罪の本質 『海と毒薬』
『海と毒薬』 遠藤 周作著
を読んだのでその感想とともに。以下は私の目と言葉というフィルターを通して出てきたものである。あしからず。
新潮文庫
introduction
友人に勧めていただいたため。
文学が好きな友人とお話ししていたときに出てきた作品だったため手にとった。
about
この作品は
第一章・海と毒薬
第二章・裁かれる人
の二章に分けられた小説である。
第一章では地方の一医師として描かれる、勝呂。第一章では勝呂はどこか変わったところのある内科医として語られる。
語り部自身、その違和感に本能で気付き、義妹の結婚式で九州に旅行に行ったときに、勝呂が人体実験に加担していた事実を知る。
勝呂の、”これからも同じような境遇に置かれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない”という言葉を最後に現在の語り部が語る部分が終わり、次から勝呂を取り巻く回想シーンとなる。
第二章以降では、語る人を変えながら、人体実験に加担してしまうまでの勝呂の葛藤と周りの環境を克明に描き出す。
勝呂の医師としての”生”への向き合い方と”罪”とは一体何なのかというテーマを描いた作品である。
discussion
読後、一番色濃く残ったイメージは、人体実験をテーマにした”罪”の本質を描いた作品だ、ということであった。
この物語は大半が回想シーンからなるが、前半の現実のシーンも大きなインパクトを残す。
現実を描くシーンでは、頻繁に砂やタバコの描写が出てくる。スフィンクスまでも最後には登場し、全体として黄ばんで薄汚れたイメージの描写が続く。文体が乱れているわけでもなく、不規則でもないにもかかわらず、綺麗なイメージは片時も飛び込んでこない。ここまで徹底した情景描写をすることで、その後の回想シーンへの伏線の役割を見事に果たしているのであろう。また、この描写から、勝呂は人体実験を不可抗力であったとはいえ遂行してしまったその当時の思いに対して整理がついていないことも示唆される。それが、aboutにも書いたあのセリフからも垣間見られる。
回想シーンでは、次のようなことが描かれる。戦時中、人が空襲や病気で死んでいく様を目にして、命を救うことに意味はあるのかと思うようになる。どうせ、遅かれ早かれ死ぬのが人間なのだと。手術が失敗してそれを隠蔽するときも、その思いで過ごしてしまった。そして、恐怖は世間からの罰にあるのであって、自分の良心に対してあるものではないという考えから、人体実験に加担してしまうのである。
この小説に美しい描写は一つもない。すべてがどこか薄汚れた色をしているか、深く暗い底を這いずり回っているような色をしている。余裕のない色に見えた。
「仕方がなかった」という言葉だけで片付けられない問題が描かれている。選択を迫られるが、どの選択をしたとしても救いがない。罪とは一体、何なのか、周りから罪と位置付けられたもののみが罪であるというのは本当なのだろうか。
まだ、結論は出ていない。それは勝呂がそうであったように。
それでは、また、次の機会に。