面である。罪の対義語にふと思いついたのが罰。つまり、この世には地獄以外のことはないのだと、妙に納得してしまった葉蔵の心情が見えるシーンである。言葉を操るものは時として、言葉の持つエネルギーに抗うことができずに飲み込まれていってしまう。そのような気がしてならない。
人生という地獄の旅路を経たあと、うまくドロップアウトできなかったその先に待つのは虚無の世界だ。そんなメッセージを受け取ったのであった。
その世界を見るために生きるのだとしたら。...考えるのを勇気を持って辞めておこう...。
では、次の機会に。