書を携えて冒険に出よう
本と音楽への投資は惜しまない。
本から得た知見は、誰にも奪えない自分だけの財産となる。
音楽には今を鼓舞したり、気分を落ち着けたりする効能がある。色濃く記憶と結びついては、いつかの支えになってくれる。
いずれも、生涯の友となってくれるものだ。
文庫本とウォークマンはいつも鞄に入れて持ち歩いていた中学生時代。
高校生になり、携帯が音楽プレイヤーを兼ね備えるようになっても、文庫本は常に数冊所持していた。
今は荷物の都合次第でKindleを利用することもあるが、やっぱりページをめくりながら読み進めるあの感覚が好きだし、デザインや手触りの意図を感じながら読む時間はとても贅沢に思う。
そんな親の元に生まれ着いた子どもたちは、一番身近な娯楽であり、発見の宝庫である本が好きだ。
リビングには彼女たち専用の本棚が3つある。
テレビやお絵かき、ままごとなども好むが、圧倒的に本を手に取る時間が長い。
ただし、いくら本と音楽があっても、家と学校(あるいは保育園、会社)の行き来だけではつまらない。
せっかく蓄えたものを、絵に描いた餅で済ますのはもったいない。
大切なのは、ばらばらの点と点をつなぎ合わせるよう、インプットとアウトプットを繰り返すことだと思う。
ドライブがてら、あちこちに子どもたちと出かける。
たとえば、季節の花や海や山。
本から知り得て自分で咀嚼した表現が、彼女たちの口から飛び出てくる。
美術館や博物館、科学館。
体験型の展示だとなお良くて、あ!これ知ってる、本で見たことあるよ!と紙面の知識と体験がつながる。新たな発見におもしろさを感じれば、また本で調べてみるきっかけになる。
コンサートや生のダンス。
テレビの中では感じられない、実際の声や動きのダイナミックさを肌で体感する。
虫取りや花や野菜の育成。
思い通りにいかないこと、自然の厳しさや難しさ、だからこそのおもしろさを知る。
インプットとアウトプット、どちらかに偏るのでなく、循環させるのが肝要だ。
大人の私もまだまだ知らないことだらけ。ひと昔前の常識がアップデートされるのも純粋に楽しく、同じように発見に一喜一憂する。
点と点がつながった瞬間の子どもの顔は、こちらがみていて嬉しくなるし、その瞬間に誰よりも近くでみせてもらえることは親の特権だなぁとつくづく感じる。
近い将来、彼女たちは親より友だちと過ごす時間の方が楽しくなるだろう。
だからこそ、今、彼女たちと積極的に出かけたい。書を捨てるのではなく、携えたままで、一緒に旅に出たいのだ。
彼女たちが付き合ってくれる限りは大きくなっても続けたいが、たとえ私ひとりでも同じようなサイクルを楽しむだろう。そんな母をみて、ああ、相変わらず懲りずにやってるなと彼女たちが笑ってくれたらいい。
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そういえば、小学校の夏休みには、日がな一日部屋にこもって本を読み漁っていた。
冷房もつけず、時計も見ず、窓からそよぎ入る風と2Lのペットボトルを頼りに、汗を垂れ流しながら日が暮れるまで読書に没頭した。
実家の蔵書を今日はここからここまで読むと決め、伝記からコミック、料理本に至るまで、ありとあらゆるジャンルを読む。
そして夕食の場で、母に今日の収穫を話すのが好きだった。小さなせまい世界でのインプットとアウトプットだが、母がかつて読んだ同じ本について感想を述べあうのはなんとも嬉しいことだった。
今度そんな生活ができるのは、リタイヤ後だろうか。その頃には感想を述べあう相手はもういないかもしれないが、あの人ならどう思うかなど想像の翼を広げつつ、SNSに思いの丈をぶつけているかもしれない。