13ピアノの思い出 H先生のスパルタレッスンでエレクトーンも上手くなる
私が小学4年生の時だった。エレクトーンのT先生が立ち上げた音楽教室でピアノのS先生が解雇された後、武蔵野音大を卒業したばかりの若いH先生がやってきた。
H先生のレッスンは声楽科出身のS先生とは全く違った。
H先生は、エレクトーンばかり弾いてきた私の手が「ピアノの手」になっていないのを矯正しなければ、ピアノはろくに弾けるようにならない、と最初に思ったのだと思う。
まず、S先生のレッスンで使っていた「子供のハノン」ではなくて、普通のハノンを購入した。早く進む必要はない、色々な方法で弾くと良い、とのことだった。
例えば、譜面通りに弾くのではなくて、まずは全部フォルテシモのスタッカートで正確に弾けるようになることを要求された。指が弱かった私には、そもそもフォルテッシモもスタッカートも難しかった。しかし、ゆっくりから繰り返し繰り返し練習しているとできるようになるものである。
それから、スタッカートの付点や逆付点だったり、リズムを変えてひいた。どんな弾き方でも正確に「粒を揃えて」弾けるようになったら、ようやくレガートで弾かせてもらえた。
「粒を揃えて!」と、H先生から何万回も指摘された。
レガートで弾いている最中も厳しかった。指が転ぶと、その箇所だけ取り出してフォルテッシモのスタッカートで繰り返しさせられた。
とにかく、H先生の指導法では、まずは強い音のスタッカートから練習し始める。最終的にレガートで弾くようになってからも指が転ぶところがあれば、その箇所だけ取り出して、フォルテッシモのスタッカートからやり直して、転ばずに、かつ「粒を揃えて」弾けるように練習する。そしてようやく、通してレガートで淀みなく弾けるようになったら、さらに半音上げたり下げたり転調したりして弾いたりしていた。
こんな調子だったので、譜面通りに弾くだけだったらさっさと進みそうなハノンが、遅々として進まなかった。
また同時に、指の形にも注意を払わせられた。エレクトーンなどのふにゃふにゃの鍵盤を弾くときには考えたこともなかった。小指が丸まっていても、親指が反っていても、ただ弾けていればそれでよかったからだ。
この指の形の矯正にはかなり難儀した。H先生に習っていた3年間通して、ずっと課題だった。エレクトーンを調子に乗って弾いている間に、とても変な癖がついてしまっていたのである。家では、ハノンを弾きながら片手でもう片方の手を良い形になるように添えながら練習したり、小指が丸まらないように小指を持ちながら練習したり、一人でさまざまに工夫して練習していた。
ハノンの他にはチェルニーも弾いた。S先生のレッスンで使っていた「バイエル」はさっさと終わらせて、チェルニーの30番を始めたと記憶している。ハノンと同様、とにかく最初は譜面通りに弾かなくてよい、どの曲も全部フォルテシモのスタッカートで正確に弾けるまで練習することから始めた。チェルニーは面白くなくて、なかなか進まなかった。
曲においても同様で、ゆっくり弾くことからはじめ、両手バラバラにフォルテッシモのスタッカートで弾き、付点のスタッカートで弾き、逆付点にして弾き、リズムを変えて弾き、、、ということを何ヶ月か繰り返して、よく弾けるようになったらようやくレガートで弾いてよいという「許可」が降りた。
しかし、その「許可」が出たからといって、ペダルは踏ませてもらえなかった。ペダルを踏むとアラが隠せてしまうからだ。だからペダル無しで綺麗に弾けるようになってようやくペダルを踏ませてもらえた。厳しいなあ。
ペダルを踏まずに最初から最後まで綺麗に弾くことの難儀さといったら。。。ペダルを踏んだら曲っぽくなるのに。と、寸止めを食らっているかのような辛さがあった。
そんなこんなで、この頃はフォルテッシモのスタッカートでばかり練習していた記憶がある。曲を曲らしく弾いた記憶はあまりない。
例えば、小学5年生の時の発表会で、ショパンの演奏即興曲を弾いたのだが、ペダルを踏んで抑揚をつけながら弾かせてもらえたのは本番の僅か1週間前であった。しかし、このペダルも「本当に必要な最小限度」しか踏ませてもらえなかった。
本当ならば、当時気に入っていたこの曲を、もっと長い期間にわたってペダルを踏み、「悦に入りながら」弾きまくってみたかった。H先生的には、そんな弾き方をしたら「崩れるからダメ」というに決まっている。
しかしこの練習のおかげで、指はくるくる回るし、粒を揃えて弾けるようになるし、抑揚をつけようと思った箇所で付けられるし(要は弾きながらコントロールできた)、最初から最後まで淀みなく弾くことができて、自分でもかなり驚いたことをよく覚えている。先生もご満悦だった。
本当に厳しい内容のレッスンだった。小学生だというのに言われる通りに練習していたのは、自分自身で効果も実感していたし、「ただ弾く」のではなく、完成度を上げることの大事さもわかったからだった。それに、この頃はピアノで弾きたい曲が多数見つかったので、よいクオリティーで弾けるようになりたくて、とにかく先生の指導にしたがっていた。
H先生には、本当に感謝している。おかげで、まだまだ問題点はあるけれど、結構よく弾けるようになったからだ。このことは、普通大学に行ってからも、40代に入ってからフランスで職業音楽家を名乗れるようになる際にも大いに役に立ったのだ。
こんな風にピアノを練習していたので、ふにゃふにゃの指からピアノの指に矯正されるにつれ、エレクトーンは飛躍的に上手になったのは言うまでもない。
ただしかし、レッスンでも家も弾いていたのはアップライトピアノだったため(しかも家のはヤマハの一番安いやつで音がこもっていて鳴らなかった)、ピアノのタッチは習得できても耳の使い方までは習得することができなかった。