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過去の記憶(交通事故)
はじめに
皆さん、こんにちは。まさです。
皆さんは、過去の記憶はいつ頃まで覚えていますか?
私は、幼稚園時代から小学校低学年を断片的に覚えているくらいで、それ以前は幼稚園時代と混在していてわかりません。
以前、「過去の記憶で印象に残るのは!(悲しいアイス事件)」でもお伝え致しましたが、悪い事は印象に残っているんですよね。
今回も、私自身の悲惨な過去の記憶をお伝え致します。
是非、最後までお読み頂ければ幸いです。
懐かしさから思い出す
9月から母の死去から法要まで頻繁にお寺に行っていました。
お寺の近くには、子供の頃、住んでいた家があったので、妻と2人で見に行いく事にしました。
何年ぶりだろうか?
「ここが、例のアイス事件の現場だよ」「ここで良く遊んだよ」等を話ながら懐かしさに浸ったりしました。
そして、ある神社に来た時に、悲惨な記憶を思い出しました。
当時、私が4歳~5歳(昭和47〜48年)くらいの事だったと思う。
家の近所には、皆が遊ぶ神社があり、そこで知り合った同い年の男の子N君と仲良くなった。
N君は、わんぱくという言葉が似合う子だった。運動神経のよい活発な子だ。いつもN君の後ろを追いかけていた記憶がある。
彼とは、私が小学校5年生で引っ越すまで、よく遊んだ。
昔は、小さな子供だけで暗くなるまで外を駆けずり回って遊んでいた。
今の時代とは大違いですね。
スマホもない、ガラケーもない、ポケベルすらない昭和の時代。
一度、外に出てしまうと、どこに行ったか分からない。
しかし子供の遊び場は決まっています。あとは近所の人たちのネット―ワークだけが頼りの時代だ。
悲惨な事故の記憶
その日も、神社でN君と追いかけっこをして遊んでいた。
神社の周りは、車1台が通れるような道幅。当時は、私も、チビッ子だったので広い道路だと思っていましたが、大人になって訪れたら「こんな狭い路地だったんだ!」とビックリしました。
N君を追いかけていた私は、その路地に飛び出してしまいました。
その時、車にはねられてしまったのです。
私は、頭をケガしたらしく、出血が凄かった記憶がある。
青い服を着ていたのですが、血だらけになり、服が真っ赤に染まっていた事と、近所の人が母を呼んだらしく、血だらけの私のもとに走ってくる母の姿、救急車が来た事は覚えていますが、他の事は全く覚えていません・・・。
ケガの状態は、かなり酷い状態だったのでしょう。
頭を強く打ったため、毎日の薬と定期的な脳波の検査をする必要があった。
この脳波の検査は、頭全体に針みたいなものを数十本刺し、検査機で脳の状態は検査する。
これが苦痛で、病院に行くのを拒んだ記憶があります。
病院への検査通院は、小学校卒業するまで定期的に通う様になったのです。
小学校3年生まではプールも医者から止められていました。
子供にとってプールは夏の楽しみの一つなので辛い事です。
学校の授業のプールすら入れませんでした。(泣)
鼻は、今でも若干曲がったまま、見た目は分かりずらいですが、片方の鼻は呼吸もできない状態なので、鼻が詰まっている感じです。
今でも、息苦しく感じる時があります。今は、馴れましたけど。(笑)
この件は、親には話した記憶はありません。子供ながらに気を使ってしまったんでしょうね。
そんな事故にあってからは、私の生活は一変してしまいました。
父は、過剰なくらいの心配性で、色々制限されるようになっていました。
小学生時代は、友達との交流にも弊害があり、常に不満がありましたね。子供ながらに、仕方ないとあきらめてはいました。
兄が自由に見えて羨ましかったです・・・。多分、そんな事は無かったんでしょうが。(笑)
しかし、交通事故にあった時は、母もビックリしたでしょうね。急に連絡が入り、駆け付けると自分の子が血だらけなのですから。
心配かけて申し訳なかったと反省しています。
昭和40年代は事故が多かった
昭和40年代後半の出来事でした。当時は今と違い、交通事故も多かった時代です。
交通ルールはありましたが、そんな安全教育を受ける前の出来事。
ちょっと、調べてみたら以下の状況でした。
昭和40年代の子供の交通事故状況
1.背景
①車の普及が急速に進み、交通量が増加した一方で、子どもの安全に関する意識やインフラ整備が不十分でした。
②道路周辺の安全対策(歩道の設置や横断歩道の信号機設置)が現在ほど進んでいませんでした。
③子どもが自由に外で遊ぶ機会が多く、道路での事故に巻き込まれるリスクが高かった。
2.事故の特徴
①歩行中の飛び出し事故が多発。
②学校帰りや遊び中に道路で事故に遭うケースが頻発。
③子どもの自転車利用中の事故も多かった。
3.事故件数の推移
昭和40年代には、年間で子どもの死者数が1,000人を超える年もありましたが、現在ではその数は100人を下回る水準です。
4.結論
昭和40年代の終わり頃、子どもの交通事故は現在と比べてはるかに多く、特に安全対策が不十分な状況下で発生しやすかったと言えます。一方で、現在では交通事故全体と同様、子どもの事故も大幅に減少しています。
車の普及に対してのインフラ整備と安全意識が追いついていない。
路地では、普通に子供が遊んでいましたからね。今に比べれば、安全意識はありませんでした。
ケガをして、家に帰るのが当たり前でしたしね。
豊かな生活と社会問題
時代と共に、技術や製品の進化は生活を豊かにする一方で、新しい社会問題や事故を引き起こす側面もあります。新しい技術には常に新たな課題が伴うことがわかります。
時代毎の交通事故関連を抜粋して見ました。
事故の変化
【昭和時代】
交通事故の増加
自動車の普及により交通量が急増し、事故も増加。
1970年には年間約1万6千人が交通事故で死亡する事態に。
これを受けて、交通安全対策や運転免許制度の見直しが進められた。
【平成時代】
携帯電話による事故やトラブル
携帯電話の利用中、歩行者や運転者による「ながら使用」が原因で交通事故やトラブルが増加。
「ながら運転」は規制強化され、現在では厳罰化されている。
ハイブリッド車の静音性による事故
ハイブリッド車は静かすぎるため、歩行者や視覚障害者に気づかれず事故を引き起こす問題が発生。
対策として、人工音発生装置が搭載されるように。
【令和時代】
電動キックボードや自転車の事故
新しい移動手段として普及した電動キックボードやシェア自転車が交通ルール無視や安全対策不足で問題に。
道路交通法の整備が追いつかない状況が指摘されている。
AIや自動運転に関するトラブル
自動運転車が関与する交通事故が発生し、技術の安全性や倫理的問題が議論されている。
AIによる誤判断や偏見の問題(AIバイアス)も社会問題化。
最後に
昭和は、大らかな(大雑把?)古き良き時代でしたが、今と比べると危険な時代だったんですね。
世の中は、進化しているので変化についていかないと危険ですね。
昭和から現代までに、事故はかなり減っているのにはビックリしました。
少なくはなって来たとは言え、私の様に事故にあっている人はいます。
私も、自分の行動(飛び出し)で事故にあいましたが、当時、車を運転していた方もビックリでしょうね。トラウマものです。
飛び出して申し訳ありませんでした。
そんな交通事故が無くなる世の中になると良いですね。
「事故にあわない、事故を起こさない」ように、お互いが気を付けなければいけませんね。
「そういえば、N君はどうしているだろう?元気にしていたら良いのですが!」
今回は、「過去の記憶(交通事故)」で、私自身の悲惨な事故と時代の変化に伴う事故について、お話させて頂きました。
最後まで、お読み頂きありがとうございました。
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