
〈美しい人〉
仲睦まじい夫婦だった
男は女の為にせっせと働き
また彼女も彼の為に慈しんだ
けれども或る日、男の心の底の中に
かつて故郷に残してきた美しい女性の姿があった
誰よりも愛しい人が、私ではない他の女の名前を呼んだ
彼女は「ごめんね」と呟く。
側にいる限り彼の中の硬い石のように沈むのを
ただただ見つめるのは法罰のようだった
狂いそうになるときもあった
願わくば、私だけのものでいて
そして彼女は言った
「どうぞ、あなたが心ゆくまで旅に出てください」
「お気の済むまで何年も..存分に..」
故郷の山を、あなたが好きだった岩場の釣り堀も
貴女さまの思いのままに過ごしてくださいな
男は少々黙ったあと「恩に切る」と言って
旅の準備を整えはじめた
その後ろ姿はまるで、はるか昔の戦へ向かう武士のような姿だった
最後に口をひらく
「許しておくれとは言わない、
君が新しい家庭を持っても、たとえ会わずとも
決してきみのことは忘れない」
私は眼からこぼれ落ちる粒を指で拭いながら
そっと彼を抱きしめた。
傷ついて、傷つけられても明朗快活に生きていく彼女の姿は誰よりも美しかった。
時は流れ永遠に♾️
おわり.