見出し画像

現代版 力ばか 「刻まれた呪い・後編」─血に宿る怨念の連鎖─ 小泉八雲:怪談より

後編あらすじ

左手を切り落としたはずだったが、体に残る「影」の存在に苦しみ続けていた。
さらに、寺に封印されたはずの左手が動き始め、怨念が完全には断ち切られていないことが判明する。

僧侶の提案で「浄化の儀式」を行うことになり、力は自分の中の怨念に直接向き合うことを決意する。

儀式の中で力の中から現れたのは、夢で幾度も見た「土気色の男」──「親殺し」の怨念そのものだった。
男は力を嘲笑い、完全に支配しようとするが、家族を守りたいという力の強い意志が怨念を振り払い、儀式は成功する。
力の中に残っていた怨念は浄化された。

儀式後、力は左手を失いながらも平穏な日常を取り戻す。
一方で、寺では封印された左手が厳重に管理されている。
しかし、力は呪いが完全に終わったわけではないことを悟っていた。

もしも呪いが再び誰かを襲うことがあれば、自分が立ち向かうと決意し、新たな一歩を踏み出す。

第四章: 左手を失った夜


鉈が僕の左手を断ち切った瞬間、激しい痛みが全身を駆け巡った。目を開けると、床には包帯に覆われた僕の左手が落ちていた。
それは血まみれで、それなのに妙に生々しく、まだ動いているように見えた。

「うっ……ああああっ!」
痛みと恐怖で、僕は声を上げずにはいられなかった。

僧侶の田所さんが僕の肩を押さえ、

「しっかりしろ、耐えるんだ。」
と言葉を投げかけるが、痛みは収まらない。

母さんが泣きながら僕の傍に駆け寄り、傷口に布を押し当てる。
その手も震えていた。
父さんは何も言えず、ただ呆然と僕の左手を見つめていた。

「……これで、本当に終わるのか?」
僕の頭にはそんな疑問だけが浮かんでいた。

左手を切り離したはずなのに、体の中にまだ何かが残っているような違和感があった。


老婆がゆっくりと床に落ちた左手を拾い上げる。
その手は、まだ微かに動いているようだった。
指先が震えるたびに、僕の全身に嫌な鳥肌が立つ。

「……やはり、これが原因か。」
老婆は低い声で呟いた。

そして、僧侶に向かってこう言った。
「この手は、この子から切り離しただけでは意味がない。寺に持ち帰り、封印しなければならない。」
僧侶は頷き、用意していた木箱を開けた。

その中には、お札や経文がぎっしりと詰まっていた。
老婆が慎重に左手をその中に入れると、箱全体がピリッと音を立てるように震えた。

「力……これで、お前は解放されるはずだ。」
老婆がそう言った瞬間、僕は心の中で大きな不安を感じた。
解放される──本当にそうだろうか? 体から切り離された左手が、箱の中で蠢く姿がどうしても脳裏に焼き付いて離れない。


左手を失った後の異変

痛みと疲れでそのまま意識を失った僕は、気づけば自分のベッドの上に横たわっていた。
朝日が窓から差し込み、外では鳥の声が聞こえる。昨日の出来事が夢だったのではないか──そんな錯覚さえ覚えるほど静かな朝だった。

だけど、左手がないことは夢ではなかった。
布団をはだけると、肩から先の左腕が包帯でぐるぐる巻かれているのが見えた。

左手はもうない。軽くなった腕が妙に現実感を欠いている。

「……本当に、これでよかったのか?」
呟いてみても、答えは返ってこない。

だけど、心の奥底では、まだ何かが終わっていないような気がしていた。


階下に降りると、母さんがキッチンで朝食を準備していた。
顔には疲労が滲んでいる。
僕の姿を見つけると、母さんはすぐに駆け寄ってきた。

「力、大丈夫? 痛みはない?」
僕は小さく頷く。

「大丈夫」
なんて嘘だ。

本当は痛みもあるし、不安も山ほどある。
でも、母さんをこれ以上心配させたくなかった。

父さんはリビングで新聞を読んでいるふりをしていた。
けれど、彼の手は震えていて、文字を追うどころではないのが分かった。
家の中全体が、昨日の出来事の後遺症に包まれているようだった。


封印の報告

昼前、玄関のチャイムが鳴った。

ドアを開けると、そこには田所さんが立っていた。彼の後ろには老婆の姿もある。

「……封印は無事に終わった。」
田所さんはそう言った。

僧侶の表情はいつも通り冷静だったが、その奥に隠された疲労感が見えた。どうやら、左手を封印するのは簡単な作業ではなかったようだ。

「封印……本当に、これで終わったんですか?」
僕は思わず口を開いた。

田所さんは少し間を置いてから頷いた。
「あの手は寺の奥深くに封じた。

二度と誰かの手に渡ることがないよう、厳重に管理するつもりだ。」

「これで……呪いは消えたのか?」僕の質問に、田所さんはまた少し考え込むように沈黙した。

そして、慎重に言葉を選ぶようにして言った。
「……呪いの源は、確かに断ち切られたはずだ。ただし、それが完全に消えるかどうかは、時間が教えてくれるだろう。」

その曖昧な言葉に、僕の胸にはまだ重いものが残った。
完全に消えるかどうか分からない──つまり、まだ終わっていないということなのか?

老婆は僕に向かってこう言った。
「安心するな。この手の呪いは深い。お前の中にまだ“影”が残っているかもしれない。」

「影……?」
僕が尋ねると、老婆はゆっくりと頷いた。

「切り離した左手は確かに封印されたが、怨念の全てがそこに留まったとは限らない。お前の中にも、その一部がまだ残っている可能性がある。」

その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の奥に冷たいものが走った。

まだ、終わっていない──そんな気がしてならなかった。


奇妙な夢

その夜、僕はまた夢を見た。

暗い森の中で、僕は一人立っていた。
目の前には、あの「土気色の男」がいたはずなのに、今回は姿が見えない。ただ、風が木々を揺らし、囁く声が聞こえてくる。

「お前が選んだんだろう……。だが、これで終わると思うな。」
その声は僕の耳元で囁くと、遠くへ消えていった。

目の前の森が急に赤く染まり、足元には血が広がる。

僕は思わず叫んだ。
「終わったんじゃないのか!? 左手を切り落としたのに、なんで……!」

声が闇に吸い込まれた次の瞬間、目の前に大きな影が現れた。
その影の中には、あの土気色の男の笑顔が浮かんでいる。

「お前はまだ自由じゃない。」
その言葉を最後に、僕は目を覚ました。
全身が汗でびっしょりだった。
傷口は痛むはずなのに、それよりも心の中の不安が僕を締め付けていた。


第五章: 影の正体


左手を失ったはずなのに、なぜこんなにも不安が消えないのだろう。
確かに痛みはある。
まだ包帯に覆われた傷跡がズキズキと疼くこともある。
でも、それだけじゃない。

心の奥底に染み付いたような違和感──それが僕をじわじわと追い詰めている。
夢の中で聞いた声、「お前はまだ自由じゃない」という囁きが、昼間でも頭の中でこだまする。

左手を切り離したことで全てが終わったと思っていた。

それが「正しい選択」だったはずだ。でも……。
僕の中に何かがまだいる。


異常な感覚

あの日以来、日常生活は表面上、元に戻ったように見えた。
両親は僕を気遣ってくれるけど、どこかで「これで良かった」と思おうとしているのが伝わってくる。

それでも、家族で食卓を囲む時間や、リビングでの会話は以前よりも増えた。これは左手を切ったことで訪れた平穏の証なのかもしれない。

だけど、僕だけがその「平穏」を実感できないでいた。──いや、むしろ異常な感覚が日に日に強まっていた。

最初の異変は、切り落としたはずの左手の存在感だった。
「幻肢痛」という言葉を聞いたことがあるけれど、これはそれとは少し違う。

左手がまるでそこにあるかのように感じるだけじゃなく、時折、何かを掴もうとする動きが“体全体”に伝わるのだ。

たとえば食事中、右手で箸を持ちながら左手でコップを掴もうとする動作を自然としそうになる。

そして、その瞬間、まるで切り落とされた左手が「まだここにいる」と囁いているような錯覚に陥る。


その感覚が最も強く現れたのは、夜だった。

深夜、目を覚ますと、部屋の中に誰かの気配を感じることが増えた。
気配がする方向を振り向くと、そこには誰もいない。
でも、その空間に「何か」がいることは確信できた。

「誰か、いるのか?」
震える声でそう呼びかけても返事はない。

だけど、その瞬間、切り離されたはずの左手の先端──包帯の結び目あたりに冷たい感触が伝わってきた。

僕は思わずその腕を見つめる。
すると、切り口の先に、かすかに赤黒い靄のようなものが揺らめいているのが見えた。
まるで、それが僕の体の一部としてまだそこに存在しているかのようだった。

「……何なんだよ、これ……!」
声を上げると、その赤黒い靄は一瞬だけ形を変えたように見えた。
──人の顔のような何かに。

その顔は、あの「土気色の男」に似ていた。

僕の中に宿る“誰か”──いや、“何か”が、まだ完全には消えていない。

そう確信した。


封印された左手の異変

その数日後、田所さんが再び家を訪れた。
彼はいつものように冷静だったが、どこか疲れたような表情をしていた。そして、玄関に入るとすぐに低い声で切り出した。

「……封印された左手に異常が起きている。」

「えっ……?」
僕の胸がざわめいた。

母さんも父さんも顔を青ざめさせている。

田所さんは続ける。
「寺に封じた左手が、突然動き始めたんだ。完全に封印したはずだったが、何かが目覚めつつある。それは……君の中に残る“影”が関係しているのかもしれない。」

「俺の中の……影?」
僕は繰り返した。

その言葉は、あの老婆が言っていたことと同じだった。

田所さんは少しためらった後、こう言った。
「君が左手を切り落としたことで、確かに怨念の大部分は手から切り離された。しかし、その全てが手に宿ったわけではない。残った部分が君自身の中に留まり、さらに左手と“繋がり”を持ち続けている可能性がある。」

「繋がってる……?」
僕の全身に寒気が走る。

その言葉が何を意味しているのか、何となく理解してしまったからだ。


寺での再会

その日の午後、僕は両親と共に田所さんの寺を訪れることになった。
寺は山の中腹にあり、静寂と冷たい空気に包まれていた。
鳥の声すら聞こえないこの場所は、不気味なほどに静まり返っていた。

田所さんが僕たちを奥の部屋へと案内する。
そこには古びた木箱が置かれていた。
僕の左手を封印したという箱だ。

「ここに左手を封じた。しかし……見てほしい。」
田所さんが箱の蓋を開けると、思わず息を呑んだ。

箱の中にあったはずの左手が、まるで生き物のように蠢いていた。
指がかすかに動き、赤黒い靄がその周囲に漂っている。

「まさか……!」
僕は後ずさりした。

その動きに反応するように、左手が一瞬だけ僕の方を向くように動いた気がした。

「これが……怨念だ。」
田所さんの声が低く響く。

「力、この手はまだお前を求めている。お前の中に残る影と共鳴しているんだ。完全に呪いを断ち切るためには、さらなる儀式が必要だ。」

「さらなる儀式……?」
その言葉に僕の頭は混乱した。左手を切り落としても、
まだ終わらないのか?


老婆の最期の忠告

そのとき、老婆が寺の奥から現れた。
杖をつきながら、疲れた様子でこちらに近づいてくる。

「お前が左手を切り落としたのは正しい。だが……怨念を完全に消し去るためには、左手だけでは足りない。」

「足りない……?」
僕は老婆の言葉を待った。

老婆はゆっくりと、しかし冷たく言った。

「お前自身を、この世界から切り離さなければならないかもしれない。」
その言葉は、僕の心を突き刺した。


第六章: 終わりの儀式


老婆の言葉は、僕の中に冷たい刃を突き立てた。
「お前自身を、この世界から切り離さなければならないかもしれない。」
その意味を、完全には理解できなかった。
でも、何か恐ろしいことが待ち受けているのだと本能で悟った。

「お前が“影”を引きずり続けている限り、この怨念は消えない。切り離された左手だけでは不十分だ。お前自身の存在が呪いを引き寄せているのだから……」老婆の声は静かで、冷酷なほど現実的だった。

「待ってください!」
母さんが老婆を遮るように前に出た。
その顔は涙で濡れていた。

「この子はただの少年です!何も悪いことなんてしていない!怨念だの呪いだのに巻き込まれているだけじゃないですか!どうして、この子まで犠牲にしなきゃいけないんですか!」

母さんの言葉に、老婆は微かに眉を動かした。
だが、表情は変わらない。彼女は冷たく言い放った。

「呪いは罪を抱えている者だけを選んで宿るわけではない。この子が怨念に囚われたのは、前世の因果ゆえだ。そして、その因果を断ち切るためには……」

老婆は一瞬、僕を見つめた。

「……この子自身が“次の世”へと移る必要がある。」


儀式の提案

田所さんが老婆の言葉を遮るように低い声で言った。
「だが、それは最終手段だ。この子自身が呪いを克服する可能性もある。左手を切り落とした今、怨念がどこまで残っているのかを確認する必要がある。」

田所さんは僕を見つめ、その表情には何かを決意したような強い意志が宿っていた。

「力君、君に残る影を完全に浄化するための儀式を行う。それが成功すれば、君が自分自身の命を差し出す必要はなくなる。」

「儀式……?」
僕は怯えながら田所さんを見た。

「そうだ。この寺には怨念を浄化するための古い儀式が伝わっている。その儀式を通じて、君の中に残る“影”を完全に追い出すことができるかもしれない。」

「できるかもしれない、だと?」
父さんが苛立った声を上げた。

「確実じゃないのか?もしそれが失敗したら、この子はどうなるんだ?」

田所さんは一瞬だけ沈黙した。

そして、重々しい声で答えた。
「もし儀式が失敗すれば……君の中の“影”が完全に目覚める可能性がある。」
その言葉は、僕の体をさらに重くした。

影が目覚める──つまり、僕が「親殺し」の怨念に完全に支配されてしまうということだ。

「……でも、やるしかない。」
僕は震える声で言った。

「このまま何もしないで待っていたら、もっと酷いことになるかもしれない。だから……儀式をやる。」


儀式の準備

その夜、寺の奥深くにある祭壇で儀式が行われることになった。
祭壇は薄暗く、蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。
その中央には石でできた円形の台があり、僕はその上に座るよう指示された。

「力、絶対に正気を保つんだ。どんなに怖くても、どんなに痛くても、意識を失わないことが大事だ。」
田所さんの言葉が重く胸に響いた。

僕の周りには、経文が書かれた紙とお札が並べられ、老婆と田所さんが儀式の準備を進めている。
両親は祭壇の外で、祈るように僕を見つめていた。

「始めるぞ。」
田所さんが経を唱え始めた。

その声は深く、響き渡るようだった。蝋燭の火がさらに激しく揺れる。
次の瞬間、僕の体全体が強い力で押し付けられるような感覚に襲われた。

「ぐっ……!」
思わず呻き声が漏れる。

目を開けると、視界の端で赤黒い靄が渦を巻いているのが見えた。
それは、僕の体から出てきているように見えた。

「お前の中の“影”が抵抗しているんだ。」
老婆の声が聞こえた。

靄はどんどん形を変え、次第に人の形を成していく。
それは──夢で何度も見た、あの「土気色の男」だった。

「……お前は俺だ。そして俺はお前だ。」男が不気味に笑う。

「もうやめろ! お前は俺じゃない!」
僕は叫んだが、男はさらに笑いを深める。

「そう思うか? だが、お前が俺を引き寄せたんだ。お前が生まれた瞬間から、お前と俺は一つだった。お前が親を殺す時を、俺はずっと待っている!」
その言葉に全身が震えた。

僕は拳を握りしめ、振り払うように叫んだ。

「お前なんかに支配されてたまるか!」


対決

男の形をした靄が僕に襲い掛かってきた。
冷たい感触が僕の体を包み込み、全身が凍りつきそうになる。
それでも僕は必死に抗った。田所さんの声が響く。

「正気を保つんだ!お前の意志が全てを決める!」

「正気なんて保てるかよ!」
僕は心の中で叫びながら、何とか立ち上がろうとした。

靄が僕の胸を締め付け、息が詰まりそうになる。

その時、母さんの声が聞こえた。
「力!あなただけは絶対に負けちゃダメ!お母さんが守るから!」

その言葉に、僕の中で何かが弾けた。
両親を守りたい──その思いが、僕の体を支配している影を追い払おうとする力になった。

「俺はお前なんかじゃない!」
僕は全力で叫び、靄に向かって拳を振り下ろした。
その瞬間、靄は爆発するように四散し、部屋全体が光に包まれた。


儀式の終焉

光が収まり、僕は祭壇の上で倒れ込んでいた。
田所さんが駆け寄ってきて、僕の体を確認する。

「……やったな、力君。」
その言葉に、僕は安堵の涙を流した。僕の中の影は消えた──本当に消えたのだ。

母さんと父さんが僕を抱きしめる。僕はその腕の中で、全てが終わったのだと実感した。


後日談

数日後、僕は家に戻り、穏やかな日常を取り戻した。
左手を失ったことで、不便なことも多いけれど、それでも平穏が戻ったことが嬉しかった。

寺では、田所さんと老婆が封印を再確認し、「影」が再び現れないことを祈っていた。

だけど、僕は知っている。完全に終わったわけじゃないことを。

呪いはいつか別の形で、この世界に姿を現すかもしれない。だけど、その時は、僕が全力で立ち向かう。

──それが、僕に残された使命なのかもしれない。


(完)

いいなと思ったら応援しよう!