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漫才は考えすぎずに笑いたい

「お笑いって、こんなに考えて作られているんだ」
「M-1前に読まなくて良かった」

これがこの本を読んだ最初の感想。



M‐1グランプリで2連覇を達成した令和ロマンの高比良くるまさんが書いた本。

この本は、令和ロマンの漫才だけでなく他の漫才師さんのネタの考察もされている。

年末から年始にかけて読んだ。
お正月はテレビで漫才ネタを披露する番組がいくつも流れている。
本を読んですぐだったので、本の考察に沿って漫才のネタを披露しているのか、確認したくてお正月はお笑い番組ばかり選んで見ていた。

出てきてすぐのつかみは、「そう来たか」
このネタは、お客さんのあるあるをうまく使っているなあ。
確かに考察とおり。
やりたいことが理解できて、本の考察をたどるようにお笑いを観ていた。
そうは言っても、おもしろいものは自然と笑っていた。

数番組を観て、「次はこう来るか」と、頭で考えて見ていることに気づいてしまう。
令和ロマンがM-1グランプリ決勝出場前日の収録なので、決勝と同じネタを披露してお客さんの反応を確認したいという番組もあった。
「ここのタイミングは変えてきたのか」とかなんとか私の中の上沼恵美子が冷静にジャッジしている。
気づくと楽しむよりも、答え合わせのような見方しかしていない。
漫才を観て、笑えない。
しかもYouTubeで、M-1グランプリのネタを観て、違うことまで確認してしまった。(M-1の方が良かった)
あ~過剰考察の過剰考察。


私は、仕事の裏側やその人がたどった道やノウハウを知るのが好きだ。
ドラマや映画のメイキングを観て、こんな苦労があったのかとか作り手の意図しているところを知ってから見るとさらに深みが増すのも事実だ。
だから、この本も読んでいると面白いし、お笑いのことを本当に研究している内容で読み物として充分に楽しんだ。

仕事でもスポーツでも、考察・分析がしっかりできている方をみていると、その分野に詳しく、それに合わせた質の高いパフォーマンスができていて、深いところまで理解して取り組めているんだなと感心する。


M-1の審査員達が講評で「よく勉強してきている」「ここまで研究してきたか」などと言っているのを聞いて、違和感があったが、本を読んで芸人さんのテレビではわからない努力や面白いネタの裏には研究していることも理解できた。
笑いって、瞬発力や頭の回転の速さや熱量のイメージが強かったから、芸人である審査員が、そんなことを言っていることに対しての違和感だった。

漫才・笑いは芸事なので、やはり研究や勉強が必要なのは当然で、避けて通れない。ほかの芸事もみんな努力や勉強をされて、プロとしての芸を提供しているのだ。
しかし、お笑いは手の内は明かしすぎない方が楽しめるのかもしれない。
なんでも裏側を知りたくなるのも善し悪しだ。


※Amazonアソシエイトではありません。

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はし
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