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[兄が死んだ②] 「兄の最期の晩餐は三千円だった」親の愛情が計量計のように見えたら、皆苦しまないで済むのに

兄が自殺した当日
兄が死んだ①
「なぜ兄は、今日、人生を終わらせたかったのだろう」




兄が死んだ②
「親の愛情が計量計のように見えたら、みんな苦しまないで済むのに」




 今日は、死んだ兄との初対面の日。

 寝ている娘を見て、夫とクスッと笑ったあと、また少しだけ寝ていた。
 目を開けてしまったら、今日が始まってしまう。
仕事日の朝とは比べられないぐらいの憂鬱感だった。

 だが娘の寝顔が、死ぬほど美しく愛おしく見えた。
ああ、やっぱり私は救われている。
昨日と同じものを感じた。

 いつも通りの朝だった。
食べむら真っ最中の娘。
今日の朝食はどちらのパンにしますか?じゃあサツマイモはいかかでしょうか?では小魚はどうでしょう?え、チョコ?何を言っとるんじゃ!
王(娘)への対応でバタつく、いつもの日常だった。

 出かける準備を始めたが、今日はやたらとお腹が張る。
母親の精神状態をお腹の子には見抜かれているようだ。
お腹の張り止めの薬をのみ、安静にする。

 お腹の張りが落ち着いた。
出かける準備できたら、ミニバラの苗に水をあげた。
 最近仲間入りした榊の水も替える。
榊を見て、鳥肌。
毎朝水を替えているから、昨日は全ての葉が元気だったのは確認済みだ。
6枚、水分がなくなり枯れている。
スピリチュアルなことは全く信じておらず、面白半分おふざけのような気持ちで買ったのだけど…
たまたまか。いや、でも前日元気だった葉が翌朝6枚も、しかも少しずつではなく、一気に枯れることってあるのか?

な、中村さんに言いてー!
夫に即報告し、ワイワイがやがや。
不謹慎だと思いつつ、いつもと変わらない我が家で、私だった。

兄の訃報の翌朝。6枚一気に枯れていた榊。



 昼食を食べ、家を出た。
葬儀場まで夫の運転で向かう。
葬儀場まであと10分。
あと7分。
到着予定時間を、何度も見てしまう。

 葬儀場に到着。
お線香の匂いで覚悟を決める。
車から降りて、ゆっくりと歩く。
体は前に進んでいるはずなのに、心はどんどん後ろに下がっている。
変な感覚だ。


 葬儀場に入ってすぐ、「◯◯家」と書かれた札があった。
きっと札の後ろの扉を開けると兄が居るのだろうな。
 尿意はないが、トイレに行ってみた。
トイレで一呼吸し、夫と娘と一緒に扉を開ける。


 父と弟がいた。
父の目は真っ赤だった。
弟は眠たそうな、疲れ切っているように見えたが、基本的に常に脱力しているようなタイプだから、いつも通りなのかもしれない。


 父に、「にい(兄)に、話しかけてやってくれや」と言われ「うん」と言った。
 横たわっている兄の前に座る。
が、何も言葉が出てこない。

 父と弟は昼食を食べに行くと言い、すぐに部屋を出ていった。
私と夫と娘と、兄の4人になった。


 にぃ(私は兄をそう呼んでいた)が座敷に横たわっている。
キレイな白い布がかかっている。
病院で亡くなった患者さんにかける布はこんなにキレイな布じゃなかったなあ。
葬儀場に運ばれてからはキレイな布に変わるのかあ。
亡くなった方は病院で何人も何十人も見てきたはずなのに、率直に怖かった。
そこに感じる存在感が怖い。

 お線香をあげる。
娘が私もやりたいと騒ぎ出す。
お線香をあげる時の、あの、音を鳴らすやつ(無知が恥ずかしい…)を3〜4回楽しそうに叩く娘。

 夫に「顔、みてあげたら?」と言われる。夫は九州の地方出身で、葬儀のあれこれを私より知っていた。


 白いキレイな布を少しずつ持ち上げた。
10階から飛び降りたのだからグチャグチャだろうと思っていたが、意外と…だった。
葬儀屋さんが、大分頑張ってくれたのだろう。
頭は包帯が巻いてあった。
飛び出たものが見えないように隠しているのだろう。
右側は歪になっていたが、物凄く酷いものという程ではなかった。
飛び出た目をきっと元の位置に頑張って押し戻してくれたのかな。

ああ、にぃ。やっぱり死んだんだね。



 父と弟が戻ってきた。
兄が死んだ。
10階のビルから飛び降りた。
この2つの情報以外をまだ聞いていなかった。
父が話し出した。

 亡くなる前日、兄は体調不良を訴えていた。
父は兄と、割と大きめな病院に一緒に行った。
だがもろもろ検査したが身体的問題はなし。
「精神的なものでしょう」と言われ精神科に紹介され、その日そのまま精神科に向かった。
今日は担当医がいないと言われた。父は誰でもいいから診察してくれといったが、医師ごとに診察方針があるので。と断られた。
 まあ、普通に断られるだろうな。と医療者の私は納得できるが、父は何故すぐに見てくれないんだと食い下がったそうだ。
割と大きめな病院が「身体的に問題ないことは、うちで確認済みです。町の精神科で見てください」と町の精神科へ依頼したようなものだ。
緊急性が高ければ診てくれたかもしれない。
 しかし見えない心に対して、緊急性の是非を判断なんてできない。
父だって判断できていなかったわけだから。

 父は「今日は俺の家に来るか?」と聞いたが、兄は「大丈夫。大丈夫」と答えた。
「とりあえず美味いものを何か食え」と2万円渡した。
家に帰った後、父は兄にメールをした。
夜中の3時に「大丈夫」と返信があった。 


 父は朝起き、いつも通りに会社に行った。
仕事中に、警察から電話がかかってきた。
指定された警察署へ父は行った。

 警察から「10階ビルから飛び降りたようです。周囲の聞き込みや指紋から争った形跡はありません。自宅に遺書はありません」と言われたそうだ。
 自宅やビルの確認が全て終わった後に、家族に連絡し最終確認をする流れらしい。

 兄の飛び降りた先に、人は居なかったことを聞き安心した。
ただ、救急車を呼んでくれた人には最悪な朝にしてしまい、本当に申し訳ない。


 警察と父で、透明な袋に入れられた通帳や財布を、ひとつひとつ一緒に確認する。
財布には1万7千円、入っていたそうだ。
 兄の最後の晩餐は3千円だったのかあ。
荷物の確認後、警察と一緒に病院へ向かう。
兄が病院に運ばれた時には医療的にもうできることはなく、ほぼ即死状態だった。と医師から説明された。
運ばれた病院は、昨日受診した、割と大きめの病院だった。
「あなたの息子で間違いないですか?」と聞かれた。
ドラマで見る場面と一緒だったと父は言っていた。




 兄が亡くなる前後の話をやっと聞けた。
遺書がなかったのが意外だった。
私は、当然あるものと思っていた。
世の恨み、家族への恨み、それが沢山書かれていた遺書があるだろう。と思っていた。
兄は死ぬ日を決めていたのだろうか。
それとも何かしらの精神的疾患から、勢いのままに飛び降りたのだろうか。


 祖母や他の親族は遠方にいる。
祖母は兄を気に入ってた。
初孫で、幼少期の兄は目が大きく容姿のいい顔だった。
男尊女卑のカタマリのような祖母は、長男である兄をとても可愛がっていた。

 祖母は「死に顔を見たくない」ということで、後日来るらしい。
だが1〜2時間おきに父に電話をかけてくる。



 私は想像してみる。

 私の娘の子どもが亡くなったことを想像する。
私だったら、何が何でもすぐ娘の元へ行く。
"孫が亡くなって悲しい"と私は思うだろうが、その感情は私自身の感情だ。自分の娘の悲しみを想像したら側にいてあげたい気持ちが先走り、すぐに向かうだろう。
娘が後を追うなんて最悪も想像してしまうし。
 祖母は“息子の悲しみに寄り添いたい”よりも「孫の死に顔を見たくない」を上回ったのかなあ。と非難の気持ちが私に芽生える。


だめだだめだ。
この感情は、嫌いな人の行動全てが間違っているように見える時の、自分よがりなものだ。
私の心は私のものなように、祖母の心は祖母のものだ。
ただ、お互いに理解し得ない対象ってだけだ。
孫ができたことがない私が、孫が自殺した時の祖母の心を分かった気になってはいけない。


 父は、横たわっている兄に何度も優しく話しかけていた。
なんと話しかけているのかは聞こえなかった。
というより、聞かなかった。聞けなかった。聞きたくなかったのかもしれない。
すぐ目をそらし、娘と会話して気をそらした。

 なぜ、父は、兄が生きている時ににそうやって話してあげなかったのだろう。

 父は兄を愛していたのだろうか?
兄の生前、私は少しもそれを感じなかった。
父が兄を大事にしていると少しも感じなかった。分からなかった。
私は、見えていなかっただけなのだろうか。
今も私は、何も見えていないのだろうか。
父は、兄の病院の付き添いをしたりしていたのかあ。
 まるで私は、父から兄への愛情がなかったことにしたい。と思っているようだ。そうであってほしい。と私は思っているのだろうか。
「私はなんやかんや、親に大事にされています」と言う人がいるけど、どうやってそれを皆、知るのだろうか。
どうやったら大事にされていると感じるのだろうか。
言葉から?行動から?態度から?
親の心、子知らず。とはこのことなのだろうか。

 夫から私への愛情は明確に理解できる。
でも、親から子への愛情がどういうものなのか分からない。
 こんなことが起きたにも関わらず、祖母も父も、私には嘘にしか見えないのだ。
親から子への愛情が計量計のように、数値が見えたらいいのに。
そう思った。





 話が一通り終わった。

 兄の死の前後の話しを聞いている間、娘は静かに夫に抱っこされていた。


 タイミングを合わせたかのように、娘が「おならでちゃった」とニヤニヤしながら私に報告してくる。
椅子に登っては降りて。
ジュースを持ち「いっぱいのんじゃうよ?」と私に宣言した後に一気飲みし始める。
飲み終わったら「ぷはーっ!」
多分お坊さんが履くのだろう、赤くてキラキラしたスリッパを履いて歩き回ったり。
いつの間にか、皆でゲラゲラと笑っていた。
私が葬儀場に到着した時は、文字通り死んだような空間だったのに。
気づかぬうちに、娘に空間を乗っ取られていた。
夫が抱っこしている時に、ズボンのシミを発見。おしっこだ。ほら〜、さっきジュース一気したから〜。
もちろん夫のズボンもシミが…。

 これきっかけに、今日は解散しますか。となった。

 私はみんなの湯呑みを洗う。
その後ろで、夫が娘のオムツとズボンをもって、おしり丸出し娘を追いかけ回してくれている。
今日、娘が居てくれて良かったなあ。と思いながら洗っていた。



 葬儀の場で子どもが騒いでいたのを、親戚から注意を受けた。と知り合いから聞いたことがある。
いいじゃん。
賑やかにしても。
一瞬ぐらい明るい気分になってもいいじゃないか。
2歳の子どもに静粛を求めるな。
まあ、私は親族側だからそう言えるだけか。
深く考えていない、考える余裕もない時に色々と意見は言うものではないな。

 娘が父と弟に「ばいばーい」と言って、私と夫と娘は自宅に帰った。
父と弟は葬式までの間、葬儀場に泊まる。
私が妊婦で娘が2歳なのを考慮して、私達は自宅に帰らせてもらった。

 行きの車の時とは比べ物にならないぐらい、何故か心が軽くなっていた。
兄の自殺の経緯を聞けたからだろうか。
兄の遺体を見て、実感したから?認めたから?
何も現状は変わっていないのに、凄く心が穏やかになっていた。

 明日は友引。
なので葬式は明後日だ。
明日はゆっくり過ごさせてもらおう。


 この日は昨日とは違い、すぐに眠りに落ちることができた。




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