食器選びの基準は
読書大好きのはしです。
今日は、小説が私の生活にも影響しているというお話です。
数年前、子供が就職のために家を出て、夫婦ふたりの生活になりました。
新型コロナの感染が日本中を襲い、家族間でも往来ができないような状況が続いているころでした。
子供が巣立ったことやコロナ禍で、家にいる時間も長くなり、身の周りのものを整理することが増えました。
家族の人数が減り、親類や友人と集まる機会も少なくなり、たくさんの食器は必要ないと思いました。
それまでは、4~5客セットで揃えておくことが普通でした。
来客用と普段用、さらに和食用と洋食用の両方を用意。
もちろん、来客用は使わないまま保管していました。
食器は、場所もとるし、数が増えると重みもあります。
夫婦ふたりに必要な分だけを残して、処分しました。
その時に思ったのは、毎日使う食器は気に入ったものを使おう。
食事と器の関係はとても大切です。
食で季節を楽しみ、そのたびに食器を変えるのも楽しさのひとつです。
それをふまえつつ、毎日の食器はある程度、厳選してもいいと思ったのです。
そのかわり、気に入ったものを使おうと。
どんな食器が好きか考えました。
デザインなのか重さなのか、はたまたブランドなのか。
北欧のデザインも可愛いなあとか。
実際に見たり、調べたりしました。
でも、購入には至りませんでした。
食指が動かないというか。
気に入ったものが見つかるまで、買わないと決めました。
購入する時には、器を作った背景が分かるものがいいなあと思いました。
日本は、たくさんの焼き物の街があります。
それぞれ、歴史があり、時代や街にまつわることなど、そこで陶芸が盛んになった背景があります。
原田マハさんの小説リーチ先生という作品で、「小鹿田焼」を取り上げています。
バーナード・リーチというイギリス人陶芸家とその助手となった青年、小鹿田焼を世の中に広めた「柳宗悦」ら芸術家との友情や芸術についての話です。
小鹿田焼は、江戸中期から生活雑器として作られてきたもので、現在も一子相伝、機械を使わずに作られています。
小説の中では、器のもとになる土に対するこだわりや火入れなど、たくさんの失敗と成功を繰り返していき、どの工程にも思い入れがあります。
江戸時代から、代々今も受け継がれているということ、それまでの苦労や現在まで残ってきた背景を考えると、
強く小鹿田焼に惹かれてしまいました。
一度、手にしてみたい。この目で見てみたいと。
大分県のその地域でのみ作られている器はなかなか出会う機会はありませんでした。
ネットなどで見てみるものの、実際に手にとってみないと分からないものです。
毎日使う物なので、手になじむのかどうか確認したいこともありました。
小鹿田焼を実際に手にする機会は突然現れました。
食器を買おうと思ってから、半年以上経った頃です。
年末、雑貨を扱うお店のSNSに「小鹿田焼」の器が入荷したと告知がありました。
すぐに向かいます。
飾りすぎず、ぬくもりも感じられ、大きさや重さも普段使いにちょうどいいサイズがいくつもありました。
色身も、飴色をベースにしており、もともと手元に残していた食器とも相性が良さそうでした。
ご飯茶碗、麺類にも使えるどんぶり、18㎝くらいのお皿を購入しました。
どれも使い勝手がよく、毎日のように使用していたので、半年後に再入荷時に、大きめの皿を購入しました。
使い始めて4年経過しましたが、飽きることなく、いろんな料理に使っています。
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