ネガティブから生成される文章しか書けない話
今まで書いた文章は、ネガティブな感情から作られたものでした。
僕の中で文章を書く行為というものは、自分の記憶を視覚的に保存するための外付けHDDです。それが詩だとしても、小説だとしても、某青い鳥だった媒体としても。
日記とはまた違って、書く内容は今日の出来事だけに限らない。
誰かにどう思われてるかわからなくて怖い、であるとか。あの人のことが愛おしくて夜も眠れない、であるとか。
この文章は珍しくネガティブから生成しているわけではありません。
スターバックスの新作を啜りながら、晴れた空のもとで書いています。
思えば、中学時代からでしょうか。夜更けからパソコンを叩き、日が昇るまで文字を打ち始めたのは。その時はそれが全てであり、それしかやりたいことがありませんでした。
書くことしか能がない、と気づいたのは小学校6年生の時に先生から文章を褒められた時でした。それまで何をしてもあまり褒められることはなく、卒業文集の書き方を褒められた僕はたいへん喜びました。しかし、それは今となっては呪いのようなものです。
あの時、先生から褒められたから自分は文章を書けるんだ、と驕り高ぶっています。
書くことしかできない、と気づいた時に僕は自身の限界を知ってしまった。
それを意識するたびに書くことすらできなくなって、このままではいけない、もう嫌だ、と気分が落ち込んでいくのです。
本当は書くことすらできないのに。
だけど、書くしかない。能力が周りより劣っていても。
なんか落ち込んできたので今日はここまで。
僕はこれからも物書きを名乗り続けます。
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