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日記#692 おばちゃん施設へ入る
2025.2.12
突然母から知らされた
私のおばちゃん(おばあちゃん)が施設へ
入ることになった事実。
そして今日
おばちゃんが施設へ入所した。
事を知らされたのはつい先週。
次女の1歳の成長を祝う一升餅を背負わせた時だ。
おばちゃんに少し前から
認知症の症状が出てきていて
夜になると変な行動を取ることを聞いた。
もちろん、体は元気だ。
人の手も借りず生活していたんだから
90歳過ぎのおばあちゃんにしては
まぁ、立派な方だと思う。
ただ、母にとって
相応の負担が増えたことは間違いない。
なぜなら、私の父は3年くらい前か?
脳出血を起こしてから右半身が未だに不自由。
こちらも一人で
何もかも生活できるまでに回復はしたが
父のこと、おばちゃんのこと
負担を言葉には出さないが
子として母のことがとても心配になった。
そして色々考えた末に
おばちゃんの意思も配慮し
施設へ入ることを決め、今日入所することに。
お喋り好きなのに
人と接する機会が少ないおばちゃんからしたら
施設に入って、人とお話しできることは
良いことかもしれない。
私は、人って孤独になることは良くない気がする。
毎日会話できる人がいる
毎日近くに人がいる
それがどれだけ大切なことか。
特に恒例の方になればなるほど
まじまじと感じるし、もしかしたら
おばちゃんも
おじちゃんが生きていて
毎日会話ができる人が
毎日近くに人がいれば症状は出なかったかもしれない。
ただの、たらればの話しだが。
複雑な心境になって
色々考えてしまった。
ここ最近は
私の母のことを「ママ」とは呼ぶが
本当の名前は忘れてしまったらしい。
本名を言っても「誰だ??」と
「ママ」と本名の人は別人らしい。
認知症ってなんだか寂しいなと
私の身近に起きて初めて気がついた。
けれど、不思議と
孫(私)とひ孫(私の長女、次女)のことは
はっきりと覚えている。
記憶ってなんなんだろうか?
だから、まだ覚えている間に
実家にいれる最後に
写真を撮ることにした。
写真って時間が止まってくれるからいいね。
ただ、こればかりは忘れられても仕方ない。
元気に、楽しそうに生活してくれれば十分だし
その生活に彩りを添えるように
この撮った写真は必ず届けたい。
気軽に施設へ行くことはできないが
共働きだった私の父と母の代わりに
育ててくれたおばちゃんのために
できることを実現しようと思う。
結局思ったことばかりを綴って
なんだか良く分からない日記となったが
これが私の頭の中そのものだ。
思いの丈と涙を流すことで少しすっきりした。
早々に写真を準備して
来月くらいには会いに行く予定を立てたいと思う。
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嫌がりながらも一緒に撮ってくれた。
今日も良い一日でした。
最後まで読んでくれてありがとうございます🐜
来世も人間であれるよう日々徳を積んでいきたいと思います