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兄の遺影への違和感/美しくないと、子を肯定できない父へ

 あの時に感じた違和感を形にしようと思う。
ずっと、ずっと、ひっかかっていた。


 兄が32歳で自殺した。



 兄の葬式の前の日に父から電話がきた。
「にぃ(兄)の写真、持ってないか?」
持っていなかった。
 でも私が娘を出産した時の家族写真がある。
撮ったのは約3年前。
父もデータを持っているはずだ。
 3年前の写真なら遺影に使っても、まあ良いのではないだろうか。
父に伝えた。


 葬式の当日、遺影を見た。
高校の制服を着た兄がいた。
卒業アルバムの写真だ。
父は、高校生の時の兄の写真を選んでいた。
 いや、なんで?
10年以上前の写真だ。
顔も、死んだ当時と全然違う。

 死んだ時の兄は、ストレスからなのか、高校生の時より20キロ近く太っていた。
太って顔が大きくなり、目は小さくなったように見えた。
 高校生の時の兄と、死んだ時の兄は、別人に近かった。

 遺影の兄は、綺麗な二重だったし、普通にいい顔をした男の子だった。
葬儀場では、私が遺影を持って歩かされた。
だから周りの視線をよく感じとれた。
シワシワで天寿全うされた人達の遺影の中で、高校生の兄の遺影は目立った。

 何故父はこの写真を選んだのだろうか。
あの時不思議に思ったのだが、疲れていたのもあり、深くは考えなかった。


 こういう"違和感"は、時間が経つにつれ、徐々に徐々に侵食してくる。

 そして、また父に対して私は嫌な妄想をする。

 父は、美しかった時の兄なら愛せたのだ。
いや、愛せていたわけではないか。
暴力を振るったり、見限っていたわけだから。
 美しかった時の兄ならば、自分の息子と認めることができるのだろう。
美しくなければ、自分の子と認められないのだろう。
 葬式の時ですら、プライドを保とうとしている。
ずいぶんと、余裕じゃないか。
 兄が死んで父は泣いていたが、やっぱり、せいせいしたと思ったのだろう。
死んだ時の、今の兄を、父は受け入れられなかったのだろう。
何を言っている。
私もそうだ。
私も兄を受け入れられなかったではないか。
私はどんな時の兄も受け入れれやしなかったってことか。

 きっと父は、自分の子は、美しくなければならない。優秀でなければならない。人懐っこくなければならない。稼げなければならない。容量良くなければならない。強くなければならない。
この、"ならない"に当てはまらなければ、肯定できないのだろう。

 自分の子が、一般的に共通した価値観の中の"情けない"と言われるものに当てはまるのが許せないのだろう。
 例えば、兄は仕事を転々としていたし、非正規で働いている時もあった。死んだ時は生活保護を受けていた。
 学生時代は、部活を転々としていた。
何かが長く続いたことがなかった。
そんな兄を見て、「あいつは根性がない」と父は言っていた。
根性。
根性は生きていく上で必要だと私も思う。
でも、それは決して自分の軸にはなり得ないし、軸に据えると危険だと思う。
根性で片付く、納得、満足できることなんて存在するのだろうか?

 自分の価値観から外れた者を、下に置く。
父はそんな人間だったのだろう。きっと。
いや、まだ父は死んでいないが。




 兄は、誰かに自分を全肯定してもらえた経験をせず、死んでいってしまったのだろうか。
幼少期の、記憶の薄い数年ぐらいはあったかもしれない。
でもその後は?
 こんな親達で、こんな兄弟達だったから、身内に兄を全肯定するような存在はいなかった。
 友人はいたのだろうか?
兄を全肯定してくれる人は、他人にはいなかったのだろうか?
 自分の弱さも、ずるさも、醜さも受け入れてくれた人に出会えず、人生を終えてしまったのだろうか。
もし私のこの仮定が当たっていたとする。
 それは、もうどうしようもなく、もの凄く悲しい。
同情だ。
人が嫌う、同情という言葉しか思いつかない。
気の利く言葉も、感情も思いつかない。

 自分で自分を全肯定できれば良かったのに?
肯定された経験のない人間が、自分を肯定できるわけがない。
 結局こればっかりは他人頼りなのだ。
自己肯定感が高く育った人は、幼少期から親やその周りの大人達によって肯定されてきたから、今自己肯定感高く生きていける。
 何か一つだけでも、人から容易にお世辞で褒められるものがあったとしたら違ったかもしれない。
兄は不器用な人間だった。
目に見えて、お世辞で褒めれる部分は、目を凝らさないと見つけられない。
目を凝らす程の関係を、人と築けなかったのだろう。
 いや、それも違うか。
兄はきっと、容姿で他人に褒められた事はきっとあったはずだ。
それに満足できなかったのかもしれない。
それだけでも満足できればよかったのに。
 人はどんな時代も変わらず、「外ではなく、中が大事」なのだろう。

 外見にこだわるし、囚われる。
それなのに、他人からは中身で評価されたい。

 中身も外見も、すべて自分なのに。
どっちも自分の一部分ってだけのはずだ。
どっちも同じように大事だ。

 そのはずなのに、顔がいいと、良い人間に見える。
強い人間に、優秀な人間に見える。
 父は、顔がいい人間が好きなのだろう。
顔がいいと優秀に見える。要領よく見える。強く見える。

 人は、美しくなければ親に認められないのだろうか。
大事にされないのだろうか。



 祖母はあからさまだった。
幼少期、よく私を「ブス子」と言った。
 私は、亡くなった母の顔に、かなり似ているらしい。
祖母は、嫁にあたる母が好きではなかったみたいだった。
私のタオルのたたみ方が死んだ母と同じだと、冷たく言われたことがある。
 父と母が結婚報告をした後、勝手に新婚生活中の2人の家に来て、1ヶ月も居座ったそうだ。
息子(私の父)が結婚する女性を見極めるとかなんだとか…。
異常者だ。
まあ、色々気に入らなかったのだろう。
息子を奪った女性にそっくりな娘の私が、生理的に嫌だったのだろう。
 私は兄のように目がパッチリではなかった。
確かに幼少期の写真の私は、決して可愛い・美人といったものではない。
自分でも普通にそう思う。
 可愛いとお世辞を言ってほしかった訳ではない。
だって可愛くないのは事実だし。
 どうせ大人になれば、自分が世の中で言われている可愛いに当てはまるのか、当てはまらないのかなんてすぐ分かる。

 ただ、いちいち兄弟で比べて、私を下げる必要はあったのだろうか?
容姿なんて、人によって基準は違うし、見え方だって違う。
そういうことに気がつく前に、わざわざつついて。
面倒なことをよくやったものだ。


 まあ、正直今となっては、祖母が私を「ブス子」と呼んでいた事に対して、特に何も感じない。
それを言われていた幼少期の頃は、何度も鏡を見ていた私だが、今の私は30歳。
やっとこれらのシガラミから抜け出せた。
 そりゃ顔が良かったらいいけど、そんなの次のステージには持ってはいけないアイテムだ。
もうこの効果が切れる時期がきた。
同時にこの呪いからも開放される時がきた。
次のステージに持っていけるものは、例えば教養だとか人からの信頼だとか、自分の身から溢れ出て磨いた能力とかかな。
人生100年。
その内の25年ぐらい。
年数は人にもよるとは思うが、私の場合は25年ぐらい。
たった25年しか効果のないアイテムに、深くのめり込んで、頭の領域を使うなんて馬鹿げている。
 祖母は当時60歳ぐらいだっただろうか。
60年生きてきて、きっとそんなこと気がついているのに、それを孫に言うとは。
いや、気がついていなかったのかもしれない。
祖母は冗談でもなんでもなく、
「孫の中に1人ぐらい俳優になると思ってたのに」
と言っていた。
 くだらねえなー。
本当、くだらない。
老害め。
お前も、お前の息子も、全然、微塵も、かけらも美しくない。
美しさを分からないとは。
ありきたりな美しさばかり見ているから、本当の美しさが見えないんだよ。
胸高まる言葉や、風景や、人や、空気や。
そういった物が見えていないなんて。
 人によるとは思うが、私の周りの女性達は30歳を超えた途端、とても面白い人間になった。
綺麗だ。輝いている。
美しくなっている。
そこには結婚とか出産とかパートナーとか、いるいないは関係ない。
私は深く狭い関係しか結べないタイプだから、その少ない友人達で判断しているだけだから、一概には言えないが。
 でも、父は50代。祖母は80代。
今までの人生、何やってきたんだよ。
何を見てきたんだよ。
何を感じてきたんだよ。
そう思わずにはいられない。
どれだけお前等の目が綺麗な二重でも、背が高くても、顔が小さくても、私の方が美しく生きている。
美しく生きてやる。

 死んだ息子の遺影に、高校生の時の息子を映し出し、自分を不憫だと、不幸の真っ只中にいるとでも思っている父を、私は同情できない。

 死んだ後ぐらい、肯定してやれよ。
自分とは考えも何もかも違った兄だが、ただ兄はそういう人だった。苦しんでいた人だった。孤独な人だった。踏ん張れなかった人だった。

 自死を選んだとしても、なんでそんなことしたんだとか言うな。
絶対に理解なんてできないのだから。
もう死んじゃったから。
理解できないのに、否定するな。
死んだ後ぐらい、全肯定してやれよ。




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